2024年11月某日
シンガポールにやってきた。今回は来年3月までの長期滞在。宿泊場所はいつもと同じ滞在型アパートメントホテル。SMUまでは徒歩3分。2013年以降、2020年にコロナ禍で途切れるまで、シンガポールにはほぼ毎年2か月ほど滞在してきたのだが、この時期に来るのは初めてである。
早速必要なものを買い出しに近くのショッピングモールにいくと、何やら雲のようなものが飾られている。よく見るとこれはどうやら雪である。シンガポールは常夏の国、1年中気温はおおむね同じであるから、気候から季節は感じられない。そこで、視覚から季節感を出そうというのであろう。 そのうちにクリスマスツリーがにょきにょきと立ってきた。滞在するホテルの1階にも完成した。SMUキャンパス内でも、そこかしこにみられるようになった。
かつて11月末までオーストラリアにいたことがあり、初夏のクリスマス準備は経験したことはある。ただし、そのときもクリスマスまではいなかった。今回は真夏のクリスマスだ。
2024年10月某日
ヒトは生活を便利にしようと様々な生物を持ち運んだ。自然分布域以外の地域に移動させられた生物を、外来生物・外来種などというが、さてどのような外来種が身の回りにあるのかというと、存外知らないものだ。国産というと、日本固有のものと思いがちだが、これは日本で育てられたというだけで、もとから日本に自然分布していたわけではない。実際、私達が食べる多くの国産農作物は、この定義では外来種である。家畜やペットの動物も、ほとんどが外来種である。したがって、外来種は必ずしも悪者ではなく、外来種なしでは現代的な生活は成り立たない。 他方で、既存の生態系を脅かす悪者も多いのも事実である。環境省のページにある侵入生物データベースをみると、どの外来種が危険と考えられているかがわかる。
さて、糖尿人に好ましいと聞いて、この地に移住して以来、キクイモを育てている。こいつは強く、手入れをしなくてもあきれるほど元気で、夏場にすくすく伸びて高さが2メートル近くになる。10月になると、てっぺんに菊のような花をつける。地中には小ぶりのジャガイモくらいの大きさのイモがたくさんできている。このイモは熱を加えるとほのかに甘く、食べ慣れるとなかなかおいしい。血糖値を下げているのかどうかは、私自身の測定でははっきりしない。
キクイモの原産地は北米大陸で、外来種の一つである。侵入税物データベースによると、「要注意外来生物」であり、抜き取り・刈り取りで駆除すべしとされている。それで、自分の敷地内からはみ出ないよう、抜いたり刈ったりして注意している。
2024年9月某日
知り合いの農家からスイカの苗を2つもらったので庭に植えた。6月のことである。本葉が5枚出たらツルの先端を切るように言われていたので、おそるおそるちょん切ってみると、枝がいくつか出てきた。それらの枝は、近くに植えたかぼちゃと競うように這いまわって伸長し、いつしか花をつけた。
プロは人工的に受粉させるのだが、やり方がよくわからない。花に虫がやってきていたので、自然に任せておけばよかろうと放っておいたら、実が合計8つできて、みるみる大きくなった。このスイカは小ぶりの実をつける種類だそうで、実の大きさはバレーボールより少し小さいくらいである。 ただ、いつ収穫したらいいのかわからない。苗をくれた人に聞いたら、受粉後45日という答えが返ってきたのだが、自然派にはいつ受粉したのかがわからない。観察していると、大きくなるのが止まり大きさが定まったようだ。それで一つためしに収穫したら、若くて果肉は堅く、まだスイカになっていない。
いかにすれば適切な時期を見出せるか思案しつつ過ごしていたら、9月1日に一つの実の表面が少し裂けて中の赤い実が少し見えているのを発見した。これはできすぎてしまったかと、慌てて収穫して食べてみたら、これが甘みも水分も十分でスイカらしい味がし、非常にうまかった。そろそろ収穫時期になったようだ。
2024年8月某日
今年もさまざまな人たちの頑張りのおかげで、SWETを開催することができた。思えば、夏の北海道研究集会SWETを初めて企画したのは2006年で、当時は冷涼な北海道に感激したものである。翌年、サッポロビール園の屋外ジンギスカンで懇親会をした折には、夜上着がないと寒かったのを覚えている。2014年に『経済セミナー』で書いた紹介記事には「猛暑日の続く京都を逃れるべく、北海道 大学と小樽商科大学との合同研究会を開催した」と私は記している。
ところが、2017・8年あたりからその冷涼さが感じられなくなった。今年も暑かった。札幌では連日30度を超える真夏日であった。本州では毎日のように猛暑日になっているのを思えば、まだ良いのだろうが。私が住む日高沿岸部は札幌・小樽あたりより気温が3−5度低いので、SWETに出かけるのが億劫になりつつある。実際、今年は小樽には行かなかった。
札幌では、久しぶりにサッポロビール園での懇親会があった。暑いとビールはうまい。ただし、今や場所は屋外ではなく、冷房の効いた屋内である。どのような事情でそうなったのかは知らない。
2024年7月某日
小ぶりのジャガイモをオーブン焼きしてチーズをのせたものを、白ワインと合わせて飲むとすこぶる美味である。当たり前だが、味の良いジャガイモが適する。すると自分でジャガイモを作りたくなった。それで今年はジャガイモを3種類植えてみた。
ジャガイモは花をつけた後、葉が枯れはじめた頃からが収穫に適するらしい。早々と枯れたのがあったので、ためしに掘ってみると小さなのがいくつもできていた。こいつは「インカのめざめ」という種類である。大きめのもあるにはあったが、虫食いの穴が開いていて、あまり食欲をそそられないから、そのまま畑になげた。それゆえ収量は少なかった。
虫よけにマリーゴールドと一緒に植えるといいというから混植しておいたのだが、効果は乏しかったようだ。ジャガイモに比べマリーゴールドの量が少なすぎたのかもしれないが、混植がいいという説には疑問もある。というのも、やってみるとマリーゴールドは生育が遅くて、ジャガイモの生育期にはほとんど伸びないからだ。ジャガイモが枯れ始めた今頃になってようやく大きくなり花をつけ始めた次第で、これでは証文の出し遅れのように見える。もっとも、地下で何が起こっているのかは知る由もないが。
わずかな収穫物を、くだんの方法で食べてみた。自分で作ったものはおいしく感じるものだが、思い描いていたほどではない。味が薄いように思う。期待が高すぎたせいかもしれない。
2024年6月某日
我が家の隣は牧場の牧草地だ。境目に柵も塀もないから、ちょうどよい借景になっていて、我が家の敷地は広大に見える。
この時期、牧草はみるみる伸びて、風が吹くと波打つようになる。そして牧草たちは花も咲かせるのだが、すると私の芝生に種が飛んでくる。牧草は芝の親戚で、芝が育つところでよく育つ。しかし、芝生よりはるかに硬くて、刈り込んでも見栄えは良くなくて具合が悪い。そのために、花が咲く前に刈り取ってほしいのだが、刈り取る時期は当然牧場の都合できまる。借景も善し悪しなのである。
昨年、隣との境目にとげのある草が成長を始めた。何だかよくわからないが、ちょうど牧草地との境目にいる。境界の目印としてちょうどよいと切らずにそのままにしておいたら、冬を越して生き残り、春先からぐんぐん伸びてかなり大きくなった。とげも鋭くなって、うっかり触れない。Googleレンズによるとハマナスだそうだが、信じていいのかどうか。ハマナスはバラの親戚で北海道各所に自生しているものだから、鳥が種を運んできたのかもしれない。ハマナスだとすると、もうすぐ赤い花をつけて実がなるはずだが、さてどうなることか。
追記:白い花をつけた。白い花をつけるハマナスもあるらしいが、どうやらハマナスではない。Googleレンズもこれは「野ばら」だと意見を変えた。
2024年5月某日
桜が終わると、サクラマスの季節だ。サクラマスはサケの親戚にあたる魚で、北海道では桜の咲くころにやってくる。サケと同様にサクラマスは川で産卵する。かえった稚魚は1年を生まれた川で過ごし、翌年に川を下って海に行くのだが、その一部は川にとどまり生活するそうだ。川に残るのをヤマベといい、これらはサクラマスよりも小型である。
サクラマスもヤマベも美味い魚である。サクラマスは、サケと同じように調理する。この時期、庭ではディルやパセリが顔をのぞかせ始めるので、それを摘んできてフライパンで焼いたサクラマスと合わせるといい。ヤマベは川魚らしい淡白な味だが、どこかサケのような香りがする。私はフライにしたものが好きだ。
ところが、今年はサクラマス漁が低調である。サクラの開花が早かったものの、その後の北海道太平洋岸地方は寒い日が続いて、水温が上がらなかったためらしい。サクラマスの遡上が遅れているだけなら、これから味わう機会がふえるはずなのだが。
2024年4月某日
今年も桜前線の北上は早い。札幌は昨年より2日遅れて開花したものの、平年よりは10日以上早い。4月に桜が見ごろを迎えるのも、異常というより常態になるだろう。いや、もうすでにそうなっているのかもしれない。 思い起こせば、昨年は春から暖かく、夏は猛暑といえる暑さだった。8月に小樽・札幌でSWETを計画しているが、昨年の暑さを思えば、行く意欲がそがれる。静内も猛暑だったが、それでも小樽や札幌よりはかなりましであった。今のところ、最後の札幌会場に少しだけ顔を出す予定にしている。
我が家のアスパラガスは、昨年に続いて今年も不作のようだ。昨年に続き、今年も雪も少なかったため、地中の状態は良くなかったのだろう。それに加え、けしからぬことに鹿が我が家のアスパラ畑にやってくるようになったのが問題だ。奴らはたいてい深夜にやってくる。目撃したのはかなり前に1度だけなのだが、手入れした畑に鹿の蹄跡が残っているから、頻繁に来ているに違いない。ただ、跡の数は多くはないので、おそらくは群れから離れた1・2頭が探索に来ているのだろう。ついでにアスパラガスの新芽を食べているのかもしれない。もし群れがやって来てしまうと、畑の被害は計り知れない。誰か、撃ち殺して食べてくれないか。
アスパラガスに期待できないので、今年はジャガイモを多めに植えることにした。昨年、味の良い「インカのめざめ・インカのひとみ」を植えたらうまく育たなかった。害虫にやられたようである。「シャドー・クイーン」というのは一応育って、葉が貧弱で元気には見えなかったわりにはできた芋は存外うまかった。今年は、しっかり害虫対策をして、昨年の倍植える予定だ。今から収穫時が楽しみだ。
2024年3月某日
昨年導入した太陽光パネルのその後(2023年11月参照)。いろいろと試してみた。氷点下だと、充電池の性能が悪くなるらしいが、段ボール箱で充電池をカバーしておくと、一応は充電されるようだ。より大きな問題は、12月・1月の日の短い時間には、肝心の太陽エネルギーの量が少ない点。この時期の太陽は弱々しく感じられるものだが、実際に太陽光パネルの発電量は小さくて、パネルで遊んでいると本当に弱いのだと体感できる。弱いだけではなく、高緯度地方では日中の時間がとても短いから、太陽光パネルに光が当てられる時間が短い。充電できる量は時間と強さの掛け算できまるから、日が弱くて短い時分には、ほとんど充電できない。
これでは非常時に太陽を待っていても充電が追い付かず間に合わない。そこで、太陽に頼らず家庭用電源で充電しておくことにした。実は充電池は大容量と小容量の2台を購入してある。大容量のほうは非常用に充電しておいて保管し、太陽光パネルで実験するときは小容量のほうを使うことにした。これで極寒の中停電しても石油ヒーターを使い続けられるから、凍えることはない。
外気温がマイナスであっても、太陽は2月の終わりころから次第に力強くなり、3月に入るとはっきりと違いを感じる。実際、太陽光パネルも発電量が増し、日も長くなったので、パネルと充電池を外に出しておくと、充電池はみるみる充電されていく。この速さで充電できるなら、パソコンやスマホ・タブレットの充電は太陽光で楽にまかなえる。保管しているほうの大容量充電池も、家庭用電源としてつかってみよう。
2024年2月某日
今年も暖かい。気温が10度近くまであがる日もあってびっくりする。
雪も少ない。こちらに移住してきてから、毎年1月の中ごろには大雪の日があって、雪かきに汗を流したものであるが、今年はほとんど降っていない。日本海側ではかなりの大雪が続いたらしいのだが、日高地方の海岸ではほとんど降っていない。雪が 降らないだけではなくて、雨が降るのが奇妙だ。気温が高いのである。雪が少し積もっても、雨が降ってほとんど消えてしまう。窓から見える景色だけでいえば、すでに3月下旬から4月の様相だ。
夜は氷点下に気温が下がり、ときおりマイナス10度を下回っている。雨が降っても、庭の土は凍り付いたままなのだが、それでもクワを打ち込んでみると多少は土にめり込む。凍っているのは表層部分だけなのだ。例年だと、クワを打ち込むと金属のような音がして跳ね返されるものだ。よくよく観察してみると、昨年ほどは固まっていないようだ。
庭ではスズメがよく目に付く。昨年までは、真冬には見なかったように思う。10羽ほどの群れが毎日のように現れる。何かを探している様子で、地面を10分ほど跳ね回ると去っていく。雪がないので、真冬でも地中から虫がとれるから、こんなところにいるのか。我が家の庭に来るのはどうやらもっと大きな群れの一部らしい。大きな群れがいくつかの分隊になって、手分けをしてなにがしかの日課をこなしているようだ。
2024年1月某日
こんな夢を見た。
東海道の関宿に自分はいるらしい。関宿の東入り口は伊勢に向かう街道との分岐点で、西入り口は伊賀から奈良に向かう大和街道との分岐点だ。ここは交通の要衝で、いつ来ても賑わっている。宿場内を行きかう人々は武家あり商人あり運搬人あり、また伊勢参りの集団あり、それを商売にしようとする雑多な人々ありで、実に多種多様だ。見物するだけでも面白い。まだ暮れ六つまでにはしばらくあるが、ここに泊まることにして、旅籠に入った。
庭のみえる奥座敷に泊まりたかったが、そちらには先客がいた。 小柄な初老の男が、どこを眺めるということもなく、ただ座っている。女中にあれは誰かと尋ねたら、天下第一の弓の名人で、かれこれ一月ばかり逗留しているという。 この男、ピクリとも動かず、なんの表情も無い。木偶のごとく愚者ごとき容貌である。弓のことなどとっくに忘れてしまっているに違いない。こうでなくてはいけない。なるほど名人らしい。
生成AIが何にでも組み込まれるようになった頃から、何もせず何も語らないのが人物になった。自分はまだまだだなと思ったら、目が覚めた。