2005年の独り言

by 梶井厚志

2005年12月某日

今年は業務連絡風に締めくくることにしよう。

先日、熊本学園大学と、九州大学に行ってきた。通常、当研究所のミクロ・ゲーム研究会では、 外部からゲストを招いて研究発表をしていただいているが、今回は 発想を変えて、こちらから大挙してセミナーをしに行くという企画。 総勢6名でおしかけ、こちらのメンバーの発表と、現地の研究者の発表をまじえて、 「合同研究会」という形式でおこなった。 証拠写真はこちら

やってみると、なかなかよかった。学会で出会うだけでは接点が薄いが、 このようにすると、各大学や各地の雰囲気がわかり好ましい。 歓待されるのも、またよし。 熊本学園大では、学長室にとおされて、学長と面談までした。 また、こちらも複数で押しかけるので、研究会以外の時間も退屈しない。 来年度はちゃんとCOEから予算をとってやりたいものである。

そのうちに研究会のページにも案内を出すかもしれないが、一応の条件としては:

というところ。

予算はこちらで確保するので、受け入れ先は当方メンバーの旅費宿泊費などを 心配する必要はない。

興味をもたれたところは、ぜひご連絡を。


2005年11月某日

先日、秋葉原に行く機会があったので、私はヨドバシ秋葉原を見学し、ついでに つくばエクスプレスの秋葉原地下駅を見てきた。

どこかに書いたかもしれないが、私は鉄道が好きではある。しかし、断じていわゆる「テッチャン」ではない。 その証拠に、私はヨドバシの脇からエスカレーターに乗り、 地下駅の切符売り場と改札を確認してから、おもむろにUターンして長いエスカレーターを 再び上ったのである。 本物のテッチャンであれば、新型車両の乗り心地をためすために、 電車に乗ってつくばまで往復してきたことであろう。

また、本当のテッチャンは次のようなことをよく知っているのである。 京都から関西国際空港へ行くには、JR特急「はるか」をつかうのが便利だ。 「はるか」の京都新大阪間の所要時間には、微妙な差がある。 要するに若干早い列車と遅い列車の2つのタイプがある。 これは、京都始発の「はるか」は貨物線を通るために、 線路が交差するところでは、 並行して走る東海道線を優先させるダイヤになっているためらしい。 一方、米原始発のはるか号は東海道線を通るため、多少早くつく。 これが早いタイプになるのである。

私がテッチャンではない証拠に、これを同僚のSに指摘されるまで私は知らなかった。

ところで、京都始発のはるかは専用ホームから出発するが、 米原発のはるかは、東海道線のホームから出発するので、 ちゃんとこの違いを知らないと、京都駅で戸惑うことになる。 馬鹿にならない情報である。

私がせいぜい知っているのは、はるかに乗るときは京都大阪間の回数券をもって乗り、 車内で大阪ー関空間の乗車料金を精算するほうが安くつくということである。 この理由は、京都大阪間が特定区間に指定されていて、料金が割り引かれているためだ。 京都大阪間には阪急と京阪というほぼ平行して走る私鉄路線があるために、 それに対する競争力をつけるためにこの措置がとられているのである。

具体的に金額を書くと、京都関空間の普通運賃は1,830円であるが 京都大阪の運賃は540円で、大阪関空間は1,160円、合計で1,700円である. 金券ショップで京都大阪間の回数券は450円程度で販売されているので、 200円以上も差が出ることになる。

一方、回数券を買わずに540円区間の切符を買って乗車しても、 それは540円分として清算されてしまうから、 結局は京都から関空までを1区間として買ったことと同じになる。 回数券を買い、大阪で旅程をいったん終了するのが 重要なポイントなのである。

この話を自慢げにくだんのSにしたら、「はるか」は新大阪から 貨物船を使って、福島駅に抜けてしまう。 つまり、大阪駅を通らないのだから、 そのような清算方法では本来得にならないのではないかと反論された。

この反論は本当に奥が深い。一般の読者には何のことかわからないだろうから、 それを味わうために補足しておく。 はるかが停車するのは新大阪で、上の事情から大阪には停まらず次は西九条という駅に停まる。 つまり、京都大阪間の切符を持っていても、(註:京都-新大阪-大阪の順に並んでいる) 新大阪大阪間については意味がないのであるから、乗り越す場合には、 新大阪で下車したと考えて清算するのが自然にみえるのである。ところが、 関空新大阪間の料金は1,320円で、京都新大阪は京都大阪と同じ 540円である。そのため、新大阪で清算されてしまうと合計 1,860円となり、京都関空の直接料金の1,830円よりも高くなってしまうのである。 したがって、初めから京都関空を買ったほうが安いはずである。 Sの反論の真意は、実にここにあったのである。

しかしその後、S本人がJRの規定を再度分析し、はるかの料金は、 大阪駅を通過するとみなして計算されるということを発見したため、 私の計算方法で正しいことが判明した。 列車の運行事情に詳しすぎると、かえって盲点にはいるようだ。

ところで、その後、京都駅でこのパターンの分割切符を買おうとしたら、 みどりの窓口のうらわかき女性JR職員に、 はるかは大阪に停まらないから、新大阪を 中継しないとだめで、そうするとかえって高くなるから 通しで買ったほうが良いといわれた。 Sの話で自信をつけていた私は、大阪で分割した切符でも はるかに乗れるはずだと反論した。 その職員は初めは抵抗していたが、私の求めに応じて 後ろにひかえる年かさの職員に相談したところ、 私が正しいということになったのである。

やはりこういう知識は馬鹿にならないものだ。


2005年10月某日

京都大学西部講堂付近で発生される騒音は、このところエスカレートしてきた。 学校当局にはこれらの騒音を何とかしようという意図はなく、 うるさいと思う人は家に帰るか耳栓をして耐えなさいというのが、 過去2年間の私の経験から判断したところの、京都大学の方針である。今日は 外は涼しく気持ちのよい日であるが、とても窓など開けておれない。 仕方がないから窓を締め切りクーラーをつけている。

大学の方針と書いたが、それには少し理由がある。 というのも、先日あまりにうるさいので、学生担当の副学長という人に 文句をいったところ、この人は私の研究室にやってきて、 話しあいをしたいという。 何を話しにわざわざ私のようなペーペーのところに来るのかと思えば、 どうすればよいかと、私に意見をお求になる。 そこで、騒音をだして近所迷惑をかえりみないやからは、断固処罰されるべきだといったら、 学生相手にそんなことはできないという。うそだと思うなら、できるかできないか、 学生を集めるから、私が直接交渉してはどうかという。

こういうことも、私の仕事義務の範囲だというのだろうか。 この発言には大いにあきれたが、私もくじけずに、では副学長の権限と給料をくれたら さっそく交渉をしてやろうと提案したが、これはにべもなく却下された。 そもそも京都大学のためをおもうなら、そんな要求をせずとも交渉をすることで 態度で示すのが良いだろうとのたまう。 そして、京都大学西部講堂と学生との交渉の歴史などを語りだそうとする。

これにはさらにあきれた。この時点では私も相当にアツクなっていたので、そのような話はさせずに、 上に立つものに問題解決意欲と能力がなく、 こんなことを一教授に要求するような大学には 特に愛着はないから、そんなことはせずに他に移ったほうがましだというと、 それならば京大をおやめになったほうがよいでしょうなぁ、とおっしゃる。 ついでに、総長もそういうお考えですし、と付け加えられた。

本当にそう発言されたのである。あまりに悔しかったから、お考えはよくわかった、 学生の太鼓が始まらないうちに勉強をしておきたい、時間が惜しいですからと、 即座に退室していただいた。会談時間は9分間。

まあ、これで大学を辞めるほど私も血気盛んではないので、このように 窓を閉め切っているしだいなのである。典型的な負け犬引きこもり状態といえるだろう。


2005年9月某日

某所にも書いたが、「…させていただきます」という表現を、このごろよく耳にするように思う。 「資料についてご説明させていただきます」とか、 「お客様のために値引きさせていただいています」という表現を頻繁に耳にする。 国会の答弁記録をみても、この形の表現が実に頻繁に使われている。

私はこの表現がきらいだ。

「させる」とは使役表現だから、人に仕事をさせるという形でつかう。 したがって、あえて解釈するならば、させていただくというのは、相手がすでにそうするように命令したので、 わたしはへりくだってこうするのですよという意味である。 そのような状況は確かにあるから、この言葉の組み合わせ自体が誤りと主張するつもりはない。 問題はその使われ方にある。私のみるところ、多くの場合は前後の状況も考えずに、ただただ謙譲表現として使われているようだ。

たとえば、ホテルの従業員から「お留守中にお部屋をお掃除させていただきました」といわれると、 どう考えても掃除を頼んだのは私ということになると思うのだが、 これはあえて頼むようなことなのだろうか。 あるいは、私が部屋を汚すくせに、駄々をこねて掃除を拒否するものだから、 留守中を見計らって掃除するよう、ホテルの管理者が命じました、とも解釈できる。 どちらにしても気分が悪い。「お留守中に部屋を掃除いたしました」とすんなり表現してもらえば、私も要らぬ心配をしなくてすむのである。

政治家が言う「政府案には反対させていただきました」と言う表現も、とても気に入らない。 まるで、誰かに言われて仕方なく反対するようではないか。本来話し手本人の責任でやらなければならない事柄なのにもかかわらず、 「させていただく」と表現するのは、責任の放棄を宣言するに他ならない。 このような表現を平気で使える人を、どうやって信頼したらよいのであろうか。

気に入らないといえば、日本のことを「この国」と表現するのも、私には気に入らない。 「この国の将来のために、政府案に反対させていただきました」などという言い回しをした人を、 テレビで目撃したが、こんなひどい表現があろうか。 「この国」ということで、何か客観性を持たせようというのであろうか。 「この国」には、いかにも自分は善意の第三者という響きがある。 私には、「自分は当事者でないので、私の責任ではないです」というように聞こえる。 せめて「日本の将来のために」、あるいはもっと堂々と、 「わが国の将来のために」とどうしていえないのだろうか。


2005年8月某日

2005年7月18日はわが国の歴史に残る日になるであろう。

この日、居酒屋チェーンのワタミによる「居食屋手づくり厨房」という居酒屋が、 JR赤羽駅東口にオープンしたのである。 午後4時の開店から1時間ほどで、102席の広い店内が超満員となったそうだ。 かねてから禁煙居酒屋支援を唱えてきた私にとっては、うれしい限りである。 (参考  ) 京都店が百万遍の半径1キロメートル以内にオープンすれば、 ミクロ経済学ゲーム理論研究会のあとは、必ずそこに行くことになろう。

ただ、従業員の控室には灰皿があり、店内の一角には「喫煙スペース」があるそうだ。 これは少なからず残念である。 どのような人がこの店に来たいかということを考えれば、 従業員も完全禁煙にすべきであろうし、喫煙スペースなど撤去すべきである。 そのほうが結局売り上げを伸ばすことにあろう

百万遍ちかく、われわれの行きつけ(?)の店も、非常に良いところなのであるが、 禁煙でないのが非常に残念である。 昨夜も、となりのワカモノがタバコをすうので辟易とした。 この店が完全禁煙ならば、私は相当に足しげく通うに違いない。

ともあれ、次に東京に行く機会には、赤羽に行ってみることにしよう。

行ってみるといえば、某読者から、JR千里丘(新大阪の近く)の駅前に、 禁煙の居酒屋があるという情報をもらった。京都からは少し不便な位置であるが、 こちらにもそのうちに遠征することにする。 天満の禁煙立飲み居酒屋にもしばらくいっていないし、 禁煙居酒屋のはしごをするのもおつなものかもしれない。


2005年7月某日

私のコンピュータ環境では、 「にせんえんさつ」をうっかり「にせえんさつ」と入力して変換すると「偽円札」になった。

2000円札の流通量は5000円札と同じくらいとのことだが、 私は数えられる回数ほどしか見たことはない。 新5000円札のほうが、はるかに多く見ている。 確か2000円札は新券に切り替わっていないと記憶するが、 あまりに見たことがないのでよくわからない。 そのうち、見てもよくわからなくなるのではないかと推測するが、 そうなると偽円札もジョークではすまなくなる。

そういえば、一時期騒がれた偽札騒ぎは、下火になったのだろうか。 旧券が危ないというので、私にはATMでお金を下ろすたびに、 透かしを見る習慣が出来てしまった。

暑くなった。京都は、また祇園祭の季節になった。


2005年6月某日

考え出すと、句点の打ち方は難しいもので、悩んでしまう。 小学校では、「ね」をつけて読んでみて、「ね」をつけて一息入れたくなるところに句点を打てと習った。 たとえば、「首相は郵政民営化法案の成立に政治家生命をかけている」という文だと、 「首相はネ、郵政民営化法案の成立にネ、政治家生命をかけているンダ。と自然に読めるから、 「首相は、郵政民営化法案の成立に、政治家生命をかけている」とやれというものである。

これは便利な覚えかたなのだが、ともすると句点の数が多くなりやすくなるような気がする。 句点が多すぎると、読んでいて文章の流れがなんどもせき止められる感じがして、あまり気持ちは良くない。 上の例でも、句点が多すぎてちょっとリズムが悪いように思う。 「首相は、郵政民営化法案の成立に政治家生命をかけている」あるいは、 「首相は郵政民営化法案の成立に、政治家生命をかけている」としたほうが良いかもしれない。

ともあれ、句点を打つ位置は、文章の意味を明確にするという役割をも持っている。句点の位置で、 文意の明確さが影響されるから、大切である。もっとも、それが流れが良いということと同じことなのかもしれないが。

中学校のとき、「昨晩君は家にいなかったね」を英訳せよという問題が試験に出た。 同級生の某は、「昨晩」という単語がどうしても思い出せなかったが、 賢いやつだったのでこれを  Mr. Sakuban was not at home. と訳した。

担当教師はこれを不可としたが、 今でもすばらしい解答だと私は思う。そもそも責任は、句点をうたずに文章の意味をあいまいにした出題者のほうにあるはずだ。 句点をきちんとうっていれば、問題は生じはしなかったはずで、悪いのはむしろ出題者なのである。 たとえば、「昨晩、君は家にいなかったね」と書いてあれば、「昨晩君」も日の目を見なかったであろう。

と、ここまで書いてみて気づいたが、これも Hey, Sakuban, you were not at home. などと訳すことが可能である。日本語は難しいものだ。

誤解を避けるためには、「君は昨晩家にいなかったね」のほうがまだよいようだ。 これにしても、You were not at sakuban-ya. などと訳すことができる。誤解を避けるのに一番良いのは、 「君は昨晩、家にいなかったね」となろうか。しかし、この位置に句点をうたれると、どうも文章のリズムが悪いようにおもう。 しかも、 You are Sakuban, and you were not at home. としてみて、 これが誤訳といえるかというと、そうでもないように思う。


2005年5月某日

露骨に言わないのが日本語のおくゆかしさだという意見もあろうが、 あまりに間接的なのも困る。たとえば、 「よろしくお願いします」、という言葉は、 いろいろと依頼したいことを述べたあとで締めくくるための言葉であるはずだが、 「お疲れ様です。お世話になっています。書類を同封いたします。よろしくお願いします。」 とい簡潔な文体形式で、何を依頼しているのかさっぱりわからない 文書が氾濫しているように思われる。

「よろしくお願いします」の含意に頭を悩ませるだけではなく、 心配性な私は、いったい何をお世話したのか悩み、 またまったく疲れていないことのほうがはるかに多い私は、 疲労するほどもっと仕事をしなければならないのかと罪悪感にまでさいなまれる。

不思議なのは、この種の文章に声高に文句を言う人もあまり見かけないことで、 それも私の悩みのタネであったのだが、 読者のSさんは共感してくださった。しかもこのような例もあると下の写真をいただいた。 場所はJR新宿駅だそうだ。

注意:これを見て何も感じない人は、まずは読み手のことを考えて文章を書く習慣をつけましょう。


2005年4月某日

このところ、 飛行機搭乗の際、荷物の重量制限が厳しくなったようにおもわれる。

原油価格の高騰が始まってからしばらくがたつが、 原油価格が上昇すると、 飛行機の運行コストは燃料消費量に大きく左右されることになる。 機体が重量が軽ければ軽いほど安くつくから、各航空会社が やっきになって客の荷物を減らさせようとするのも、 このあたりが理由なのだろうか。 同様のHは、もしこれが理由だとすれば、 飛行機の重量制限は体重と荷物の合計にたいしてかけるべきで、 手荷物だけをはかっても効果は少なかろうといっていたが、まことに至言である。 もっとも、私は平均的な日本人からするとかなり重たいので、 総重量に対して運賃が調整される制度になると、 より運賃が高くなるのかもしれないが。

長時間にわたる国際線での旅行で、狭苦しいエコノミークラスの座席の 隣に誰が座るかという問題は、新幹線の場合よりもはるかに重大な問題である。 隣に身体の小さな人が座ると、私は思わず微笑み神に感謝することにしている。 しかし、世の中には巨大な人もいる。昨年、ハートフォードからデトロイトを経由して帰国したとき、 ハートフォードからデトロイトへむかう飛行機ではとても神に感謝する気分にはなれなかった。

にこやかに笑うその女性はまさに巨大であった。 どれほど巨大かというと、身体が座席からあふれているために、私の座席との間の 肘掛を下げることが出来ないほどなのである。 私は、これでは安全確保に問題があるのではないかと心から心配したので、 フライトアテンダントに問題を指摘しようかとも考えた。 しかしこの女性、にこにこと朗らかで、とてもいい人らしいのである。 同僚のNによれは、私は経済研究所の海原雄山(註1)であるとのことであるが、その私とて、この人の笑顔を踏みにじるように なかなかそのような話題をフライトアテンダントに持ち出すことは出来なかった。 結局デトロイトまでの2時間ほど、私は自分の右腕を彼女の左腕に密着させて過ごさざるを得なかった。

しかしその後しらべて見ると、 各航空会社には座席の使用の妨げになるものは 排除しなければならないという義務があるらしく、 しかも、そのために 過度に身体が大きく、自分の座席におさまりきらない人に対しては、 隣の人との接触を避けるため、2人分の座席を購入してもらうというポリシーがちゃんとあるのだ。 問題は、このルールが厳密に適応されていない点である。 どうも、実際私にはフライトアテンダントに自分の権利が侵害されていることを 主張し、状況の改善を要求する権利があるにはあったようである。

よって私はここに宣言する。次の機会には、絶対に私の権利を主張する。もっとも、ビジネスクラスで動ける身分になれば 問題は生じないのではあるが。

註1 マンガ「美味しんぼ」に登場する食通家。 人物像については、原書を参照されたい。 何故私がこの人に似ているといわれるのか、今ひとつ釈然としないが、 私はこの人のほうが主人公より好きなので言わせておいている。

註2 海原雄山のモデルは北大路魯山人である。魯山人の随筆集は私の愛読書のひとつである。 魯山人は幼いころを京都で過ごした。


2005年3月某日

所有権は近代経済社会の根幹をなす概念である。何が誰の持ち物であるのかということを、法律で規定することによって、初めて所有権の移転であるところの取引がうまれる。取引を通じて、資源の効率的な配分が達成されうるという理屈は、経済学の教科書が説くところである。

「モノを所有する」というアタリマエのことを、あえて法律で規定しなければならない理由は、 あるものを所有する権利が、いったい誰に帰属するのかということが、 必ずしも自明ではないからである。 仮にある人にとって自明な事柄でも、それは他人から見ると必ずしもそうではないという事情も、 理由のひとつである。 また、所有する人が明らかであっても、あえてその権利を尊重しない頑固者も、 世の中にはたくさんいるようだ。

JRの約款を読むと、指定席を利用するためには、その座席の座席指定券を所持しなければならないとある。 座席指定券が唯一の座席を指定するという前提のもとでは、ある人が座席指定券を持っていれば、 他の人はその座席を使用しえないことになる。したがって、 列車の指定席とは、当該列車が一定距離進行する間、ある席の使用権を所有するということと解釈してよかろう。 ところが、これは必ずしも自明ではないようだ。

京都から東京に向かう新幹線における出来事。私が所有しているはずの窓際席に人がすでに座っていて、 しかも隣の通路側座席にはバックがおいてある。 そこで私は、上で述べたごく自然な解釈から、自分のもつ所有権を主張したわけだが、 この種の人は必ずしも同種の権利概念を共有していない。 あらま、窓際に人が来るのね、などとのたまい、しぶしぶ席をうつり、 ではこのバックはどうしましょうかねなどと、 かなりはっきりとした発声で独り言を言われるものだから、 東京につくまでの2時間20分の間、あたかもこちらが犯罪人のような気分になる。

座席指定をするとき、隣にどのような人が座るのかは重要な情報であり、 本来は隣に座る人によって、料金が変わっても良いはずである。 2時間あまり、読書をするにしろ、昼寝をするにしろ、コンピュータをいじってこのような駄文を書くにしろ、 隣に誰が座っているかで充実感・生産性は大きく異なるから、それに応じて座席の価値も変わるからだ。

東京での仕事を終えて帰京する新幹線では、窓際に座る私の隣に、とても物静かな男性が隣に座った。 この人はきちんと自分の席におさまっているのであるが、少々横幅が大きい。 私も決して小さいほうではないので、すくなからず窮屈である。 名古屋までは9割がた埋まっていた車内であったが、名古屋で大半が下車したため、 周辺は空席だらけになった。 次は京都で、大阪が終点だから、常識的にいって、 もはやあらたに人がやってくる可能性はない。 したがって、仮に移動しても他人の所有権を侵害する可能性は、実質的にはなくなったと私には思える。その場合、 指定席で保障されていた所有の概念は緩和されるべきで、 私の感覚では、席を移ることはむしろ推奨されて良い。

ところがこの男性、この所有権緩和ルールには賛成しないようで、頑として移動しない。 全部で10人も乗っていない車内なのに、なぜか私の座る2人がけの席だけ、 他人同士2人が肌をすり合わせ、並んで着席しているのである。 読者も同様な状況におかれたならばすぐに気づくと思うが、 この場合、窓際に座る人が、通路側にすわる人をまたいで、 他方面に進出して位置を変える行為はなかなかとりにくいものである。 そのため、私はこの男性が気づいて移動してくれることを、 五山の神様仏様にひたすら祈っていたが、 何が楽しいのかこの人は私の隣にすっぽりおさまったままなのである。

たしかに、可能性を追求すれば、名古屋で違う車両に誤って乗り込み、 自分のもつ指定席にたどり着く前に便意を催してトイレに駆けこんだが、 間の悪いことにそのときに取引先からの電話がかかってきて、 あわててて取り出した携帯が便器の中に落下して対応に困り、 いまだ自分の席に到達できないでいるという、 不幸のかたまりのような人物が存在する可能性は否定できない。 その人が、危機をなんとか乗り切りやってきたとき、 自分がいつも指定して座る指定席に、 むくつけき男がぽったりと座り込んでいたとしたら、 間違いなく良い心持はしないであろう。 それは、私にもわかる。

結局、米原あたりで私は根負けして、 斜め前の誰もかけていない3人がけの席に移動して、開放感にひたった。


2005年2月某日

節分の時期、京都大学正門付近はずいぶんとにぎやかになる。 これは節分になると人々がこぞって大学に学びに来るからではなく、 大学のすぐ隣にある吉田神社で節分祭がおこなわれるからだ。 節分祭は、2月の2日から4日まで、3日間おこなわれる。 正門前の細い道は、ちょうど吉田神社への参道のひとつにつながっているので、 ここには縁日につきものの屋台が多数並ぶ。

節分祭は3日間おこなわれるが、中でも有名なのが、初日夜におこなわれる追儺式(ついなしき)、 通称「鬼やらい」と言う儀式だ。 まずは、方相氏(呪術師)が子供を多数引き連れて登場し、神社の境内で祈祷する。 この方相氏は4つ目で、しかも大きな牙をいくつもはやしているので、 うっかりするとこちらを鬼だと思ってしまう。 祈祷が終わったころ、赤・青・黄三色の鬼が登場する。 赤と青は大声をだして暴れ、まさに鬼という印象だが、黒は動きに乏しくなにやら 泣いているようだ。 これには理由があって、 鬼は人間の三つの煩悩の象徴で、赤鬼は「貪欲」、青鬼は「怒り」、黒鬼は「愚痴」 の象徴になっているからだ。 鬼どもは、それぞれが象徴する煩悩におうじた動きをすることになっている。 泣いているように見える 黒鬼は、じつはひたすら愚痴を言い続けているのだろう。

鬼どもがあたりを一周すると、おもむろに四つ目の 方相氏が子供たちとともに動き始め、鬼どもを追いかける。 鬼どもは追われて逃げ出し、方相氏と子供たちは 鳥居の外に鬼どもを追い払いあとを追いかける。 おそらくは、街の外に煩悩を追い払ったということであろう。 最後に、鬼が逃げ出した方角に向かって矢が放たれて、鬼やらいは終わる。

吉田神社によれば、この儀式の起源は平安時代の初期で、 当時宮中にておこなわれていたものが現代まで継承されてきたものだそうだ。 追儺式自体は、吉田神社だけではなくほかでもおこなわれる。 もともとは旧暦の大晦日にされた行事で、 旧年中の煩悩をとりさって、心機一転新年をむかえようという趣旨のものだったらしい。 節分とは24節句における立春の前日であるが、 立春をもって新年とする地域も多くあったということなので、 吉田神社の 鬼やらいは節分を大晦日とみなしておこなわれているのだろう。

さて節分というと、大阪の丸かぶりすしの話を以前書いた。 節分の日に、その年の恵方(その年の干支によって決まる縁起の良い方角)を向いて、みんなで太巻きを、 切らずに端からがぶりと食べる。 しかも、食べるときには無言で食べなくてはならず、途中で声を発したり、 食べ切れなかったりすると、ご利益はないという。 本来は、途中で休むのもご法度で、食べ始めたら最後まで もぐもぐと食べきらなければならないものらしい。 「丸かぶりずし」という穏やかな名称に反して、 これは真剣勝負の荒行なのである。 女子供にはとてもできることではない。

このような奇怪な風習は、大阪でしかはやるまいと思っていたら、 首都圏にもみるみるひろがって、いまや北海道から沖縄まで、 各地のスーパーやコンビニエンスストア、デパートで丸かぶりすしを売っているとのことである。 そのうちに豆まきに代わって、節分とえいば当然まるかぶり、という時代が来るのかもしれない。 吉田神社では、いまのところ「福豆」という豆を売っているが、 100年後はどうなっているだろうか。

この丸かぶりすしの風習は、吉田神社の神事よりは歴史がかなり浅いらしいが、 はっきりとした起源や流行のきっかけは不明とのことだ。起源のほうは、 江戸時代末期に大阪・船場で太巻きを食べて商売繁盛、 無病息災を願ったのが始まりとする説が有力らしい。 現在のブームは、コンビニで丸かぶりのキャンペーンがおこなわれていることが 原動力であろうが、そののきっかけになったのは、 1977年に海苔の販売促進イベントとして、 大阪ミナミの道頓堀でおこなわれた太巻きの早食い大会であるという説がある。 これならばいかにも大阪らしい。


2005年1月某日

こんな夢を見た。

石造りの門を通り抜け、一筋の道が丘を上ってゆく。 丘の上に、高い塔が立っている。 なんだかそこにたどり着かなければならない義務感のようなものを感じて ひたすら上ってゆくが、思うように体が動かない。なんだかプールの中を歩いているような、 奇妙な抵抗を身体全体に感じる。わざわざこんな狭い道を登る必要はない。 大通りに出てタクシーに乗りたい欲求に駆られたが、がまんして歩く。ひたすら、一歩一歩、歩く。

丘の上までたどり着くと、駅の自動改札のようなゲートがある。そこを通り過ぎると、 「ピ」という音がして、機械に「32,518円」という数字が現れた。一週間ほど前に見たときは確か10万円近くあったはずだ。 まったく使っていないのに、どうして減ったのだろう。だいいち、今あれだけ苦労して上ってきたのだから、 ポイントが増えても良いはずだ。

「昨日、アメリカが脱退しましてね。結局、買い手がいなくなったんで温暖ガス排出権市場は暴落ですわ」

ふとみると、駅員のような人が説明している。前方の掲示板には、1ポイント=203円という相場が出ている。 一週間前は1000円以上していた。せっかく歩いてポイントを増やしたのに、相場が下がったのではつまらない。 なんだか急に馬鹿らしくなった。

改札を通ると、奥のほうで和服を着てバンジージャンプの 順番を待つ人がいたので、そこに並ぶ。サンバを踊る陽気な人たちだ。その人たちの派手な服装と化粧を見ている うちに自分の番になる。 あれ、私はジャンプするつもりはないですよ、と言おうとすると、和服のサンバ軍団の頭領が いつの間にか私の後ろにいる。 私といえば、見てくれだけは立派だが、よく見ると今にも切れそうなロープを身体に巻いている。

「昨日まで、誰も失敗していないから、大丈夫大丈夫。」

では一体これまで何人跳んだのかと聞いたら、私が3人目だという。 おいおいちょっと待ってくれ、と言う前にポーンと肩を押された。 地上にたたきつけられる前に目が覚めた。