1999年の独り言

by 梶井厚志

1999年12月某日

ある古くからの友人が,あの高名なM井A彦氏のWWWページをみたらしく、私もこのくらいの事をしなければ独立行政法人化を生き残ってはいけないぞと驚かすものだから,だいたいM井さんにホームページの作り方を教えたのはこの私なんだから、ネット上では私のほうが有名です、と答えたが,ちょっと不安だったのでGOOで検索をかけてみた.すると、「梶井厚志」でヒットするのが89件で、M井A彦だと72件であった.くだんの友人にそれを連絡すると,私が「アダルト」とか「えっち」とかという単語をページのタイトルに使っていないかと言う.失礼なやつである。

さて検索をしてみてわかったのだが、M井氏のほうも最近よく軽いエッセイを書いていらっしゃるらしく,気づかぬうちにこんなページができていた.この人はこんなくだけたエッセイを書くのが得意で,「戦略アプローチ」の連載のときも、本文の構想なしでも出だしの小話だけさらさら書けてしまうのだ。

連載の小話は、半分は私が書いたのである.小話と本文で分業をしたわけではない.ただし, 初めの4回をM井氏が書いたため、そのあとの4回を引き継いだ私は、 同じようなタッチで話を続けるために、それなりの苦労をした。 M井さんの奥さんは私が書いた部分もM井さんが書いたと長い間思っていたらしいから、 これは相当なものである.喜んで良いのかどうかはわからないが.

ところで,一般に,M井さんは驚くほど仕事が速い.T大の学生諸君はもうご存知と思うが,どのくらい早いかと言うと、こっちがまずお茶を入れている間に、1ページが書き送られてくる.こちらがプリンターのスイッチを入れてプリントアウトしているうちに、次の数ページが送られてくる.彼が書いた物に手を入れようとプリントアウトを読んでいるうちに、また2ページくらい追加が送られてくると言う調子である.テストの問題も10分もあれば3クラス分作ってしまう.あやかりたいものである.

追記1: M井A彦氏本人によれば,仕事を早くこなす秘訣のひとつは教員会議の時間の有効利用だそうである。

追記2: また,入学試験監督に費やす時間も有効利用の方法も検討しているらしい。 

 


1999年11月某日

えーい,俺がやる.社会経済専攻のページの管理を始めました.社工の学生は必見


1999年11月某日

筑波大学では,広いキャンパスにかかわらず,違反駐車が大きな問題になっている.私は通勤に車を使わないせいか,学内の駐車がどのような制度で行われているのかをあまり良く知らないのだが,筑波大学新聞(11月8日号)に詳しい記事があり,参考になった.問題の解決に向けて,いろいろな意見があるようで,それが学生の視点から紙上にはまとめられているので,本学に所属する者には必読の文献であろう.

これらの意見には,いろいろな不備があるように見受けられるが,細かいことを指摘する気はしない.しかし,どうも重要な視点がひとつ欠けている気がするので独り言する気になった.

それは駐車場の経済学的費用が誰に負担されているのかが明確になっていない点である.すでに,駐車証を「無料」で与えられているものたちは,それを既得の(しかも当然の)権利と考えて,駐車することで自分が消費しているサービスの対価を,自分以外のものが支払っているということに気づいていないようだ.潜在的に既得権益を自分がもっているということを知っていて,その権益を守るという,至極自由経済的な発想で行動している,と言ったほうがより正確であろうか.

駐車場問題は私の大好きな経済問題で,毎年学類の試験にはこれを題材にした試験問題を出しているが,来年の学生がどんな解答を寄せてくれるかが,楽しみである.

 


1999年11月某日

英略語の怪

原子力事故を起こしたのはJCOで,同じ日に不正補助金疑惑か何かで取沙汰されたのはJOCであった.混乱したのは,私だけだったのだろうか.旧国鉄はJRで,農協はJA,タバコはJT,高速道路を管理しているのはJHだそうで,今はこれ以上思いつかないが,Jに一文字付け加えたのは,きっと何かの略称になったいるだろう.

3文字だからといって,わかりやすいわけではない.上記の2例に加え,耳に赤鉛筆をはさんだ人がたくさん新聞を読みふけっているのはJRAの建物だが,何のことかわかりますか?

もともと日本人は単語を縮めてしまうのが大好きだ.もっともそれが日本語にある種のリズムをつけるのに役立つから,一概に略称を使うのが悪いとは思わない.私の所属する社会工学系も社工の通称の方が通りが良い.つい先日,学生に「しゃかいこうがくぅ?ああ,社工の先生ですね」,という応対をさたほどである.

公共性を考えここでは列記しないが,そのままでは恥ずかしくていえないいかがわしい言葉でも,略称だと平気でいえてしまうようなので,あえてわかりにくく略されたものもあることは確かだ.一例として,ネットの検索で「コギャル語」を引いてみると,赤面してしまうような略称がいろいろあって面白い.したがって、わかりにくくするために,あえて使う略称もある.

してみると,あえてわかりにくくするためのJTであり,JCOなのか.JCOにいたっては,いまだに何の略なのかわからない.


1999年10月某日

アクセス数2万回を突破


1999年8月某日

以下、筑波大学学生新聞に『私の1冊 阿佐田哲也「麻雀放浪記」』という題で書いた原稿。

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1987年8月、スーツケース1つと機内持込の手荷物1つをもって、私はアメリカ留学のため、成田からニューヨークへ行きのノースウエスト機に乗った。そのときにはじめて機内で読んで以来、この痛快な小説を、何度読み返したかわからない。

この小説は、終戦直後の日本で、ばくち以外には何もせずに生きていこうとするとんでもない人々の生活を描いたもの。ばくちはほとんど経済学的価値を創造しないから、必然的にみんなでわずかな獲物を取りあうことになる。負けたやつはどんどん消えていくし、消えたって誰も同情なんかしてくれない。生活の保証なんかもちろんない。だから、知恵を絞って工夫(=いかさま)することを考える。敵を凌駕する自分の技がなければ、生き残っては行けない。こういう奴らは、勝つための努力を日夜惜しまないのだ。そんな姿が、この小説には実に生き生きと描かれていて、文庫本で全部で4冊、一気に読めてしまう。第1巻は映画化された。麻雀のルールを知っていなくたって読める(んじゃないかな)。

第1巻の冒頭、主人公の「坊や哲」は、チンチロリン(さいころをつかったばくち)にはじめて参加するのだが、じっと見ているだけでなかなか賭けようとはしない。なぜなら、
「やるからには、私なりの方法論を持ちたかった。勝つか負けるか、結果はわからない。ただ、セオリイを作ればそれに賭けられる。負けたところであきらめもつく」

からだ。果たしてアメリカでやって行けるのだろうか、何が待っているかわからない自分の留学生活への不安を抱える私に、印象深く残った言葉だった。自分がものになるのかどうか、何も保証がないから頑張れたのかもしれない。その証拠に、安定した生活にどっぷりつかった今になって読み返すと、

「手前っちは、家つき職つき保険つきの一生を人生だと思っていやがるんだろうが、その保険のおかげで、この世が手前のものか他人のものか、この女が自分の女か他人の女か、すべてはっきりしなくなっているんだろう」

という「ドサ健」の言葉が胸に痛いのだ。

 


1999年5月某日

だいぶん前に書いた大学生論を補強するための資料(大学審議会資料より− 日本経済新聞1999年5月16日より転記)

 

年度

4年制大学進学率(%)

1965

12.8

1985

26.5

1998

36.4


1999年5月某日

大学院の改編だそうです。結構な話ですが、とりあえずは外側の箱を作るということだけらしいです。カリキュラムをどうするかなどの議論は一切ありませんでしたから。それとも、私の知らないところで行われてしまったのか?

またしても履歴書とか業績目録とかを書かされました。3年弱の間に、実に4回目です。私のホームページの業績リストのアドレスを書くだけじゃだめらしいです。悔しいので、新しく作ったのをここに貼っておきます。

 


1999年4月某日

 

10000回目のヒットは誰だかわからずじまいですが、記念すべき12345回目のヒットは私の高校のときの同級生のS君でした。


1999年4月某日

 

新学期へ向けての誓い。授業中に携帯電話を鳴らさせないこと − 初日の授業に2回も鳴った


1999年3月某日

「地域振興券使えます」の表示を見るたびに腹が立つのは私だけでしょうか。

 

追記: 地域振興券は、経済学的には、所得税を納めていないために所得税が減税できない人々への「所得減税」ですから、所得減税による経済効果が期待できます。しかしながら、なぜこの人々たちが減税対象にならなければならないか、またなぜ「振興券」を発行して管理するという莫大なコストを費やしてまでこの方法を取らなければならないのかという点には議論の余地がありそうですが。

追記2: 新宿歌舞伎町で、金曜よる8時ころに現金1億円くらいをばらまくほうが、即効性がある経済政策におもえるのは私だけでしょうか。少なくても配布と管理にコストはかからないぞ。

追記3: ある読者からの質問: > でも、歌舞伎町でばらまくと、コワイお兄さんや、外国人がみんなとってっちゃうので、ヤミ経済の取引に使われ、GDP成長率の上昇はあまり期待できないんじゃないでしょうか?

GDP成長率は景気を測る指標であって、目的そのものではではありませんから、統計に現れない部門から景気が回復しても一向に構いません。もっとも、コワイお兄さんや、外国人がみんなとっても、彼らは特定の産業に特化しているわけですから、そのお金が「闇の世界」からでないことは考えられません。お金はかなり短期間の間に、どこかに使われて(最悪でも(^^)銀行預金になって)取引が起こります。

追記4: ある読者曰く :> 私は、消費性向が著しく高い人種である、学生にばらまくべきだったとおもいます。

それでも良いです。筑波大学3F棟の11階からばらまけば、かなり盛り上がったことでしょう。

 


1999年2月某日

 

2月7日、東京は御徒町付近の交差点で、車をおりる際に財布をおとしてしまったらしい。歩きはじめてすぐに財布がなくなっているのに気付いてすぐに引き返したが、使いはじめたばかりの黒革の財布は、はげしく行き帰する車にはねとばされて道の真中にぽかりと穴をあけた工事現場に落ちてしまったのか、既にあとかたもない。それでもひろって届けてくれた人がいたかもしねれぬと、御従町交番に行ってみたが、届いてはいなかった。

普段から自分でもあきれるほど物をよくなくすのだから、財布が見あたらなくなってしまったのはもとより初めてではない。1983年夏、旧ソビエト連邦を旅行中、モスクワからレニングラードへの夜行列車に財布をおきわすれてしまった。当時大学生で初めての海外旅行だったので、現在海外に出かける時よりもはるかに用意周到であった私は、パスポートやトラベラーズチェックをはじめ大切なものにすべて腹巻にいれていたので、財布の中にはとりあえず使うつもりの約3万円相当の現金しか入れていなかった。旅行の続けるに支障はなかったので、まああきらめるしかないと自分に言い聞かせたのだが、翌日エルミ夕ージュ美術館に出かける際、ホテルのフロントに鍵をあずけに行ったら、財布をおとしたでしょうと言われた。指示されるままに近くの警察に行くと、確かに見おぼえのある財布が届いている。支障はなかったとはいえ3万円は当時の私には大金だったので、もどってきたのはたいへんうれしかった。しかし後で考えると、現金以外に何もはいっていなかった財布がどうして届いたのか。監視されていたようで、いまだに気持ちが悪い.

御徒町交番も慣れたもので、財布をなくしたと言うと、クレジットカードの一覧表を手際よろしく出してきてくれて、交番の電話を使ってカードの使用中止の手続をしてよいと言われたのはありがたかった。クレジットカードと銀行のキャッシュカードをすべて使用停止にすべく電話をかけ、残高に変化はないと知らされ、まずは一安心。郵貯のカードはすっかり忘れていたが、翌日思い出し、これも不正使用される前にめでたく使用中止にできた。JCBのカードは、数日後私の机の中から出てきてしまったが、これはご愛敬というべきか。

カードのほうは、それで新しいものが送り返されるが、身分証明の類は写真を持って再発行の手続きを取らなければならない。学校の身分証明は、すぐにここで再発行の手続きができるが、自動車運転免許のほうはおっくうだ、と思っていると、つくばの警察署にいけば話が済むことを知った。写真と印鑑を持っていって、3500円払うと2週間ほどで再発行できるという。警察署の窓口で、安全協会に加入しているかと聞かれたから、安全協会とはなにか知らぬから、おそらく加入していないと答えたら、受付の人に笑われた。家の中置き忘れていることはないですか、と訪ねられたときには、JCBカードのことがあったのでどきりとしたが、もしそうだとしても私には探し当てる能力はないと思うというと、また周囲にくすくす笑う人がいる。書類を書き終え提出し、もうなくさないようにしてくださいというのに、はいと元気よく答え帰宅したが、窓口に印鑑を置き忘れてしまった。

さすがに警察で、印鑑は翌日無事回収できた。しかし今回は誰も見ていてくれなかったのか、未だに財布は出てこない。


1999年1月某日

 

いつのまにかアクセス回数が1万回を超えているではないですか。もっとも、自分でアクセスしているのが数100回はあると思うけど。1万回目のヒットを達成した人、誰ですか?


1999年1月某日

 

経済セミナー連載記事:一般均衡で苦しんでます。どう書けばいいのだろう。


1999年1月某日

 

何年ぶりかでボーリングにいきました。柳仙で飲んでからダイワーズ・ランドへ(地元の人しか分からないだろうなぁ)ふっとさるクラブの若人たちとでかけ、3ゲームやってきました。

もともとそれほど上手なほうではないけど、それにしても思ったようにいかない。もっとも、これがこのゲームの面白さか?第1投が1番先頭のピンにあたらず苦労しました。この夜隣のレーンでストライクを連発、ただでさえ普段からうるさいのにターボがかかってしゃべりまくっていたK君に、「なげる位置がずれてるんじゃないんですかぁ」と指摘され、そんな事は分かっているわいと自分では修正したつもりなのに、やっぱりボールは先頭のやや右側を、毎回正確に通過していきました。くそー、おまえなんかに次は負けないぞ(ハンデ50点ちょうだいね)

 


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