Essay2014 A Kajii

2014年の独り言

by 梶井厚志

2014年12月某日

中日新聞の夕刊コラム「紙つぶて」に連載をすることになった。毎週1回担当で、半年の間書く。東京新聞にも同じ原稿がのるそうだ。ただし、中日新聞や東京新聞の(無料)HPでは読めないらしい。これを機会に購読するか?


2014年11月某日

学園祭から避難すべく、休暇をとって長崎に行った。たまたまはいった大村の居酒屋がなかなかのところで気に入った。大村周辺の海ではカキやナマコが名産とのことで、この時期はカキのしずん始まりだとか。小ぶりだがおいしい。

このあたりに来ると、ウチワえびをたべたい。ウチワえびは、その名の表すとおり、頭がウチワのように広がったエビである。大ぶりのザリガニの頭をひらべたったくのばして大きく見せようとするとこのような形になろうか。いいかえれば、頭の大きさから類推されるものよりも、彼らの身は大変小さいものだから、さばいて刺身にしてもらうと食べられるところは驚くほど小さいのである。形と身の小ささはははともかく、こいつの身やミソは大変おいしくて、日本酒に良くあう。京都では見たことが無い。


2014年10月某日

学会で博多に行った。ちょうど大型の台風がやってきていてた。

博多は何かと飲食の楽しみが多いところだ。魚を食べさせる料理屋と居酒屋の中間のような店に、地物の魚あてに一杯やろうと意気込んでいったら、台風で漁師が海にでないので、全然入っていないとのこと。ほかの店にはあったようだがというと、すくなくとも一晩は冷蔵庫の中にいたやつか、あるいはいけすで飼っていたやつを出しているんですよとの答え。この店にはいけすがないから、漁がないとお手上げとのこと。

そこで魚をあきらめ、天気に左右されない「酢もつ」を頼んだ。これは湯通ししたホルモンの酢の物。私はこういうものが大好きだが、不思議と京都では見ない。大阪でもあまり食べた記憶がない。日本酒は脂ぎった肉にはあわないが、このようなホルモンにあわせるとおつである。

そんなわけで、帰りの新幹線を待ちつつ博多駅の立ち飲み風酒場にはいったときも、ビールセットとともに酢モツを注文したのであるが、こちらはそれほどおつではない。この手のものがビールに合わないという道理は無い。ホルモンに問題があるのかもしれないが、それよりも酢の質に問題があるようだ。こういう素朴な料理には、よい酢を使ってほしいものだ。

ビールを飲みながらそんなことを考えていたら、偶然にHがやってきて、一緒に飲むことになった。聞くと同じ列車を予約している。どういうわけか喉をひどくからしていて、話をするのも痛々しい。こちらもシンガポール滞在の最後のころから喉と鼻の調子が良くない。長期滞在の疲れのため風邪を引いていたのか、それともシンガポールで経験した、インドネシア由来の煙害のせいなのか。結局よくわからないまま、京都に戻ってきたら直ってしまった。


2014年9月某日

昨年は五十肩を病んで、強い冷房に全く閉口したものだが、今年のシンガポールではそれほど苦痛を感じない。とはいえ、室内の冷房は強力で、上着が手放せない。というわけで、今年もやはりホーカーのビールが私のお気に入りだ。(2013年9月の独り言参照

ホーカーのビールはシンガポールで最も安いのではあるが、ずいぶんと値上がりしていた。行きつけの(?)ホーカーでは、昨年はタイガービールの大瓶が、5ドルと5ドル20セントであったものが、今年は6ドルになっている。ほかのホーカーも試してみたが、どこも6ドル以上であった。なんと20パーセントに近い値上がりで、さすがにインフレでは説明できない。Tによれば、ホーカーに限らずシンガポール全体でビールの値段が上昇したとのことで、原因は増税らしい。たしかに、時々出かけるサマセットにあるバーでも、ハッピーアワーであれば、生ビールをたのむと確か10ドルで小銭が返ってきたように記憶するが、今年は10ドルではまったく足りなくなっていた。

さて、昨年話題にした私のマドンナは、まだチャイナタウンのホーカーにいた。(2013年10月の独り言参照)すっかり場馴れして、昨年とは少々印象が変わったが、そこらじゅうから声がかかる人気者になっていた。いいんじゃないかな。彼女のタイガービールは6ドルである。

実は今年もシンガポール日本人会の面々と、チャイナタウンホーカーに繰り出した。私の率いるSMU組みが遅刻したため、NUSからTが現地に先着するという事態に陥ったが、幸いにもTに帯同していたSがセンスのある人物で、詳しい説明を受けていなたっかのにもかかわらず、しっかりとマドンナを確保していたので、今年も再び楽しいひと時を過ごした。こういう状況で頼りになる男である。


2014年8月某日

今年のSWETは、天気には恵まれなかった。8日にわたる期間中、残念ながら北海道らしいすっきり晴れた日を見ることはほとんどなく、しかも途中で台風までやってきた。これも温暖化の影響なのだろうか。来年は10周年。記念に盛大にやりたいが、天気にも協力してほしいものである。

節目を迎えるに当たり、SWETが生まれた経緯を書き残こしておきたくなった。たまたま、「経済セミナー」から、学会・研究会の紹介記事としてSWETについて書かないかという依頼があったので、渡りに船と引き受けて、書くことにした。

記憶というものはいい加減なもので、これだけ思い入れのある集会にもかかわらず、10年前の記憶ははっきりとしない。創設期を知っている人たちに確認を取り、当時のメールを掘り起こして、なんとか一文ひねり出した。「経済セミナー2014年10・11月号」に掲載されているので、SWETを知りたい人は参照されたし。


2014年7月某日

4年前のことだ.長年使ってきたエスプレッソ・マシーンが壊れてしまった。

マシーンといっても大げさなものではない。この種の機器には、業務用の高価なものもあれば、家庭用の安価なものもある。私が持っていたのは、家庭用のものの中でも特に単純な構造のものだった。挽いたコーヒー豆と水を所定の位置に入れる。スイッチを入れると、水が加熱され、水温が上がるとともに内部の気圧が上がる。気圧がある限度ををすぎると、どこかにあるバルブが開いて、水蒸気がコーヒー豆のはいっている場所に吹き込んで、コーヒーが抽出さえるという仕組みだ。牛乳を泡立てるときには、泡立て用の蒸気を出すノズルに、蒸気が抜け出すようにする。ノズルの出口部分近くについていねじをひねると、コーヒー豆の方だけではなく、このノズル方向にも蒸気が抜け出すようになるので、それを利用して牛乳を泡立てるという趣向だ。

はじめにタンクに入れた水がすべて蒸気になってしまえば、そこで終わりになるという単純な仕組みである。なので蒸気が勢いよくでているときに、タイミング良くノズルのねじをひねってやらないとうまく行かない。遅すぎると、回ってくる蒸気の量が足りずに、牛乳がうまく泡立たない。早すぎると、コーヒーの抽出のためにコーヒー豆の方に行くべき蒸気が少なくなって、肝心のコーヒーの出来が悪くなるのである。

この器具を買ったのはアメリカに住んでいた頃で、はっきりとは覚えていないが、フィラデルフィア郊外のSpring fieldという場所にあったショッピングモールで、50ドルほどで買ったはずだ。してみると、少なくとも15年は使用したということになる。はじめはこつがわからずに、なかなか思うような泡とコーヒーの組み合わせを生み出すことができなかった。ノズルから泡を出すタイミングの極意を取得するのに、1年はかかった。それゆえ、このマシーンが壊れてしまったときには、ずいぶんと悲しい思いをしたのである。

朝にコーヒーを淹れるのは半ば習慣化していたので、新しいものを買うことにした.アメリカ在住時よりは大分リッチになったので,こんどは初代マシーンに比べれば価格で4倍するものを買った.

ところが、不思議なもので、買い換えたマシーンは初代マシーンよりかなり高級品であるにも関わらず、カプチーノの出来ばえば初代を上回ることはない。いや、工夫を重ねても、初代で楽しんでいたような味が出ない.しかもけしからぬことに、この第2代の高級なマシーンは、わずか2年ほどで壊れてしまった。コーヒーのできばえが悪いだけでなくて、せいぜい2年間利用しかできないのでは話にならない。

朝のコーヒー習慣を断ち切るわけにはいかないから、なんらかの代替物を探さなければならない。いろいろと探して研究したが、結局のところ、さらに高級かつ堅牢なものを買うしかないようである。しかし、たかがコーヒーに、4・5万円も費やしてよいのだろうか。

そんなことを悩んでいると、日本経済新聞の記事で、百円ショップにあるミルク泡立て器で、存外きれいな泡ができて、これでカプチーノ気分が味わえるというのがあった。実は、先代のコーヒーマシーンを買う以前に、イタリアでカプチーノ用泡立て器というものを購入して、こいつがさっぱり機能しなかったという経験があったので、私はにわかにこの記事を信じるわけにはいかなかったのだが、100円の投資で確かめられるのであれば、試してみない手もない。

それで、出町柳近辺にある100円ショップで買い求めてやってみた。新聞記事にあったようにやってみると、とはいえ記事がいうには牛乳を温めすぎないくらいしかこつというべきこつはないのだが、これが本当にきれいな泡ができるのである。スチームを使わず、元のミルクになにも混ぜることはないので、ミルク自体が薄まることもない。それで、昨年来この泡立て器を愛用し、コーヒーの方は紙フイルターを使っていれていた。

先日、このミルク泡だて器が壊れてしまった。まあ、投資額が投資額だから、1年以上持ったこの器具は、大変優秀だったと評価できる。しかし別の問題が発生した。かつてこれを買った100円ショップには、もはやこの手の泡だて器をとりあつかっていないのである。捜索範囲を百万遍まで広げても、見つからない。

それ以来、私は急に100円ショップファンになって、100円ショップをみつけるや、泡だて器を探しに行くようになった。幸いにも東京の実家近くで、この100円泡だて器を発見し、2本買い求めた。いまもこの泡だて器を愛用している。


2014年6月某日

東本願寺の渉成園に行った。渉成園は徳川将軍家光が東本願寺に寄進したとされる土地に造られた回遊式庭園で、現在も東本願寺に属する。ここは、かなり前から行ってみたかったところだが、なぜか機会がなかった。日本庭園が好きなHが仙台からやってきて、京都駅に迎えに行ったついでに、近くの庭園を見ようということになり、ようやく実現した。東本願寺を見物してから、そのすぐ東側にある渉成園へ。

このあたりは何度も火災にあったそうだ。東本願寺は4度焼け、現在のものは1895年再建である。渉成園も幕末に2度焼け、現在見られる庭園は明治に入って徐々に再建されたものだとのことである。私の目には十分時代がついているようにも見えたが、言われてみれば建物は平安期のものとは違うようだ。ただ、渡り廊下のような場所では極端に屋根が低く、私だと腰を折らないと歩けない。平安期の人たちは、現代人よりもずいぶん小さかったときくが、明治期の再建だとすると、明治期の坊さんたちも、これが十分なくらいの背丈だったのだろうか。

庭園の良し悪しは、正直なところ、私にはまったく分からないが、ここに住んでみたいかというのが私の判断基準である。その観点からすると、庭園のほぼ中央に位置する傍花閣は、足を踏ん張り手を左右に伸ばしたようなその構造(楼門造)が面白く、庭園の池に臨む角度も良い。部屋は踏ん張った足の上にあるから、大きな門の上に部屋がのっているようにも見える。傍花というのは、この建物が桜に囲まれているかららしく、その時期にこの部屋で1週間ほどすごしたいものだ。

残念ながら、この庭園の外に見える建物が醜すぎ、庭園はその魅力を大きく損なっている。建物から除く込む人たちはよいかも知れぬが、庭にいる人にとっては興ざめ以外のなんでもない。明治の坊さんたちも、このような光景が出現するとは夢にも思わなかったであろう。これらの建物が一掃されるならば、ここに住んでもよいと思った。


2014年5月某日

シンガポールからやってきたJさんはお茶が好きだというので、寺町二条の一保堂に連れて行った。ここには緑茶を飲める喫茶店が併設されていて、いつも混んでいるから入ったことがないが、こんな機会だからと考えて入ってみた。

注文すると、急須にお茶、ポットに熱いお湯をいれて持ってくる。店員が、お湯を冷ましかた、茶の入れ方を解説してくれるので、それを通訳しつつ自分も新茶を楽しんだ。こういう場所で、このように気をつけて飲むのだから、おいしいはずだという先入観もあろうが、まあ実際においしいと思う。

お茶の後で、Jさんはお土産に高級なお茶がほしいと、高価な玉露を2筒買ったのにはびっくりした。聞くと、上海で高校時代の同窓会に行くから、当時の先生へのお土産だとのこと。ずいぶん立派なものを持って行くものだと感心した。先生もびっくりするだろう。

一保堂のあと、はす向かいで筆などを売る店に入ったら、筆ペンにいたく感心して、これまた何本も土産に買っていった。筆ペンが中国では珍しいものとは知らなかった。


2014年4月某日

通信販売で、ノンアルコール・ビールを定期購入していた。簡単に腐るものではないし、どうせ飲んでしまうものなら大量に買っておいておけばよいようなものだが、置き場所に困るし、このようなものでも新鮮な方が多少はよかろうとおもうからだ。定期的に届けてもらえるのは、いちいち注文する手間が省けてありがたい。

ところが、あらかじめ予定を考えてから注文しているわけではないから、往々にしてこれが留守中に発送されてしまう。そのようなとき、発送を知らせる電子メールを出先で読むと、留守宅まで重たい荷物をかついで持ってきたものの、受取人不在でがっかりして引き返す配達員の姿が頭に浮ぶ。これには、大変気が引けるのである。

先日もこのようなことがあり、なんとか当日は不在であることを前もって知らせられないかと、インターネットで調べてみた。すると、どうやら、配達日をインターネットで指定できるようである。これなら、わざわざ無駄足を踏ませることはなく、そうなればこちらとしても大変気持ちがいい。

それで早速試してみた。すると、ページの作りはとてもちゃちなもので、明らかに大手の業者ではない。それでこちらも多少は用心して、個人情報をすりとらんとするフィッシングの可能性を疑ったが、入力するのは控えておいた注文番号と電話番号およびメールアドレスくらいのものだから、すりとられたところでたいしたことはないと判断して、要求される情報を入力することにした。

最新の注意を払って入力しながら進んでいくと、最後に念を押すように、「配達のために重要だから、入力情報に誤りがないように、誤入力ください」と書いてあった。もちろん「御入力」あるいは「ご入力」のつもりなのだろう。私自身も誤入力で何度も恥をかいたことがあるが、この誤入力は誤入力の種類としてずいぶんとたちが悪い。

これではとても信用するわけにはいかないから、そこで入力を中止した。悪いが配達員にはこんども無駄足を踏んでもらおう。


2014年3月某日

2016年開催予定の、Asia Meeting of the Econometric societyは、同志社大学で2016年の8月中に開催予定。何でこのようなことを知っているかというと、 運営委員会の代表の一人になってしまったからである。この「なってしまった」というのは、いかにも無責任で著しく自主性に欠ける態度だ。これは私の最も嫌悪する種類のものなのだが、はて「なってしまった」という以外に適切な表現も見当たらない。

ともあれ、現時点では金策が最重点課題である。まあ、参加費として徴収すればよいのではあるが


2014年2月某日

世の中は、冬季オリンピックでのフィギュアスケートやジャンプの話題で持ちきりのようだが、私はこのさなかにシンガポールに出張していた。 地理気候条件を考えれば当たり前のことだが、シンガポールでは冬のスポーツに対する関心は希薄である。私の滞在中も、日本選手の活躍はおろか、 現在オリンピックが開催中であるということさえも、ほとんど報道されていなかった。シンガポールは冬季オリンピックに選手を一人も送っていないのである。

では夏のオリンピックはスポーツはというと、1960年ローマ大会において重量挙げで銀メダル、2006年北京大会では卓球団体戦で銀メダルを獲得してる。Singapore National Olympic Councilのオフィシャルサイトを見ると、ヨット競技に力を入れているようだが、オリンピックでのメダル獲得はまだ実現していない。


2014年1月某日

こんな夢を見た。

太陽が沈んだ後すぐ、南の空にほうき星が見えるという。ところが、太陽が沈んでも、それらしきものは何も見えない。次の日に双眼鏡を買って、こんどこそと探してみたが、やはり見えない。

自分の周りには、高級そうな天体望遠鏡を構えている人もたくさんいるから、ためしにそのうちの一人に聞いてみたが、やはり見えないそうだ。都会では見えないのですかねと尋ねると、あたりが通常の環境ならば理論上は見えるはずなのですがという。理論的にありえても、それだけでは不十分というやつだなと思う。

確かに今は、通常の環境ではない。太陽が沈んだ後の南の空には、日に日に大きくなっていく赤い星が見える。こいつが邪魔で肝心のほうき星がかすんで見えないのだ。

この赤い星はいずれ大爆発をおこして、その破片が地上に降り注ぐというが、それも理論的に予想されただけのこと。誰にでも見えるグロテスクな赤い星を心配するより、なかなか見ることができない華麗なほうき星探しのほうがよっぽど楽しいから、みんなはそちらに熱中するのである。自分も天体望遠鏡を買おうかなと算段していたら、目が覚めた。