2024年の独り言

by 梶井厚志

2024年4月某日

今年も桜前線の北上は早い。札幌は昨年より2日遅れて開花したものの、平年よりは10日以上早い。4月に桜が見ごろを迎えるのも、異常というより常態になるだろう。いや、もうすでにそうなっているのかもしれない。 思い起こせば、昨年は春から暖かく、夏は猛暑といえる暑さだった。8月に小樽・札幌でSWETを計画しているが、昨年の暑さを思えば、行く意欲がそがれる。静内も猛暑だったが、それでも小樽や札幌よりはかなりましであった。今のところ、最後の札幌会場に少しだけ顔を出す予定にしている。

我が家のアスパラガスは、昨年に続いて今年も不作のようだ。昨年に続き、今年も雪も少なかったため、地中の状態は良くなかったのだろう。それに加え、けしからぬことに鹿が我が家のアスパラ畑にやってくるようになったのが問題だ。奴らはたいてい深夜にやってくる。目撃したのはかなり前に1度だけなのだが、手入れした畑に鹿の蹄跡が残っているから、頻繁に来ているに違いない。ただ、跡の数は多くはないので、おそらくは群れから離れた1・2頭が探索に来ているのだろう。ついでにアスパラガスの新芽を食べているのかもしれない。もし群れがやって来てしまうと、畑の被害は計り知れない。誰か、撃ち殺して食べてくれないか。

アスパラガスに期待できないので、今年はジャガイモを多めに植えることにした。昨年、味の良い「インカのめざめ・インカのひとみ」を植えたらうまく育たなかった。害虫にやられたようである。「シャドー・クイーン」というのは一応育って、葉が貧弱で元気には見えなかったわりにはできた芋は存外うまかった。今年は、しっかり害虫対策をして、昨年の倍植える予定だ。今から収穫時が楽しみだ。


2024年3月某日

昨年導入した太陽光パネルのその後(2023年11月参照)。いろいろと試してみた。氷点下だと、充電池の性能が悪くなるらしいが、段ボール箱で充電池をカバーしておくと、一応は充電されるようだ。より大きな問題は、12月・1月の日の短い時間には、肝心の太陽エネルギーの量が少ない点。この時期の太陽は弱々しく感じられるものだが、実際に太陽光パネルの発電量は小さくて、パネルで遊んでいると本当に弱いのだと体感できる。弱いだけではなく、高緯度地方では日中の時間がとても短いから、太陽光パネルに光が当てられる時間が短い。充電できる量は時間と強さの掛け算できまるから、日が弱くて短い時分には、ほとんど充電できない。

これでは非常時に太陽を待っていても充電が追い付かず間に合わない。そこで、太陽に頼らず家庭用電源で充電しておくことにした。実は充電池は大容量と小容量の2台を購入してある。大容量のほうは非常用に充電しておいて保管し、太陽光パネルで実験するときは小容量のほうを使うことにした。これで極寒の中停電しても石油ヒーターを使い続けられるから、凍えることはない。

外気温がマイナスであっても、太陽は2月の終わりころから次第に力強くなり、3月に入るとはっきりと違いを感じる。実際、太陽光パネルも発電量が増し、日も長くなったので、パネルと充電池を外に出しておくと、充電池はみるみる充電されていく。この速さで充電できるなら、パソコンやスマホ・タブレットの充電は太陽光で楽にまかなえる。保管しているほうの大容量充電池も、家庭用電源としてつかってみよう。


2024年2月某日

今年も暖かい。気温が10度近くまであがる日もあってびっくりする。

雪も少ない。こちらに移住してきてから、毎年1月の中ごろには大雪の日があって、雪かきに汗を流したものであるが、今年はほとんど降っていない。日本海側ではかなりの大雪が続いたらしいのだが、日高地方の海岸ではほとんど降っていない。雪が 降らないだけではなくて、雨が降るのが奇妙だ。気温が高いのである。雪が少し積もっても、雨が降ってほとんど消えてしまう。窓から見える景色だけでいえば、すでに3月下旬から4月の様相だ。

夜は氷点下に気温が下がり、ときおりマイナス10度を下回っている。雨が降っても、庭の土は凍り付いたままなのだが、それでもクワを打ち込んでみると多少は土にめり込む。凍っているのは表層部分だけなのだ。例年だと、クワを打ち込むと金属のような音がして跳ね返されるものだ。よくよく観察してみると、昨年ほどは固まっていないようだ。

庭ではスズメがよく目に付く。昨年までは、真冬には見なかったように思う。10羽ほどの群れが毎日のように現れる。何かを探している様子で、地面を10分ほど跳ね回ると去っていく。雪がないので、真冬でも地中から虫がとれるから、こんなところにいるのか。我が家の庭に来るのはどうやらもっと大きな群れの一部らしい。大きな群れがいくつかの分隊になって、手分けをしてなにがしかの日課をこなしているようだ。


2024年1月某日

こんな夢を見た。

東海道の関宿に自分はいるらしい。関宿の東入り口は伊勢に向かう街道との分岐点で、西入り口は伊賀から奈良に向かう大和街道との分岐点だ。ここは交通の要衝で、いつ来ても賑わっている。宿場内を行きかう人々は武家あり商人あり運搬人あり、また伊勢参りの集団あり、それを商売にしようとする雑多な人々ありで、実に多種多様だ。見物するだけでも面白い。まだ暮れ六つまでにはしばらくあるが、ここに泊まることにして、旅籠に入った。

庭のみえる奥座敷に泊まりたかったが、そちらには先客がいた。 小柄な初老の男が、どこを眺めるということもなく、ただ座っている。女中にあれは誰かと尋ねたら、天下第一の弓の名人で、かれこれ一月ばかり逗留しているという。 この男、ピクリとも動かず、なんの表情も無い。木偶のごとく愚者ごとき容貌である。弓のことなどとっくに忘れてしまっているに違いない。こうでなくてはいけない。なるほど名人らしい。

生成AIが何にでも組み込まれるようになった頃から、何もせず何も語らないのが人物になった。自分はまだまだだなと思ったら、目が覚めた。