2020年12月某日
新冠の温泉施設は、日高の海岸沿いを走る国道から外れ、急な斜面を登ったところにある。国道から車で1分もかからない場所にあるのだが、国道から歩いて上ると斜面はきつくてかなり遠く感じる。小高い丘の上に位置するこの温泉施設の前は、草地の下り斜面で海に向かって開けている。直接目を遮るものはほとんどなく、南西方向に太平洋を望み、景色が良い。視界の右手に北西に続く海岸線が見え、その先には、樽前山や登別のあたりが見える。正面は、方角としては下北半島か亀田半島(渡島半島の南東部)を向いているはずだ。天気の良い日に目を凝らしてみると、水平線上にうっすらと黒い陸地が見えるような気もする。
風呂からも、同じ景色を楽しむことができる。夕暮れ時に風呂につかりつつ新冠の町中心部や海を眺めるのはたいへんおつなものだ。ここから見ると、新冠駅のまわりだけに建物が集まっている様子が良くわかる。とはいえ、家の数は1分もかからずに数えあげられる程度だ。新冠駅のある日高線は、線路が壊れたために数年前から運休しており、しかも修理はせずに廃線となることが決まっている。それゆえ、駅といってもその本来の役割を果たしているわけではない。そのうちに近くにある「道の駅」のほうが名実ともに町の中心になるのだろう。数年のうちに、新冠には日高道がとどく見込みになっていて、そうなれば札幌まで1時間半ほどで行けるはずだ。
そんなことを考えながらぼんやりと夕暮れ時の太平洋を眺めていたら、巨大な四つ足動物が左から右にのしのしと歩いていく。野生動物だ。自分の入っている風呂からは、せいぜい30メートルくらいの距離だが、水につかっている毛のない動物になど気を遣う様子はない。。馬か?いや立派な角を持ったおおきなエゾシカだ。逆光なので毛づやまではわからないが、秋に食い足りているのか雄大な馬体、いや鹿体をしている。こいつをパドックで見たら一目ぼれして単勝を買いそうだ。
エゾシカはいたるところに現れる。現れるだけならよいが、おとなしくしておらずに様々なものを食い荒らすから住民は困る。 北海道では、エゾシカを食肉として活用する取り組みを積極的におこなっているそうだ。毎月第4火曜は「シカの日」で、この日には大いにシカ肉食が推奨されているとのこと。鹿の肉は高級食材なのだが、野生のシカを食肉用に処理するのは簡単ではない。もとより、精肉されたエゾシカを見る機会はほとんどない。なので、かなり頑張っても道民がエゾシカを食い尽くす日は来そうにもない。
2020年11月某日
日本の国鳥は朱鷺(トキ)だと長らく思っていた。朱鷺の学名はNipponia nipponだからである。しかしよく考えてみれば、学者がつける名称と、特定の国の象徴が関連しなければならない理由はない。学名に日本が2つ入っても、我が国の象徴的な鳥である必然性はないわけだ。
実際、日本の国鳥は雉(キジ)である。ほとんどいなくなってしまった朱鷺にくらべれば、北海道にも広く分布しているらしい雉は、珍しい鳥ではない。我が家の近所にも一羽住みついているらしく、春先には盛んに声を上げていた。このご近所は雄である。雉のオスはなかなか華やかないでたちしていて目立つ。鳴いて羽をバタバタとさせるものだからすぐにわかる。これでは外敵から狙われやすかろうとは思うが、メスを引き付けるための決死の装いと行動なのだ。メスのほうも時折あらわれるようなのだが、メスのいでたちはとても地味で、草むらに隠れられると全くわからない。
夏を過ぎ、しばらく声を聴かぬと思っていたところ、つい昨日雄の雉を発見した。畑の何かを食べていたところに、私が知らずに至近距離まで接近したようで、突然大声を上げてバタバタと動き始めて飛び立ったのである。よほど驚いたらしいが、驚いたのはこちらも同じだ。こいつはあまり飛ぶのが得意ではないようで、軽やかにさっと身をかわす雀やカラスが戦闘機なら、飛び立つのに随分と長い助走区間を必要とする旅客機というところ。
この雉が、春に盛んに活動していたご近所さんかどうかはわからないが、華やかないでたちは春と変わらないように見える。雉は、繁殖期以外には雄雌別々に生活するそうで、メスを引き付ける必要のない今の時期のオスにきらびやかな服装はいらないのだが、そこまでは効率的にできていないらしい。
2020年10月某日
2002年8月に公布された健康増進法は、その後数度の改正をへている。2020年4月から全面施行された改正健康増進法により、屋内は原則禁煙となった。しかし、この原則には例外が非常に多い。酒を出す飲食店、居酒屋はなかなか網にかからないように見える。そのため、実際に禁煙居酒屋が増えるのは、条例でも喫煙が規制されている東京ぐらいかと私は予想していた。
3月末になんとかシンガポールを脱出して帰国、その後は自宅待機を経てオンライン授業へ移行したために、私は 4月以降ほとんど家から出なかった。それゆえ、この法律によって禁煙居酒屋が果たして増えたのかどうか確認する機会がなかったのである。前年度から大学にたまっていた書類にハンコを押しに行く必要に迫られて、久しぶりに学校に行ったのは6月のことである。その時、久しぶりに梅田に行っておどろいた。結構増えているのである。 かつて、禁煙居酒屋を見つけたらかならずはいると決めていた私だが、その看板を下ろさないと身が持たないほどの数になっていた。
とはいえ、梅田はこの辺りでは一番禁煙の店がありそうな場所ではある。しかし、三宮あたりでもかなり増えている。きわめつけは十三だ。十三といえば、列車内がたばこの煙でもうもうとしていた昭和時代がそのまま保存されて生き残り、駅を降りればたばこのにおいが蔓延しているような印象をあたえる場所である、そんな地域に何軒もあるのには驚いた。十三には大箱の立ち飲み居酒屋があり、その店員はほとんどが中国人のアルバイトで不思議な雰囲気をかもしだしている面白い場所だが、ここも禁煙になっていたので私は常連になりつつある。ここ以外にも禁煙立ち飲みの場所を4軒発見した。それぞれ特色があって面白い。
そういえば天満の禁煙の立ち飲み居酒屋、奥田はどうなっているだろうと、久しぶりに出かけてみた。ここは私が20年前に初めて天満界隈を徘徊したころからある老舗の禁煙立ち飲みだ。コロナ対策で、さまざまな仕組みが導入されていて、そのため雰囲気は少し変わっていたが、無事営業していて安堵した。
2020年9月某日
SWET2020が終わった。関係者の努力と胆力のおかげで、今年もなんとか対面で行うことができた。これから何十年も経ってだれかがこの文章を見たときに、何故対面というところに強調が入っているのかわからず疑問に思うことを望む。
終了後2週間を経過したが、感染者、及び感染が疑われるような人も出なかった。少なくとも、私のところに報告は来なかった。もとよりこれは極小確率の事象だとは分かってはいるものの、万が一の時には大いに面倒なことになるから、安堵した。
2020年8月某日
リアルタイムのオンライン授業やセミナーをかれこれ4か月やってきて気付いたこと。反応のない相手に向かって話すのがいかに難しいか。
授業で学生の反応が乏しいと様々なところで書いたが、その反応のない学生たちでも、目の前からいなくなってみると調子が出ない。反応がないといっても、全く真空状態というわけではなくて、なにがしかの生体反応はあったのだ。それを感じながら、話の内容を調整していく。だから、話しながらも次にどうしてやろうかと頭を使う。そんなプロセスがある。そしてそんなプロセスを用いて自分も学習していたと今頃になって気づいた。
オンディマンド教材は、はじめからそのような反応は期待できないから、割り切って淡々と用意する。こちらは編集が効くので、録音したものが気に入らないと取り直すことができて、精神衛生上は好ましい。余計な時間はかかるが。こちらは自己陶酔の世界か。ただ、やはり聞き手の反応がつかめないのは痛い。
そんな事情もあって、予定していた東大と慶應でのセミナーはキャンセルした。両方ともオンラインなので。代わりにSWETでは久しぶりに話すことにした。
2020年7月某日
早いもので、学期も終わりに近づいた。本学は潔く授業期間の延長(=夏休みの短縮)は行わなかった。もっとも、オンライン(オンディマンド)の授業だから、学期を伸ばしたところでどれほどの効果があるのか疑わしいから、この判断は合理的だ。
試験は小テストを9回やったので(10回を目指したが力尽きた)、期末試験は行わない。自動的に採点してくれるから、あとは表計算の操作を間違えさえしなければ、成績付けは簡単なはず。だが、何事も予定通りにいかないのが今学期だ。小テストにしても、ほとんど多肢選択で、しかも同じ試験を3回も受験できるのに、驚嘆すべき解答が続出した。0点の答案が多いことにも驚いたが、、連動するはずと考えて作った問(たとえば5番が解けると6番も自動的に解けるはずというようなもの)が全く連動しなかったこともあった。学生たちの受験行動には想定外のことが実に多い。人間行動とは本当に豊かなものだと改めて感心した。
来学期はオンラインか対面か選択できるらしい。事態はまだ流動的だから、サプライズがあるかもしれないが。希望どおりになるのなら、私はミクロIIというのと数学ツールAというのが大人数(後者は実質的な受講者は少ないのかもしれないが)だから、これらは迷わずオンラインだ。オンラインでできるように、数学の試験や練習問題は、選択問題を多用しなければならないのが少し心配だが、この機会に学ぶとしよう。それ以外に少人数のゼミが3つある。これらはオンディマンドというわけにはいかないし、ZOOMで議論をしようにも、その前に学生の接続環境に頭を悩ませたりしてかえって面倒なのだ。これらは原則対面授業として、ときおりオンラインを混ぜて飛行機に乗る回数を減らそうかと考えている。
2020年6月某日
オンライン授業はビデオ画像をつかう双方向型もできるが、やりたくはない。そもそも、ZOOMで一度に参加できる人数300名で、登録者600人を超すミクロの授業には適さない。とはいえ、この600名の中で、授業時間帯にページにアクセスしているのはむしろ少数派。小テストを受験しなかったり、そもそも授業のページにアクセスしていなかったりする強者が50名ほどいるから、300名でも余裕があるのだろうが。
オンディマンド型で、スライドと音声解説を資料として配布するにしても、スライドに音声を埋め込み、あまつさえスライドが音声ガイドとともに自動的にめくれていくという形式の資料ほうが良いという説はある。同業者でも、そうしているほうが多数派らしい。しかも、学生数名に聞いたらそちらのほうが良いとのこと。しかし、ラジオ講座で成長した私にはどうしても信じられない( 2012年の独り言参照)
たしかに、勝手にスライドや教科書がめくられていけば楽でいいし、講師がどこを話しているかいつでも明確にはなる。しかし、自分の手を動かさないと、学習効果は高まらないのではないだろうか。言い換えると、スライドを自分でめくらなければならないから、講師の言葉に集中してその意味をとる努力をする。それが学習には必要なのではないかと思うのである。もとより、この学習効果説は私の個人的な経験と感覚によるもので、本来はデータに基づいた実証が必要なものだが。
そういえば、かつてUPennや筑波大学で授業をしていた時、OHP用のスライド(もう姿を見なくなった:透明のシートで、そこに書かれた手書きや印刷された文字を投影することができる)を用意して授業に臨み、授業中はそのスライドを投影しておいて学生に見せ、スライドの内容を黒板に書き写して説明したものである。すでにみんなに見えているものを書き写すのは無駄のようにも見えるが、人が理解できる情報の速度はせいぜい文字を書くスピードくらいなのである。速度超過をすると、結局眺めているだけに終わり、何も残らない。そのため、書き写せるくらいのペースでやるのがちょうどよい。書き写している途中で授業時間が過ぎてしまうようなら、そもそも分量過多なのだ。これも私の個人的な経験と感覚による仮説にすぎないのではあるが。
2020年5月某日
オンライン授業その後。受講者の数を見ると600を超えているのだが、オンディマンドなので何人でもやってこいという気分。テストはすべて自動採点なので、この部分には追加費用無し。成績入力が若干不安だが、たしかCSVをアップロードすればOKだったので、ここも追加費用無し。これはまさに固定費用だけで、追加的可変費用無しの世界かと思いきや、質問に答えるコストは受講者の数に応じて増えるので、ここに若干の可変費用があるか。
期末試験はやらないので、小テストを学期中10回やってやろうともくろんでいる。全部、自動採点されるテストの予定。 自動採点テストを作るのには、少々時間がかかる。やってみると、1つ作るのに3・4時間かかる。これは、 「マークシート式」出題に自分がなれていないからで、問題作成に知恵が必要なのだ。ただ、やってみるとこれはこれで面白い。少なくとも大量の答案を読ませられるよりはるかに生産的である。それに、やっているうちに出題者も上達する。今日は5つ目を作ったが、これには3時間かからなかった。
2020年4月某日
関学では前期の授業がオンライン授業となった。正確には、仮に対面授業が可能になったとしても、今学期の間はオンライン授業でもよいというのが大学の方針。ウイルスの顔色を見ながら授業計画を立てるのも業腹なので、私の今学期の授業はすべてオンラインにすると宣言した。
とはいえ、我が国はオンライン授業後進国でインフラが整っておらず、関学も例外ではない。ウイルス禍を奇貨として、オンライン授業の環境が進むのではないかと期待しつつ予想する。超遠距離通勤をする身には、オンライン授業という選択肢が許されているのは、なかなかありがたいものである。とはいえ、ともかくオンライン授業をやらなければならない。この方針の急転換で授業設計のやり直し、そのためちょっと忙しくなった。
今学期の担当は学部のミクロ経済学とゼミが2つ。ミクロ経済学のほうは受講者が多いらしいので、オンディマンド型とした。授業スライドを掲示し、それを解説した音声ファイルも掲示することにした。受講者は音声ファイルを聞きながら、スライドをめくるという趣向。授業をビデオ配信というのも考えたが、今使える道具立てではどのみち板書ができないから、ほとんど意味がない。それに、音声だけのほうが何となく気楽である。期末試験もやらないほうが好まれそうな形勢なので、テストは30分程度でできる小テストをたくさんやることにした。こちらのほうは選択問題を書いておけば、システムが自動で採点してくれる。実は、オンライン授業にならなくても、この小テスト自動採点は大いに活用するつもりだった。昨年、興味を惹かれたので複数の授業でこのテスト自動採点を何度も試してみて、なかなか気に入っている。何事も、興味をもって練習しておくものだ。
なお、ミクロではかの「ミク戦」を教科書として使う。実は、教科書として使うのは初めてである。自著なので避けていたというよりは、そもそもこのレベルの授業担当機会がこれまでなかったというのが真相。じっくり読みなおすと、書いていた当時の記憶がよみがえってくる。いろいろと工夫されていて、面白い。我ながらよくこんな本を書いたものだと感心するのだが、教科書としては未熟に過ぎる。よほど行間を補わないと使えないだろう。教科書として不適格とされても全く文句は言えないのだが、多くの人たちが教科書として使ってくれた。きっと、大変な苦労をされたことだろう。
ゼミのほうも基本はオンディマンド型とするが、少人数だから今はやりのZOOMを利用して双方向型のオンライン授業もやる予定。案ずるより産むがやすし。これも、やり始めれば何か発見があるものと期待する。
もっとも、一番オンライン化してほしいのは会議の類。オンラインなら出席率も上がることであろう。たぶん。
2020年3月某日
黒澤明の映画で好きなものを3つ挙げろと言われたら、『七人の侍』、『天国と地獄』そして『赤ひげ』を選ぶ。『赤ひげ』は山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を原作とする映画であるが、原作を読むとかえって映画の印象が変るかと思い、あえて読まずにいた。コロナ騒ぎで外出も控えめにせざるを得ず、暇なものだから持ってきた小説は読んでしまっていたところ、『赤ひげ診療譚』が青空文庫にあがっていたのをみつけた。それで、この小説をシンガポールで読んだ。
原作はとても面白いが、どうしても映画の印象が混入してしまう。いや、映画が混入するから面白いのかもしれないが、いまや判断はできない。映画は本当によくできているのだとまた改めて感じた。
原作は8つの短編からなるが、その最後の短編に主人公の登とかつての許嫁ちぐさが和解する場面がある。このときちぐさは幼児の母なのだが、子供の様子をたずねられた返事に「無事にはしかを済ませました」と答えたのが妙に印象に残った。
免疫が理解される以前でも、「はしか」は大人になってかかると重症化することはよく知られていて、できればごく幼い子供の時に軽く済ませておくべきものだったのである。もちろん、ワクチンが開発された後であれば、あえて感染させる必要はないわけで、それゆえ当時であってもワクチンがいずれ開発されるとわかっているなら、それまで待つほうが得策だったろう。しかし、その保証がないときには、小さいうちに軽く済ませるほうが喜ばしかったのである。
2020年2月某日
シンガポールに来た。シンガポールはCOVID-19の流行に対して、いち早く中国からの観光客を遮断し、全国に警戒態勢を引いている。SARDSの流向時に十分な対策をとれなかったという反省からだそうだ。 観光客は少なく、繁華街もこれがシンガポールかと思われるくらい人出は少ない。
政府保険省の見解によれば、マスク着用は原則不要であるが、咳が出る人はつけなさいとのこと。また、発熱した人は仕事に行かず家にいろとされていて、出勤できないことに対する賃金補償もある。(1日あたり100ドルから300ドルだそうだ)この補償受給中はもちろん外出禁止なわけだが、お金を握りしめてのこのことカジノに出かけ、そこで捕まって労働許可証をはく奪されたという人が複数いたとか。
シンガポール経営大学は、感染拡大防止のため大規模な授業をすべて遠隔授業に切り替えていた。つまり講義や学生とのやりとりはすべてインターネットを利用したシステムを利用する。関学もそうならないかと祈るばかりである。
大きな建物の入り口では、体温を測る人が待ち構えていて、入ってくるものすべての体温を測る。発熱している人は侵入禁止で徹底している。ホテルも例外ではなくて、入り口で必ず測定する。拳銃のような形をした体温計で、額の部分から数センチ離れたところに銃口をおいて、引き金を引くと「ぴ」と音がして即座に体温が分かる。とはいえ、これは体表の温度に違いない。汗っかきの私はどうやら汗のせいで体表温度が低くなるらしく、測るたびに33度台の数値を連発して係の人を驚かせている。大学も、一日2回の体温測定と、その値の報告を義務化している。これには専用のページがあって、スマホからタップすれば簡単に申告できる。それにしても、これだけ頻繁に自分の体温を測ったのは記憶にない。体温は一日のうちでずいぶんと上下するものだと感心した。
なお、ホテルの入り口で発熱が確認されたらホテルには入れてもらえず、私の場合は即座に病院送りだそうである。
2020年1月某日
こんな夢を見た。
新しい職場には、飛行機で通うことにした。空中にいるうちはよいが、空港への道のりが不便だ。何とかしてほしいと思っていたら、そういうことならば、ヘリコプターを使えばよいではないですかと町長が言う。町のヘリコプターはいつも余っていますよ。
これまでぼーっと生きていたに違いない。そんなことができるとは知らなかった。無人のヘリだからスマホで行き先を指定して予約しておけば、家まで迎えに来るという。半信半疑で予約してみたら、指定時間にドローンがやってきた。ちょうどスキー場のリフトのような椅子をぶら下げている。椅子に座ってシートベルトを締めたら、早速飛び上がった。
これは確かに速い。が、とても寒い。しっかりとした防寒具を身に着けてから使うものらしいと気付き、ドローンを家に戻そうとスマホを探したら、見当たらない。これは一大事、このままでは凍え死ぬぞと思った時に目が覚めた。