2025年7月某日
我が家の庭には様々な野生動物が現れる。日中に現れ姿を見せる様々な昆虫や鳥たちはもとより、キツネや鹿のような哺乳類も来る。幸いにも、クマが来たことはまだない。キツネは夜行性で、こちらも姿を見ることはほとんどないが、キツネのおとしものらしい糞を見かける。キツネの糞には寄生虫エキノコックスの卵がはいっている可能性があるそうで、こいつが何かにくっついて人体にはいると、大事になる。それゆえ糞はうっかり手で触ってはならない。
鹿は日没や明けに主として活動するものらしいが、夜間も活動する。日中には人を避けてやってこないが、夜間にきてあたりを踏み荒らし育てている作物を食う害獣である。こいつらは群れを成して行動するので、来てしまうと畑は全滅に近い被害を被る。それゆえ群れで来られてはたまったものではない。
先日、庭で鹿の足跡とおぼしきものを発見した。猫も庭を通り道にし、私の目の前をのしのしと歩いて足跡を残していくのだが、発見したのは猫の足跡とは明らかに形状が違う。サイズは小さいのだが、鹿の蹄の跡に間違いない。これは鹿の群れが襲いに来る前触れかと恐れていたが、それほどの被害はない。自分の鑑定が誤りなのかとおもい始めた頃、隣の牧草地を日中堂々と一匹の小鹿が歩いていくのを目撃した。庭に出て、日中にビールを飲むという文化的行為を楽しんでいるさなかに、目の前4・5メートルほどのところを、一匹だけが右から左にとことこと歩いていったのである。体はまだかなり小さいから、今年生まれた個体だろう。隣の牧草地といっても、我が家との間には垣根も柵もないから、奈良公園並みの接近遭遇だ。足跡の主はこいつに違いないと思ったが、小鹿が一頭だけで行動しているというのは妙である。
2025年6月某日
「蓼食う虫も好き好き」とはよく言ったもので、どのような植物にも虫がつくので感心する。我が家の庭では数年前にまいたディルが野生化して、いろいろな場所に生えている。ディルの香りは独特で強く、そこら中ですくすくと大きく成長するものだから、この草には虫はつかぬのかと思っていたら、アゲハの幼虫のような巨大な青虫がとりついて食っていた。
アヤメは多年草の強い草で、地面が凍りついても楽に越冬する。葉っぱは濃い緑色で長く、立派で力強い。ただ成長には時間がかかる。種から育てたアヤメがようやく白い可憐な花をつけたのは、植えてから3年目の今年だ。ところが開花してまもなく花も葉も虫に食われて丸坊主にされてしまった。原因はドクガの幼虫だ。ドクガには名の通り毒があって、幼虫も成虫もうっかり手で触らないようにしなければならない厄介者である。幼虫は何でも食うようだ。大切にしていたイチゴの葉っぱもこいつらにかなり食われてしまった。不思議なことに、丸坊主にされたアヤメの周りに死んだドクガの幼虫が3匹いた。調べてみるとアヤメの葉には毒性があるらしく、その毒にやられたのかもしれない。蓼食うのも命がけだ。
なお、「蓼食う虫も好き好き」の由来は、中国の南宋時代の随想集『鶴林玉露』にある「蓼虫は苦さを知らず」という言葉にあるそうだ(生成AI談)。もちろん実際の虫の悪食を指したものではなくて、人の好みは多様であることの例えだ。
2025年5月某日
ベンガル料理に欠かせないのがマスタード・オイルだ。 マスタードオイルは、マスタードの種から搾り取った油で、独特の香りとほのかな辛みが感じられる。香りは強いので、好みが分かれるかもしれない。ただし、この香りが苦手だと、ベンガル料理を楽しむことはできないだろう。慣れてくると病みつきになり、オリーブ・オイルと同様に、いろいろなものにかけて楽しみたくなる。
マスタードは、からし菜の一種で、高菜の仲間だそうだ。これらの原産地は中央アジアで、いろいろと種類がある。日本でみるからし菜は既に弥生時代から作られているそうだ。思い起こせば、からし菜系の香りは私の好みで、マスタード・オイルを気に入る素養はもとよりあったのだろう。 からし菜には耐寒性があって、丈夫で育てやすいらしい。葉物野菜は昆虫との闘いが厄介なので敬遠しているが、適当な種が手に入ったら畑で育ててみたい。 種から油をとるまでには至らないだろうが。
葉物野菜といえば、ルッコラは毎年育てていて、これはこの時期毎日食べている。これも独特の香りと苦みのある野菜で、40年近く前初めてイタリアで食べて以来、私の好物だ。苦味はあっても虫には食われる。まあこれは税金のようなものだ。
2025年4月某日
シンガポールのリトルインディアには、様々なインド風料理店がある。今回の滞在中では、とあるバングラディッシュ料理店に足しげく通った。この店の主たる顧客は、バングラディシュから来てシンガポールを支える労働者たちである。レストランというよりは食堂だ。大皿に入った魚や肉料理、野菜料理がそれぞれ3・4種類おいてあって、注文したものを目の前で取り分けてくれる。鯉の親戚のような魚のカレーが私の好物で、これに加えて野菜料理も1・2種類頼む。
バングラディシュ料理の味付けは私の口に合うようだ。リトルインディアにはバングラディシュ料理の店が何軒かあって、基本的にどこも肉体労働者階級向けの食堂のようなものだ。ベンガル料理といっても、バングラディシュの東ベンガル地方と、インド東部に当たる西ベンガル地方では調理法にだいぶん差があるらしい。一般に東ベンガルのほうがスパイスが強くて辛みも強い傾向があるらしい。私が好んで通う店の味付けはマイルドで、うまみを感じる。
英語が通じることが多いので、店員との意思疎通は難しくない。ただし、明らかに肉体労働経験に乏しい日本人が行くと、好奇の目で見られるのは仕方ない。バングラディシュの人たちは、もちろん手を使って食べる。片手だけ使うのが作法だ。慣れないと片手できれいに食べるのは難しいのだが、研究と鍛錬の結果ついに私も片手で食べられるようになった。好奇の目はさらに強まったのだが、修行の甲斐あり指の使い方がきれいだと褒められるにいたった。指で食材の質感をたしかめつつ食べると、食べ物はより美味く感じるから不思議だ。触感を味覚の一部にとりこめる、どこかに眠っていた感性が呼び覚まされるようだ。魏志倭人伝には、日本人は手で食べるとの記述があるそうだ。
2025年3月某日
シンガポールはキャッシュレス化が進んだ。基本はどこもタッチ決済で、とにかく早い。PaynowというQRコード決済もあって、今回私はこの使い方もマスターして(たいしたことはないが)使えるようになった。現金はビール売り娘からビールを買うとき以外には使わない。
ビール売り娘といえばたいてい中国人なのだが、今回発見したゲイランのホーカーのビール売り娘はベトナム人とミャンマー人である。ここは面白いので、何回も通った。というのも、中国人ビール売り娘はあまり英語が話せず、私の中国語は片言よりもさらにアヤシイから、なかなか言葉のキャッチボールができない。ところが、ここのベトナム人とミャンマー人は、中国語と英語を操る。ミャンマー人の一人は、何と日本語も少しだけ話せた。2年間の就業ビザでやってきたが、ミャンマーにはすでに失望していて絶対戻りたくないから、シンガポール人と結婚してこちらに移住するのが目標だそうだ。なので、こんなところでビールを売っている陽気ではなくて、相手が豊富な大学か専門学校に行きたいとのこと。私はもちろんお呼びではない。この娘たちに限らず、ベトナムやミャンマーの人たちは、語学に長けているように思う。
このホーカーには食べ物の店舗が3つあるのだが、2つは閉業していて、私が通いはじめたときに活動しているのは四川料理の店一つだけだった(その後、「経済食」の中華料理の店が開店)。私は辛いものが苦手で、四川料理だと食べられるものが多くない。この店には毎朝作るという自家製の豆腐があって、これがなかなか美味なのだが、料理されると辛くて食べられない。それで、豆腐だけ(湯豆腐風)たべていた。豆腐に限らず、料理を注文するときには、とにかく辛くなくしてくれと頼むのだが、出てきたものを食べると辛くて汗だくになる。大量に発汗する私を何度も見るうちに、先方にも私の辛み耐性がわかったらしく、最後には私でも食べられる辛さの麻婆豆腐を作ってくれるようになった。
2025年2月某日
今回の滞在では、週末にはハイキングに行くことにしている。シンガポールには、ハイキング用の道がよく整備されている自然公園がいくつかある。道の状態は総じて良いので、ウオーキングシューズで楽に歩ける。森に囲まれているMacRitchie貯水池周辺には毎週のように出かけ、周辺に通じる道も含めて歩き回った。ホテルを8時過ぎに出てバスに乗り、貯水池周辺につくのは9時少し前だ。この時間帯だと、気温は25度くらいだが、うかうかしているとすぐに30度を超える。ただし森の中は日中でも涼しく感じ、快適だ。
自然公園は、混みあっているわけではないが、人は朝からかなりいる。快適な自然公園にあつまるのは、人類だけではない。種類はよくわからないが、さまざまな鳥の声がする。ニワトリはここにもいる。これまたよくわからない昆虫もいる。野生の猿も多い。かれらに手を出してはならない。
ある週末には、シンガポールの最高峰Bukit Timah へ登った。 登山といっても、Bukit Timahは標高わずか163.63メートルの低山である。最寄りの地下鉄の駅から、整備されたハイキング道をあるいて、1時間もかからずに登頂できる。MacRitchie貯水池側からも、楽に到達できる。しかし最高峰だけあって、見晴らしがよい場所がいくつもある。 かつて日本軍がシンガポールを占領した際には、マレー半島を南下しシンガポール上陸後、このBukit TimahとMacRitchie貯水池付近を占拠した。見晴らしの良いBukit Timahは戦略上の要綱であり、貯水池は軍の水源として重要だったのであるが、こうして歩いてみるとその理由がよくわかる。
2025年1月某日
こんな夢を見た。
何年か前に、公用語が新言語に切り替わった。新言語には、「てにをは」や丁寧語・敬語がない。それゆえ新言語の文章は、旧言語で育った自分には、読んでも聞いても妙な漢文のようでわかりにくい。しかし、いまの若者たちには大歓迎されているというのが文科省の公式見解だ。
新言語に切り替わった理由は、以下のようなことだった。 生成AIは、人間が書いた文章をトークンに分解し、トークン間の関連を推測しつつそれらを組み合わせて文章をひねり出す。そのため、状況によってトークンが対応する意味領域が異なってしまうと齟齬が生じる。ところが「てにをは」や丁寧語・敬語は、まさに状況に応じて意味領域が異なるものだ。それが日本語をあやつる生成AIが人間の能力を超えられない根本的な原因であり、日本の成長を阻害している。それで発想を完全に逆転し、生成AIが関連を誤りなく推測して操れるようなトークンの構造をAIに作成させ、人間用の日本語をこのトークン構造に対応させてつくってしまおうというのが新言語の発想だ。
確かに、新言語に切り替わってからはAIのほうが人間よりも賢くなったようだ。経済成長率も上昇した。だが、それで果たして幸せになれたのだろうかと思案していたら、目が覚めた。