「社会経済研究所の存亡について一言」のページ

 

目次

l         梶井厚志の個人的意見 2003年1月10日

l         賛同意見 矢野誠 (慶應義塾大学経済学部),和田良子(敬愛大学経済学部)

l         社会経済研究所の廃止へ至るその後の経過 2003年2月10日

l         闇試合 2003年3月3日

l         ついに決着 2003年3月5日

l         一橋大学経済学研究科岩本康志氏の、社研問題(+京都経研)についてのコメント (リンクです) 

 

 


 

 

「社会経済研究所の存亡について一言」

梶井厚志(社会経済研究所)の個人的意見

 

知っている人はすでに知っている話であるが、私の所属する大阪大学社会経済研究所(社研)は存亡の危機にさらされてきた。昨年8月に赴任していまだ半年も経たないうちに、このような環境に置かれるのは非常に迷惑な話である。もっとも、私自身もある程度はこのようなことになるのではないかと、先読みはしていた。その場合には再就職にそなえ自分の価値を高めるべく研究教育に精を出すインセンティブになるからよいであろうと位に考えていた(独り言2002年参照)。

 

事実、社会経済研究所は単独での存続を従来から希望していたが、昨年末急転直下、大阪大学産業科学研究所(産研)との合併を進めるという方向が、大阪大学の「付置研究所にかんする特段の意見」に盛り込まれた。これは所員の合意を得ることなく、社会経済研究所所長の独断で決定されたものである.ただし、所長のこの決断は非難されるべきではない.所長が当時置かれていた環境を勘案すると、所長の決断は正当なものであった.なぜなら、所長は上記「特段の意見」提出の締め切り直前になって、突然に大学当局から社研の単独での存続を取り下げ産研との合併を盛り込むよう決断を迫られたからである。その際、研究所員が30名以下の研究所は存続できず、この時点で他研究所との合併を進めはじめない限り、確実に社研は研究センターに格下げされ、現在の研究環境からの格段の劣化は避けられないと圧力をかけられていた様子である。所員の研究環境の維持を最重要とすれば、所長がセンター化を避け、研究所の一部としての存続の選択肢を選んだのはやむをえない決断であったのだ。

 

私自身、赴任したばかりの社研が消滅することに昨年末に決定したことには非常に落胆した.しかし、産研との合併には意義もある.第一に、産研はナノテクノロジー分野での先端的研究をはじめ、世界に誇れる研究所であるから、その一部となることにより何かポジティブな意義を見出しうる点である。個人的には、そのような分野の優れた研究者たちと同じ研究組織に属することで、私自身の研究活動にも好ましい効果があると期待かつ予想している.第二に、産研は社研の隣に位置し、地理的にも共同して作業するに向いている点.研究室を移る必要も無いし、研究費も現在と同程度確保できるらしい。すると、研究所の会議が社研の2階ではなく、お隣まで歩いていかなくてはならない程度の実害で、組織の規模の拡大により学内行政に関する事務負担の効率化というメリットを受けることができる.

 

合併案において心配なのは、指導する大学院の学生たちであった.これに関しては彼らの所属はあくまでも経済学研究科であり、私が経済学研究科で指導するという構造はこれまでどおりに維持される予定である.したがって、結果的に彼らにかかる負担は、指導教官の所属を書き換えるのみにすぎず、この点も私を安心させた。妙な反発心をおこして彼らに迷惑をかけることだけはしたくない。

 

結論として、社研の廃止を前提として、社研のセンター化あるいはその他のオプションと、産研との合併案との得失を考慮すれば、合併案に賛成してゆくべきだと自分を無理やり納得させたのである。以下を述べる前に強調しておくが、現時点でもこの考え方は変わってはいない。

 

にもかかわらずこのような文章を公表する気になったのは、1月8日付けの読売新聞に出た以下の記事が原因である。(以下、Yahoo Japan 掲載のものから引用: 赤字強調は梶井による)

 

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レベル低い国立研究所は廃止、文科省が3月に選別

 

 文部科学省は8日、2004年の国立大学の大学法人化に合わせて、研究活動が国際水準に達しない大学の研究所を廃止することを決めた。基準を設けて研究所をリストラするのは、1949年の国立学校設置法の施行以来初めて。

 

 一方、優れた研究を行っている研究センターは研究所へ昇格させ、研究活動の活性化を狙う。15日に開く科学技術・学術審議会(文科相の諮問機関)の学術分科会に報告する。

 

 研究所は現在、20の国立大に58施設あり、大学では学部と同格の位置付け。昨年のノーベル物理学賞受賞で一躍脚光を浴びたスーパーカミオカンデを持つ東大宇宙線研究所や、人間の言葉を理解するチンパンジーの「アイ」がいる京大霊長類研究所など、国際的に優れた業績を上げている研究所も多い。

 

 大学法人化で、学内の組織改編や予算配分に対する学長の権限が大幅に強化され、国際的に評価の高い研究所であっても、財政的な影響を受けやすくなる。

 

 このため同省は、〈1〉他大学の研究者が利用できる共同利用機関かどうか〈2〉国際的な研究レベルにあるか〈3〉教官の人数が約30人以上で任期制を導入しているか――などの基準に基づき3月までに研究所を選別することにしている。(読売新聞)

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これはちょっと話がおかしい。実際、所長と評議員が文部科学省学術機関課へ事情説明に昨年11月22日に行ったときのやり取りが教授会で報告されたが、そのなかに以下の記載がある([ ] 内は梶井注):

 

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われわれ[社研]は規模のみではなく、経済系研究所間でピアレビューによる評価要素を加味して附置研究所の選定を行ってもらいたいと強調したが、研究評価による附置研究所の優劣をつけることは極めて難しいと[文部科学省学術機関課の担当者は]述べた。

 

文部科学省学術機関課の担当者は]附置研究所の選定には、規模的な要素が入らざるを得ないと述べた。教官規模が例えば100名を超えるようなところはつぶせない([社研は]too-big-to-fail 的な意味合いと理解)。

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という記述がある.すなわち私の理解するところでは、読売新聞で取り上げられている「リストラ」は、研究評価によってなされるのではなく、ある種の「規模の効率性」を基準としてなされるということである。さらに注目すべきは、このやり取りからも伺えるように、レベルの低い研究所を廃止するどころか、研究評価による附置研究所の優劣をつけること自体を拒否してきたのは文部科学省であり、逆に社研は研究業績評価で決着をつけようとしてきたのだ.所長の理解もおそらくは同じであって、それゆえ上記の対応を大学側から圧力がかかったときに行ったものであろう。

 

私はプライドよりは実質を重んじることに吝かでなく、それを公言してもはばからないが、自分の所属する研究所が、「レベルが低いために廃止される」とまで将来に言われることを考えるに、これまで通りに黙っているわけにはいかなくなった。また、「レベルの低い研究所の教員」に指導を受けている大学院生のためにも、また社研を受け入れてくれる産研の所員が、「レベルの低い研究所の教員」がごっそりお荷物としてやってくるという認識を持たないためにも、さらには大学を支える納税者の理解を得るためにも、「レベルの低い」とされる社研に所属する研究者として、最低限の反発を試みざるをえない。

 

論点はいくつもあるが、ここではひとつに絞りたい。それは、経済学系の付置研究所(大阪大学(=社研)、京都大学、神戸大学、東京大学、一橋大学)のなかでは、社研のレベルはむしろ高いことを示す国際的に認められた客観的指標がある一方で、その逆を示す指標はまったく見当たらないという点である。それにもかかわらず、これらの客観的指標において大きく差をつけられている一橋大学と神戸大学の付置研究所は、今回のリストラの対象になっていないと私は聞いている。現時点まででわれわれに知らされている「客観的根拠」は、社研の人員が30名に満たないという点のみである.それによって、「レベルが低いから廃止する」対象になる研究所のひとつが、社研なのだ。

 

上で述べた国際的に認められた客観的指標とは、専門誌での論文発表数と、発表論文の被引用回数である(参照:社研作成の参考資料)。社研は過去5年間の一人あたり論文数で上記経済系付置研の中で第1位(おそらく、わが国すべての経済系組織中で第1位)であり、今回リストラ対象外の神戸とはこの数値で倍に近い開きがあり、東京の5倍を超える。論文引用数でも京都大学経済研究所についで第2位であり、第3位の一橋との間には、数字にして3倍近い差がある。社研の数値は神戸の10倍、東京にいたっては40倍に近い。ここで言う論文数にしても、学内紀要を持たない社研に対し、紀要をもつ他研究所では、学内紀要に発表されている論文が多数含まれていることに注意しなければならない.残念ながら、わが国の大学の発行する学内紀要で国際的に高い評価を受けている雑誌は存在しない.また、学内紀要発表論文の著者が所属する大学に著しい偏りがある点を見ても、論文採用基準は紀要を発行する学内と外部からの投稿で等しくないと想像することに無理は無かろう.実際、一人あたり論文数では社研と神戸の差は2倍だが、被引用回数で比較すると10倍になってしまうのは、この事情と無関係ではない.

 

もちろん、この2つの指標によって国際的に見た社研のレベルの高さをあらわすとは結論できない.また、紀要に対する私の見解に対して反論もあるであろう。しかしながら、レフェリーつき学会誌に掲載された論文数と論文の引用回数は、国際的に見ても標準的な指標である。少なくとも研究所のレベルを評価するという目的に対して、この数値を軽んじる理由はない。これに対して、社研のレベルが低いゆえに廃止統合されるという評価を根拠付ける客観的な指標はいったい何なのだろうか。

 

私が強調したいのは、社研が行おうとしている産研との合併は、あくまでも形式上研究所の数を減らし「リストラ」したかのように見せ、文部科学省と大阪大学の顔をたてるための「お化粧」に過ぎないということだ。業績評価基準を立て、その基準を一般に公開した上で、それにてらして「レベルの低い」研究所を廃止することこそ本筋の議論であるはずだ。しかし、これまでの経緯から私が判断するに、責任をもってそれを実行する能力は文部科学省にも大阪大学にもない。密室の中での権棒術策による再編劇が幕を閉じたあとで、結果の客観性と正当性を形の上で述べるおざなりの作文が公表されることであろう.そのような文章が出るころには、私を含めて反論するインセンティブを持つ当事者たちはすでに整理されてしまっているから、レベルの低い研究所をリストラしたという「結果」が、象牙の塔にも民間並みの基準が用いられた好例としてとして拍手喝采を持って迎えられるであろう.

 

そのような無法なリストラに屈服して、社研の廃止を抵抗もせず私が認める理由はただ一つである.それは、研究者にとって自分の研究時間がこのような茶番劇に巻き込まれて失われるのが何よりも痛いからだ。それゆえ実質を甘んじて取ろうとしているだけなのである。

 

梶井厚志 

2003年1月10日記す

2003年1月14日加筆修正

2003年1月15日加筆修正

2003年1月17日加筆修正

 

 

追記1 これを読んでくださった方へのお願い: これは私・梶井厚志の個人的見解です.私のインセンティブを考えれば、上に記された内容は、自己保身を目的とした中傷、宣伝、「遠吼」と理解するのが当然です.言い換えると、私がこのようにいくら叫んでも、「客観的」効果はありませんし、私には社研を救う実力も気力もありません.もし、このあたりの事情を多少なりともご存知で、私の見解に共感されましたならば、ぜひあなたの言葉で、私向けにではなく、公に向けて発言していただきたい。それが私の願いです。

 

追記2 慶応大学の矢野誠先生よりご意見をいただきました.矢野先生はご自分の意見として氏名の公表されることを希望されましたので、以下に掲載することにしました.以降、この問題に関するご意見・反論を氏名公表の上で述べられる場合には、このページに掲載あるいはリンクを貼りますのでお知らせください.

 


 

「社会経済研究所の存亡について一言」について一言

 

 

ご意見を読ませてもらいました.貴兄のおっしゃることに私はまったく賛成いたします.

1. 人数が30人かどうかが,研究所が社会に貢献したかどうかの基準には,まったくならない.

2. 貴研究所は,長年,IERという国際学術誌の発行に寄与してきている.IERは現在,日本にある経済学系の雑誌では,最も,水準の高いものであり,経済学系の雑誌では,私の個人的な意見では,世界の10位以内にランクされる,また,いくら低くみても,15位は下らない.

IERが国際的な経済学会に果たしてきた,役割ははかりしれないものがあり,その点,日本に数ある経済学部,経済学系研究所の中でも,国際的に果たしてきた役割は,飛びぬけて優れたものであると私は考えています.私が論文を最も多く出していただいている雑誌は,多分 IER と Econometrica だと思います.こうした恩恵を貴研究所から受けていたものの一人として,もし,貴研究所が学問的貢献の低さを理由に統廃合されるということであるならば,強い抗議を表明したいと存じます.

 

矢野誠 (慶應義塾大学経済学部)

2003年1月17日

 

 

賛同意見   23

和田良子敬愛大学経済学部

 

梶井氏,矢野氏の意見に賛同します.特に,優秀さの客観的な基準をみたすような研究者はそんなに多く集まるはずはないことを付け加えたい.それが国際的に高いレベルにあると評価されているような研究者ともなれば,なおさら多く集まりにくい.社会経済研究所は,そのようなレベルの人だけで構成されることで,より一層質の高い研究を社会に向けて排出するような研究環境を目指した結果,30人以下の少数精鋭になっているのではないかと推察する.そしてそれがうまくいったために,現実に梶井氏が指摘するような高いレベルの研究成果がでたものと思われる.人数が多ければいつも良い研究成果がでるという考え方は間違っている.人数が少ないことをレベルが低いことと同一視し,それを理由に研究所を廃止するのは全く不当であると考えます.

 


 

社会経済研究所の廃止へ至るその後の経過

続・梶井厚志(社会経済研究所)の個人的意見

 

すでに上で述べたように、今回の合併は、文部科学省および大阪大学の数合わせ騒動の顔を立てるというのが趣旨であって、専門外の人々に、社研の研究体制の方向性をゆだねることはできないというのが社研メンバーの間の共通した認識であった。したがって、形式上組織を合併しても、社研が現在もつ研究体制の維持を保証するというのが、われわれが合併に応じる大前提であったのだ。

 

しかし、合併交渉の過程において、社研が要求する社研の研究体制の独立性が、産研の中では維持できない見込みになった。そのため、産業科学研究所との合併案は、1月半ばに一時白紙に戻された。

 

そのため、社研は再び付置研として現在のように単独に研究体制を維持するという立場をとり、2003年1月29日に文部科学省において行われた附置研等特別委員会のヒアリングにおいても、その旨主張したのであった.社研の議論は単純明快で、研究所の業績とCOE性とは研究所の人員とは無関係であり、さらに言えば比較可能な付置研究所のなかで、社研がこれらの点において劣っていることを示す指標は存在しないということである.附置研等特別委員会は有識者から構成され、原則として文部省や大学本部の見地ではなく、少なくとも建前上は、わが国の国益と学問の興隆の立場から判断を下す委員会である.(参考資料: 特別委員会名簿と公開されている議事録

 

それをうけて2003年2月6日、附置研等特別委員会にて9つの附置研のヒアリングについて審議が行われた。その結果、われわれの期待は裏ぎられ、社研は省令の下では規定しないということが委員会の決定方針となった.この文章を書いている段階でわれわれに伝えられている理由は、第1に社研の人員が30名に満たないという例の点で、第2に阪大本部からは産研との合併をすすめるという意見が出ていることに矛盾している点の2点である。

 

社研の主張する業績評価をもっとも大切に取り扱う立場にあるはずの附置研等特別委員会がこのような決定をする以上、文部科学省や大阪大学から支援を得られていない社研が存続する可能性はきわめて低くなった。現実的には,可能性は消え去ったと考えざるを得ない。結論として、伝統ある社会経済研究所は、その付置研究所としての役割を完全に終えることになったと私は考えている.世界的に知られたISER(社会経済研究所)が、私が在籍している間に絶えてしまうことは屈辱以外の何物でもない。

 

思うに、われわれが経済学者としてのプライドをかなぐり捨てて、産研との合併を是が非でも推進していけば、おそらくは付置研という庇護の元で、社研を延命してゆくことは可能であっただろう。また、社研の廃止はメンバーの失職を意味しない。すなわち、今回の社研の反乱は、どう転んでも給与支払いが保証された特権階級の人々が、些細なプライドにこだわって全体の和を乱しただけの事だ.お上から俸給をいただいている身の上で、「人員30名」という明確な客観的基準まで用意されて、それにもめげず独立案を主張した社研を、世間の厳しさをわきまえない、青臭い理想論者の集まりと批判することさえ可能である。

 

そのような批判に対して、私は強く反論はできない。もし、一般企業倒産に巻き込まれることと同様な個人的損失が控えていたならば、社研のメンバーは、万難を排して産研との合併案を推し進めていたであろうし、私にしても平身低頭をつらぬき、このような文章をインターネットに公開することはなかったであろう。

 

今回の経緯を総括するに、文部省にしろ大阪大学にしろ、研究業績の評価なしに社会経済研究所を廃止することにまったく懸念をはさむことはなかったことが、私にとって大きな驚きであった。特に、素朴な客観論を振りかざす文部科学省に対して、学内の知的資産を守るよう反論してしかるべき大阪大学が、むしろ積極的に世界的な経済学の研究所の廃止を前向きに推し進めたという事実は特記すべきである。これに対して自分が抱く気持ちを表現するだけの表現力を、私はもっていない。来年度に行われる経済学系の評価にしても、文科系21世紀COEの選考にしても、大阪大学と文部科学省の間で、同様なドタバタ劇が繰り返されるに違いない。

 

あえて今回の社研廃止劇がもたらした貢献を探せば、社研がこのような形で廃止を余儀なくされたということを歴史に残すことで、わが国の文部行政、大学、経済学会のあり方に、ひとつの問題提起をしたということであろう.すなわち、社研の主張にもかかわらず、附置研等特別委員会の決定で社研が廃止されるという事実が重要なのだ。廃止の決定をした人々は誰なのか、また廃止に対して反論しなかった人々は誰なのかということが明確に記録に残るため、社研を葬り去る責任の所在が明確になったのだ。初期の案の通りに産研との合併を大学の言いなりに進め、文部科学省に対しても産研との合併をひたすら乞うていたならば、これらの経緯は日の目を見ることはなかったであろうし、合併劇がどのようになぜ起こったかということなど、即座に闇の中に消えていったであろう.これに関しては、産研との合併に前向きであった私自身の不明を恥じるばかりである。

 

しかし、提起されたこの問題は私の個人の力ではどうすることもできないし、すでに私は少なからず疲れてしまった。この件に関しては今後沈黙を守ってゆきたい。

 

梶井厚志 

2003年2月10日記す

 

 


 

闇試合

 

その後、情勢は一進一退を続けている。確かなことは、上記2月10日付けの社会経済研究所の廃止へ至るその後の経過を書いたときに私に知らされていた情報は正確さを欠いていたということだ.特に「社研廃止決定」が特別委員会の「決定事項」であるという点については、そのような事実はない、ということらしい.これをあたかも事実として委員会からのリークを装いわれわれに供給した人物のインセンティブを考えると、なかなか興味深い.ともあれ、「社研廃止問題」に結論はまだでていない、というのが私の現時点での認識である。

 

梶井厚志

2003年3月3日記す

 


 

ついに決着

 

問題はついに決着したらしい。社会経済研究所は文部科学省の省令では規定されないことになった。

 

しかし、これは当初の話とはまったく異なる決着である。というのも、結局省令では規定されないのは社研だけではなく、すべての付置研究所が省令の下では規定されないことになった。さらに付け加えれば,これまで省令の下では規定されると考えられていた学部をはじめすべての大学内部局が、省令の下では規定されないということになった。これは首相官邸のページを見る限りでは確認できないが、閣議決定であるそうだ。土壇場でなされた、政治判断というものであろうか。

 

つまり、社研に限らず、たとえば東京大学の経済学部でさえも文部科学省からの直接の予算対象にならないということで、現在国立大学に所属するすべての組織が、予算(法)的な存在基盤を失ったのである。独法化後は、それぞれの組織は所属する大学との間で、予算・人員配置などについての取り決めをするということを意味する。

 

今回の経緯をまとめてみよう.独立行政法人化に伴い、所属する学生を持たない付置研究所は財政的基盤が脆弱になるため、仮に学術的に高いレベルの仕事をしていても、所属する大学の方針に従い改廃される可能性が高い。したがって、文部科学省が省令により付置研究所を定義して、文部科学省から直接予算をつけることによってこれを保護育成しようという案を打ち出したことが、そもそもの発端であった。然るに、どの付置研究所もそのような保護にたるとは限らないから、この際保護に足らない「レベルの低い」付置研究所をあぶりだして、省令で規定することをやめましょう、というものであった。

 

ここまではもっともな話である。ところが、そのレベルの低い研究所をあぶりだす基準というのが,「人員30名以上」で、学会での研究業績は評価できないと言い出したものだから、社研も反論をはじめたというわけだった。それが結局どの付置研究所も対象外である、ということは、すなわち国から直接予算をつけて保護育成をする当初の案自体を反古にしようということなのである。

 

結局、今までの議論(たとえば例の特別委員会)は何であったのか。よくわからない。ただ、今後社研の地位を大阪大学学内において高めるということにおいては、過去2ヶ月ほどのドタバタ劇は一定の効果を発揮するであろう。それがプラスかマイナスかはわからないが。

 

そもそも、省令で規定して予算をつけるということが、わが国の国益にかなうかどうかはっきりしない.予算を付け身分保障をすれば安定する.しかし,安定した身分が保証されることによって、研究成果が、それがかなり広い意味で評価されるとしても、安定化のために支払われるコスト以上に達成されるかどうかはわからないし、私にはここで議論する意思もない。ただ、これにより付置研究所は非常に脆弱な立場に立たされたということは間違いないであろう。

 

はっきりしたことは、省令の枠組みが完全に外れたことで、今後自分の所属する組織の将来性を判断するために、大学執行部の方針を見ていかなければならないということであろう。独法化後に、大学が文部科学省の「ご意見」を聞くことなしに独自の裁量で道を切り開いてゆくことは考えにくいが、少なくとも建前上は可能である。また、どの大学も、すべての研究教育領域に資金をつぎ込む余力はない。そのため、重点を入れてゆく分野は、今後大学によって異なってゆくと予想される。そしてその中にいる研究者たちは、よりよい環境を求めて移動をつづけるであろう。

 

梶井厚志

200335日記す

2003311日加筆