2025年の独り言

by 梶井厚志

2025年4月某日

シンガポールのリトルインディアには、様々なインド風料理店がある。今回の滞在中では、とあるバングラディッシュ料理店に足しげく通った。この店の主たる顧客は、バングラディシュから来てシンガポールを支える労働者たちである。レストランというよりは食堂だ。大皿に入った魚や肉料理、野菜料理がそれぞれ3・4種類おいてあって、注文したものを目の前で取り分けてくれる。鯉の親戚のような魚のカレーが私の好物で、これに加えて野菜料理も1・2種類頼む。

バングラディシュ料理の味付けは私の口に合うようだ。リトルインディアにはバングラディシュ料理の店が何軒かあって、基本的にどこも肉体労働者階級向けの食堂のようなものだ。ベンガル料理といっても、バングラディシュの東ベンガル地方と、インド東部に当たる西ベンガル地方では調理法にだいぶん差があるらしい。一般に東ベンガルのほうがスパイスが強くて辛みも強い傾向があるらしい。私が好んで通う店の味付けはマイルドで、うまみを感じる。

英語が通じることが多いので、店員との意思疎通は難しくない。ただし、明らかに肉体労働経験に乏しい日本人が行くと、好奇の目で見られるのは仕方ない。バングラディシュの人たちは、もちろん手を使って食べる。片手だけ使うのが作法だ。慣れないと片手できれいに食べるのは難しいのだが、研究と鍛錬の結果ついに私も片手で食べられるようになった。好奇の目はさらに強まったのだが、修行の甲斐あり指の使い方がきれいだと褒められるにいたった。指で食材の質感をたしかめつつ食べると、食べ物はより美味く感じるから不思議だ。触感を味覚の一部にとりこめる、どこかに眠っていた感性が呼び覚まされるようだ。魏志倭人伝には、日本人は手で食べるとの記述があるそうだ。


2025年3月某日

シンガポールはキャッシュレス化が進んだ。基本はどこもタッチ決済で、とにかく早い。PaynowというQRコード決済もあって、今回私はこの使い方もマスターして(たいしたことはないが)使えるようになった。現金はビール売り娘からビールを買うとき以外には使わない。

ビール売り娘といえばたいてい中国人なのだが、今回発見したゲイランのホーカーのビール売り娘はベトナム人とミャンマー人である。ここは面白いので、何回も通った。というのも、中国人ビール売り娘はあまり英語が話せず、私の中国語は片言よりもさらにアヤシイから、なかなか言葉のキャッチボールができない。ところが、ここのベトナム人とミャンマー人は、中国語と英語を操る。ミャンマー人の一人は、何と日本語も少しだけ話せた。2年間の就業ビザでやってきたが、ミャンマーにはすでに失望していて絶対戻りたくないから、シンガポール人と結婚してこちらに移住するのが目標だそうだ。なので、こんなところでビールを売っている陽気ではなくて、相手が豊富な大学か専門学校に行きたいとのこと。私はもちろんお呼びではない。この娘たちに限らず、ベトナムやミャンマーの人たちは、語学に長けているように思う。

このホーカーには食べ物の店舗が3つあるのだが、2つは閉業していて、私が通いはじめたときに活動しているのは四川料理の店一つだけだった(その後、「経済食」の中華料理の店が開店)。私は辛いものが苦手で、四川料理だと食べられるものが多くない。この店には毎朝作るという自家製の豆腐があって、これがなかなか美味なのだが、料理されると辛くて食べられない。それで、豆腐だけ(湯豆腐風)たべていた。豆腐に限らず、料理を注文するときには、とにかく辛くなくしてくれと頼むのだが、出てきたものを食べると辛くて汗だくになる。大量に発汗する私を何度も見るうちに、先方にも私の辛み耐性がわかったらしく、最後には私でも食べられる辛さの麻婆豆腐を作ってくれるようになった。


2025年2月某日

今回の滞在では、週末にはハイキングに行くことにしている。シンガポールには、ハイキング用の道がよく整備されている自然公園がいくつかある。道の状態は総じて良いので、ウオーキングシューズで楽に歩ける。森に囲まれているMacRitchie貯水池周辺には毎週のように出かけ、周辺に通じる道も含めて歩き回った。ホテルを8時過ぎに出てバスに乗り、貯水池周辺につくのは9時少し前だ。この時間帯だと、気温は25度くらいだが、うかうかしているとすぐに30度を超える。ただし森の中は日中でも涼しく感じ、快適だ。

自然公園は、混みあっているわけではないが、人は朝からかなりいる。快適な自然公園にあつまるのは、人類だけではない。種類はよくわからないが、さまざまな鳥の声がする。ニワトリはここにもいる。これまたよくわからない昆虫もいる。野生の猿も多い。かれらに手を出してはならない。

ある週末には、シンガポールの最高峰Bukit Timah へ登った。 登山といっても、Bukit Timahは標高わずか163.63メートルの低山である。最寄りの地下鉄の駅から、整備されたハイキング道をあるいて、1時間もかからずに登頂できる。MacRitchie貯水池側からも、楽に到達できる。しかし最高峰だけあって、見晴らしがよい場所がいくつもある。 かつて日本軍がシンガポールを占領した際には、マレー半島を南下しシンガポール上陸後、このBukit TimahとMacRitchie貯水池付近を占拠した。見晴らしの良いBukit Timahは戦略上の要綱であり、貯水池は軍の水源として重要だったのであるが、こうして歩いてみるとその理由がよくわかる。


2025年1月某日

こんな夢を見た。

何年か前に、公用語が新言語に切り替わった。新言語には、「てにをは」や丁寧語・敬語がない。それゆえ新言語の文章は、旧言語で育った自分には、読んでも聞いても妙な漢文のようでわかりにくい。しかし、いまの若者たちには大歓迎されているというのが文科省の公式見解だ。

新言語に切り替わった理由は、以下のようなことだった。 生成AIは、人間が書いた文章をトークンに分解し、トークン間の関連を推測しつつそれらを組み合わせて文章をひねり出す。そのため、状況によってトークンが対応する意味領域が異なってしまうと齟齬が生じる。ところが「てにをは」や丁寧語・敬語は、まさに状況に応じて意味領域が異なるものだ。それが日本語をあやつる生成AIが人間の能力を超えられない根本的な原因であり、日本の成長を阻害している。それで発想を完全に逆転し、生成AIが関連を誤りなく推測して操れるようなトークンの構造をAIに作成させ、人間用の日本語をこのトークン構造に対応させてつくってしまおうというのが新言語の発想だ。

確かに、新言語に切り替わってからはAIのほうが人間よりも賢くなったようだ。経済成長率も上昇した。だが、それで果たして幸せになれたのだろうかと思案していたら、目が覚めた。