1998年の独り言(前半)

by 梶井厚志


1998年4月某日

 

新学期になりました。今学期は3コマ、すなわち週2回の授業を3セットやっているので、なかなか体力を使っています。金曜日などは、1時限が入門レベルの経済学、2時限が修士課程用の中級ミクロ、昼休みを50分はさんで、3時限が博士課程用の上級ミクロです。

入門レベルの経済学の講義では、今のところ100人以上出席しているようです。(登録しているのは随分居るんだろうなー) 300人以上収容可能の大教室で授業をするのははじめてなのですが、やはりこのサイズになると、時々私語をする学生を黙らせる以外は完全に授業も一方通行になってしまって、あまり手応えがありません。

 


1998年3月某日

 

新説: 「公的資金投入」というから世間の反発を招いたのでは?「政府貸し付けの強制受け入れ」 なんて言っておけばよかったのに。 


1998年3月某日

 

いよいよ「公的資金」の導入が始まりました。劣後債の購入が主な形式になったようです。(しかし「劣後債」よりもましな訳語はないのかなー) 金融システムの保護にどれだけ効果があるかは、議論の分かれるところですが、しかしほかに選択肢はそうないでしょう。金利の付け方にはかなり疑問がありますが(たとえば東京三菱の調達金利よりも、SPやムーディーズの格付でははるかに格下の金融機関に有利な金利を与えているのはなぜなのでしょう?) [後日記: これはニュースに間違いがあったみたいです。実際には格付けを反映したものになりました。]

その時に銀行のリストラが条件になっています。「モラルハザード」を防ぐ、という名目になっていますが、それに対して賃金抑制をもって答えるというのが定石になっている感があります。世論を気にして、というのが率直な理由でしょうか。もっともプランの詳細が公表されているのではないので(まだ決まってないのかもしれないが)はっきりはしませんが、こうした傾向は悪しき横並びになる可能性があるので、心配です。

そもそも給与決定はは企業内の労使間の問題ですから、公的資金の導入と直結させるというのはどうでしょうか。銀行の体力不足が、行員の給与体系とどのような関係があるのかははっきりしていないはずです。そもそもこの手の議論は金融機関の賃金が高すぎるというのを前提としていますが、確かに業界全体の平均賃金は高いものの、なぜ金融機関の賃金が「高すぎる」のが自明なのでしょうか。金融機関の名目賃金が高いとすれば、それは労働市場の問題ですから、労働の需給関係で決まっているはずです。したがって、金融システム保護と、されに金融破綻の責任追及までふくめた議論をしても、金融機関の賃金調整という問題に、直接の関係はないようにおもわれます。

もちろん、ここに問題がないと主張をしているのではありません。特定の業種における労働の非効率性の問題は、むしろ日本の労働市場全体の問題(慣習や年金保険制度の欠陥から、仕事を変わりにくい、効率の悪い部門を整理しにくいなど)や、保護行政の結果に関わりますから、労働市場の流動化と規制緩和が進めばまた自然に調整される(はずの)問題です。いっぽうで金融のなかでも、技術や知識をたくさん要求される部門の給与平均は世界的に見て高くありませんから、わたしは平均賃金はむしろ上昇すると思っています(雇用は減るでしょうが ‐ いわゆる一般職などなくなっていくでしょう)。

労働市場構造の議論を無視した賃金の横並び一律調整は、必ずや生産性の高い人々(=一番大切な人々)の離反を招くでしょう。そうすれば、銀行の体力は一層低下してしまうのではないでしょうか。

 


1998年2月某日

 

代々木ゼミナールのホームページで大学の入試問題を見つけました。東京大学の理系数学と、早稲田大学の政経学部の政・経の問題を見てみました。難しいよー。

 


1998年1月某日

 

前に居酒屋について書きましたが、(1997年10月参照) つい立ち寄るというのはこんな感じのところです。

 


1998年1月某日

 

今日組織と情報の経済学という専門科目の中間試験をしまして、今採点し終わったところです。例によって、試験問題は先に配っておいた練習問題の一部を、少しだけかえて出したのですが、またまた例によって、出来のわるい答案をたくさん見せていただきました。練習問題は大昔に配布してあって、試験にもそれが出ると分かっていて、どうしてこうなるのか、受験生の諸君には理解しがたいことでしょうが、少なくとも今回の試験に関してはこれが結果です。

一つ気づいたのですが、試験の平均点を見ると、学年が低い方が高くなっています。最高点も1年生(正確には、今年2年生に編入してきた学生)でした。もう少し詳しく言うと、今年入学の学生3人の平均点は80点(でかした!)で、受験者20人の平均点は、この3人のおかげで随分上がっているものの、42点です(ちなみにメディアンは41点)。まあ期末試験もあるのでなんとも言えませんが、このままだとずいぶんたくさんDをつけることになるでしょう。

そこで去年教えた専門科目のゲーム理論の成績表を調べてみると、一人だけ生き残った2年生が2着でした(1年生の受講者なし)で、4年生は1人を除いてみな不合格でした。

この観察から何が分かるでしょうか。

さて皆さんはどう思います。学生、受験生の方からのご意見、お待ちしてます。

 


1998年1月某日

わたしはだいぶん前から自分からは年賀状を書かないので(返事は書きますが)、あまり年賀状を受け取りません。それでもりちぎに書いて下さる方はずいぶんいるので、ありがたいものです。

大学、高校の友人から来るものは子供の写真付きのが多くなりました。わたしには子供がないためかもしれませんが、いまだにこの感覚はわからないです。家族みんなで写っていると、おやこいつもこんなになったか、きれいな嫁さんだな、子供は母親似かね、なんて思ったりできるのですが、じっさいは赤ん坊だけがゴロンと横たわっている写真がくっついているなんてのが結構あって、これはそもそも親の顔を忘れてしまっているからとても始末に困るのですが、送るほうは、いいと思っているんだろうなあ。


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