2022年の独り言

by 梶井厚志

2022年12月某日

日高では、様々なカレイがとれる。ひとくくりにカレイというが、種類はとても多い。種類によって、大きさも味も随分と違う。煮ても焼いてもうま味に乏しく、食用にはあまり向かないと思われる種類もある。マツカワカレイのように、もっぱら刺身で食べられる高級魚もある。マツカワカレイのマツカワは松皮の意だそうだ。ウロコが硬くてガサガサしており、松の木の表皮のようだからというのだが、私は刺身になった姿しか知らないのでわからない。ババガレイ(ナメタガレイ)は東北地方では年越しに欠かせないそうで、日高でとれたババガレイも年末には東北に向かうものが多いようだ。

サメガレイという種類があるが、これは大変美味である。大きくて見てくれは悪い。うろこが見えず、肌がぬめぬめとしていて気持ち悪いところから、「サメ」というらしいが、私はきれいに処理されて切り身になったものしか見たことがないからわからない。脂ののった身は煮つけにすると大変おいしい。私は煮つけた魚はあまり好きではないのだが、砂糖を一切加えず昆布だけ利かせたサメガレイの煮つけは大好きだ。これから冬の終わりくらいまでが時期である。昔は大量に獲れたものの、見てくれの悪さから買い手が少なく値段も安かったので、この魚の価値を高めるべくブランド化の努力がなされたそうだ。今は漁獲量が減ったために自然に値段が上がり、どちらかというと高級魚である。

さて、今シーズンはどれだけ食べられるか。とても楽しみだ。


2022年11月某日

北海道の家屋の壁には、断熱材がたくさん入っているもので、我が家も例外ではない。外部との熱の出入りが大きいのは窓で、省エネのためには窓を多層にすると効果が大きいそうだ。我が家の窓は三重(空気の層が2つ)で、使ってみると部屋側の窓の表面温度は室温に近く、実際に夏でも冬でもその効果を実感する。

断熱材と三重窓は、音響にも効果を発揮するようだ。家の内を、屋外の熱や寒気から遮断するだけではなく、音からも遮断するらしい。我が家の音響機器は決して高級なものではないが、鳴らすとよい音がする(ように感じる)。すくなくとも、私がかつて暮らしたどの部屋で聞くよりも、音質を楽しめる。しかも、近所とは距離があり、大音量で鳴らしても気兼ねをする必要がないから、これまたかつてない音量で音楽を楽しめる。かつて集めたCDやLPも、音響の良い部屋で大音量で聞くとまったく印象が変わり、またいろいろな音を発見できて楽しい。ただ、こうなってくると、よりよい音響機器が欲しくなる。アンプやスピーカーも、別の物を試してみたい。ハイレゾ音源でも聞いてみたいものだ。

ここしばらくは、Soft Machineのアルバムをよく聞いている。Soft Machineの音楽をどのように形容すべきかわからないが、私には懐かしい音楽だ。高校生のころ、Soft Machineの"Third"という2枚組のLPを渋谷のディスクユニオンで買い、当時は何度も繰り返してかなり熱心に聞いていた記憶がある。そのLPはいまだに地下に隠し持っているのだが、段ボール箱に入っていて手軽に出すことができない。そもそも、レコードプレーヤーがアンプにつながっていないから、取り出してきても音は出せない。それでCDを新たに手に入れ、今はそちらを聞いている。

高校生当時の予算ではLPを一つ買うのも大変だったが、幸いにも今の予算規模だともっと買える。それで、高校生の時にはほしくても手が出なかった、Soft Machineの初めの2枚のアルバム"The Soft Machine" と"Volume Two"もディスクユニオンからCDで手に入れ、これらも熱心に聞いている。もっとも今では渋谷まで出かける必要はなく、ディスクユニオンのオンラインショップで買えた。勢いにのって、前から気になっていたRobert Wyattの"Rock Bottom"も買い求めた。


2022年10月某日

全国旅行支援が始まった。毎週のようにホテルに宿泊する私は、これから年末まで、かなりの恩恵を受けることになる。このGOTO系の支援策は、どれも経済学的にはかなりゆがんだ制度ではある。しかし、税金をかけて運用されている以上、納税者としてはあえてこれを避ける理由はない。早速、年内の宿泊予約を、すべて全国旅行支援が受けられるものに切り替えた。

宿泊費が割引になるだけではなく、主として飲食に使える支援クーポンがもらえる。前回のGOTO事業の時と異なり、支援クーポンを配る主体は自治体(都道府県)である。そのため、支援クーポンの形態は自治体に依存するとのこと。GOTO事業のときは全国共通デザインの紙クーポンに、使える都道府県の名称がスタンプされていたと記憶するが、今回は様々なデザインが現れるそうだ。

大阪府では「おおさかPAY」というアプリが利用できて、QRコード支払いができる。本当に使えるのか半信半疑だったが、このアプリをスマホに装備してから初めに行った「酒の奥田」で使えたので、これはかなりの場所で使えるのだろうと確信した。実際、私の普段の立ち回り先でも使える場所が多い。1円単位で使えるから釣りの心配は不要で、紙クーポンよりはるかに使い勝手がいい。有効期限も7日間あるらしい。

兵庫県は、前にどこかで見たことがあるようなデザインの紙のクーポン券で、1枚が1000円。おつりは出ない。有効期間は宿泊当日と翌日の2日間だけ。買いたい土産物はないから、すべて飲食費に使う。平日だと一日当たり3000円くれるから、使い切れるかと心配したが、すぐになくなった。


2022年9月某日

シンガポールに行ってきた。2020年3月に、日本の国境がまさに閉ざされんとする日の前日にからくも脱出して以来だから、2年5か月ぶりの訪問である。海外に出るのもその時以来だ。 この期間、飛行機には毎週のようにのってきた。しかし国際線はやはり一味違う。羽田で無事出国手続きを終えたら、新たなことに挑戦するかのような不思議な感じがした。

閑散としているのかと思いきやさにあらず、機内はかなり混雑していた。シンガポールに着くと、空港は各国からの人であふれていて、コロナ前の状態と変らないように感じる。一点違うとすれば、マスクをしている人が多いことだけだ。

シンガポールでは、私の到着1週間ほど前にマスク着用義務が撤廃され、バス・電車・飛行機内と病院内を除いてはマスクをしなくてよい。空港内でもしなくてよいのであるが、まだ習慣として残っているのであろうか。義務ではないものの、街中でもマスクをしている人のほうがはるかに多くて、マスクをしていないと目立った。とはいえ、滞在していた2週間ほどの間に、マスクをつけない人の割合はみるみる増えて、半分くらいになったように感じる。人々の心理も徐々に変化するということだろうか。

各所で人出は多く、街に活気がある。日本とはまた差がついたと感じる。観光客も多かったのではないか。そう感じるのは、町をぶらついている間に2度も写真をとってほしいと頼まれたから。

非接触型の決済が増えた。もともと、キャッシュレス決済では日本のはるかに先をいっていたが、さらに進んだ感がある。ホーカーの屋台でもキャッスレス決済を受け付けるところがあって、これには驚いた。ただ、私の好きなビール売り子たちは未だに現金決済で変化なし。こらは間違いなくコロナで大打撃を受けた職種の一つだろうが、かつてのような活気を取り戻していた。お馴染みのなかにも生き残りがいて、顔を認識しあえた時には少し感激し、よせばいいのに随分と飲んだ。


2022年8月某日

夏イカのシーズンだが、今年は日高沖でもあまりとれないとのこと。いよいよ資源が枯渇したのかもしれない。日高昆布は豊漁(豊作)だそうだ。昆布は1年おきに豊漁と不漁を繰り返してきたそうだ。今年は豊漁の順番で、その意味では予想通りなのだが、昨年発生した赤潮で沿岸の生き物たちに壊滅的な被害があったため、関係者はかなり心配したようだ。

昆布漁は、船に乗って昆布を刈り取ってくる方法と、浜に打ち上げられてくる昆布を拾う方法に大別される。拾うといっても、すでに浜に落ちているものを拾うのとはわけが違い、生息地で成熟した昆布がちぎられて波打ち際に漂って来るのを見つけ、道具で引っ掛けて拾い上げる。浜に上がってしまっているものは、すでに劣化が進んでいて商品にはならないそうだ。どちらの方法で捕獲しても、それを遅滞なく天日で乾燥させて初めて、商品としてお目にかかる日高昆布になる。この乾燥作業が人手のかかるたいへんな作業なのだが、現状では機械化の兆しは見えていない。

船に乗って昆布の生えている場所に行くほうが確実に取れるのだが、船を動かす費用はかかるし海面の状況にも大きく左右される。他方で拾い昆布のほうは、適当な昆布が流れる着くのを浜でまち拾うわけだから、見かけ上の費用は小さい。どちらの方法でとっても、適切に天日乾燥させれば同様の値段で売れるため、昆布1枚当たりの利益率にすると拾うほうが優れている。

昆布を拾うとはいえこれはれっきとした漁で、他のさまざまな魚漁と同様に漁業権が設定されている。利益率が高いものだから、拾いに特化した漁師たちは、昆布が流れてくるとこれを競って拾う。そのうちに昆布がお札に見えてくるそうだ。上物を取り合いになることも頻繁におこるが、喧嘩にはならないとのことである。

追記:あとで知ったが、基本的には、昆布拾いは海が荒れて漁に出られないときに行うもので、船と拾いという2業態で競い合うというわけではないそうだ。


2022年7月某日

国土交通省の有識者会議がまとめた提言によると、1キロあたりの1日平均乗客数(輸送密度)が千人未満のJR路線は、「見直しの対象」となるそうだ。廃止は前提とせず、存続やバスへの転換などに向け、JRと自治体の協議を促すとのこと。

NHKがこのニュースを報じたとき、NHKはバス転換の成功例であるかのように、日高線廃止にともなうバス転換をとりあげていた。バス転換というが、列車の代わりにバスを走らせるという意味ではない。実際、日高線は廃止前にすでに機能停止していて、「代行バス」に切り替わっていたから、列車の代わりにバスが走っていたのである。バス転換とは、この代行バスが無くなり、他の路線のバスに切り替わったということだ。

日高線沿線全体では判断がつきかねるが、静内を出入りする住民に限れば、利便性は多少向上したかもしれない。というのも、バスの新路線は国道沿いの停留所にとまるからだ。静内の大型商業施設は国道沿いに分布していて、利用する住民にとって国道を走るバスはありがたい。代行バスも基本的には国道を走ったのだが、国道では一切停車せず、鉄道駅でのみ乗客を乗り降りさせるという非効率的なことをしていた。駅からイオンまでは歩いて10分はかかる。要するに、鉄道が廃止になるずっと前から、駅は不便な場所にあったのだ。

結果的に、バスはすべて国道沿いのバス停に停車することになったのはめでたい。JRバスが停まるバス停は、イオンの目の前の便利なところにある。新JRバスは厚賀から日高道をめいっぱい利用するから速く、苫小牧や札幌へ行く所要時間は、鉄道時代の1/3になった。ただし、1日1往復だけだから、便数は鉄道時代の1/3以下である。


2022年6月某日

関西学院の正門から入ると、正面に時計台が見える。少し歩くと、時計台の前に広がる芝生が見える。このあたりで見えるのが、最も関学キャンパスらしい景色だろう。天気の良い日には、芝生の上で弁当を広げる人たちもいる。

内部の人間には見慣れた風景であるがゆえに、じっくり眺めることは少ない。ところがある朝大学に行くと、芝生の上を巨大なカブトガニが動き回っているのに気付いた。いや、カブトガニにしては体が黒い。そもそもここは水中ではなくて芝の上だ。もう少し近づくと、動きの鈍い巨大ゴキブリのようにも見える。

こいつはカブトガニでもゴキブリでもなくて、自走式の機械である。オートモアというらしい。自分で動き回り、芝刈りをするのである。見ていると、芝生の中ほどでは軽快に前進し、芝の伸びすぎたところを熱心に食べているようにみえる。正確にいうと、食べている様子は見えないのだが、通り過ぎた後は草の長さがそろっているから、そのように感じるのだ。端にある杭にあたると、2度3度首を振った後、方向転換してまた芝生の中に向かい、伸びた芝を食べ続ける。夜間自動運転して、時間がくると自分の巣に戻るらしい。そのため、昼間にこいつが動き回る姿を見ることはできない。

毎日オートモアに一定の高さに刈り込まれているのが、この芝生を美しく見せる要因の一つだろう。ただ近づいて観察すると、この芝生には芝よりも雑草のほうが多いことに気付く。実は、現状では芝のほうがはるかに少数派だ。 オートモアは刈り込むだけで抜きはしないから、夜を徹して頑張ってくれても横に広がって伸びる雑草は減ることはない。なので、この芝生は遠くから見るほうが良い。

これだけ雑草が入ってしまうと、張り替えるしか芝生を再生する手段は無かろう。実際、新しい芝生に張り替えられている場所もある。果たして全面的に張り替えるのだろうか。


2022年5月某日

JR函館本線の小樽ー長万部間が廃線になると決まった。札幌から函館に向かう場合、函館本線を経由するほうが、苫小牧に出て室蘭線経由で行くよりも、距離がかなり短い。ところが、この区間の函館本線は山間部を通るため単線で、しかもカーブが多く高低差もあるため列車は速度を上げられない。沿線上にほとんど人が住んでおらず、豪雪地帯を通るため冬季の運行は非常に困難だ。

1964年の時刻表によると、特急列車は室蘭線経由で、函館本線には急行列車しか走っていない。60年前のこの時点ですでに、本線は室蘭線だったのである。 札幌9時10分発の急行「まりも」は函館に15時06分に着くから、所要時間は6時間弱だった。他方で札幌13時40分発の特急「おおとり」だと函館は18時10分着で、5時間30分で到達できた。

札幌オリンピックがあった1972年ころ、私は札幌に住んでいた。そのころ、札幌から広島まで行くのに、函館本線経由で函館にいき、青函連絡船に乗って青森から特急「日本海」というのに乗って大阪、そして新幹線で岡山、そこから特急「はと」というのに乗ったはずだ。しかし、この記憶はおぼろげだ。特急「日本海」には少し自信があるが、新幹線から「はと」という部分はそれほどではない。函館本線のほうは、全く自信がない。室蘭線経由の特急のほうが所要時間が短いのに、ほんとうに函館本線の急行に乗ったのだろうか。

乗ったか乗らないか、間違えても命にかかわるような大事件には至らない。しかし、気になる。それで10年近く前に、京都から冬の小樽に出張でいったとき、この機に乗じて函館本線を確実に制覇しておこうと、小樽から函館本線経由で長万部に出ることにした。ところが悪いことはできないもので、列車が余市を過ぎて山間部にさしかかったころから雪が降り始め、倶知安に着いた頃には前が見えないほどの吹雪になっていた。みるみる雪は積もってくるし、この先はさらなる豪雪地帯である。立ち往生してはたいへんなので、泣く泣く小樽に戻ったのであった。

実際に廃線になるのは新幹線が通る時なのでまだ時間はある。そもそも乗る必要があるのかという哲学的問題も未解決だ。しかし、人間出来るときにやっておかないと、悔いが残る。おりしも北海道では「道民割引」を設け道民の旅行を促している。ここはひとつ北海道経済のためにと立ち上がろう。それで、静内から苫小牧・伊達紋別から洞爺湖温泉、そして長万部から函館本線を通って小樽へと、私は旅行したのであった。

なお、小樽から札幌を経て静内に戻るまで、移動はすべて公共交通機関利用である。都会にいる人には何のことかと思われるだろうが、この地域から公共交通機関だけで旅行し、短期間で戻ってくるのはなかなか難しい。日高には鉄道はなく、動きにくいからだ。時刻表を読み込んでもなかなかわからない。私がこの旅程を見出したのはGoodle Mapで調べたからで、しかも1泊2日でこなせることを発見したときには思わず膝をうったが、家人は全く興味を示さず一人旅となった。気楽になったので2泊3日でゆっくりと回った。


2022年4月某日

谷崎潤一郎の『文房具漫談』によると、彼は毛筆かあるいは鉛筆で原稿を書いたらしい。原稿用紙は和紙と洋紙製の2種類を用意し、和紙を使うときには毛筆、洋紙を使うときには鉛筆を使うことにしているとのこと。小説家というと万年筆が連想されるが、谷崎によれば彼にとっては毛筆のほうが万年筆より優れているという。 万年筆を使っても、谷崎なら十分に小説家の品格が現れるとは思うが、熟慮の末一文字一文字毛筆でしたためるほうが、いかにも彼らしいと私には思える。

ただし、誰にとっても毛筆が万年筆よりも優れた文具であるというのではなく、あくまで個人的事情で、谷崎は毛筆を推す。 万年筆ではなく毛筆を使う理由として、自分の筆圧と文字の出来栄えとの関係や、彼の原稿用紙に用いたときのインキの乾く速度、また修正のしやすさなどを挙げる。毛筆だと硯と墨を持ち歩かなければならないから不便だろうという反論も想定していて、

旅行には万年筆の方が便利のやうに誰しも思ふだらうけれども、万一片田舎で故障が起つたり、紛失したり、インキが切れたりした時どうするか。これに反して、今日どんな辺鄙な地方の旅館でも、座敷に硯箱を備へ付けてない家は、一軒もないのである。

と論じている。もちろん、ここの「今日」はすでに遠い過去になってしまった。今日硯箱を座敷に備え付けている宿が何軒あるだろうか。

ともあれ、文豪はこういうところに心を配るのかと、私は感心して読了したものだが、さてのちによく考えると少しおかしい。そもそも、万年筆の得意分野は洋紙であろう。谷崎自身も、毛筆を使うのは和紙の時だ。得意ではない和紙に使われた万年筆が、もともと和紙との相性が良い毛筆に匹敵する実力を発揮できなくても、それほどおかしくはない。また、毛筆のほうも洋紙は得意としないだろう。つまり、毛筆と万年筆は谷崎のいうような比較をしにくいのだ。

比較するべきなのは洋紙での鉛筆と万年筆で、谷崎がなぜ万年筆ではなく鉛筆を使うのかを語るべきだ。論点を巧みにずらされ、すっかり騙されてしまった。


2021年3月某日

この冬、札幌のある石狩地方では記録的な積雪だったそうだ。気象庁のページを見たら、3月にはいっても札幌の積雪はまだ1メートルを超えている。日高地方では静内で24センチ、浦河で3センチになっていた。静内の海岸沿いでは、とてもそれほどあるとは思えない。せいぜい10センチといったところだ。

雪の多い地域では毎日のように雪かきが必要らしいが、このあたりだと回数は少ない。汗をかくような本格的な雪かきは、この冬は2回だけだった。もっとも、雪かきは優秀な有酸素運動で、こいつをやると一気に血糖値が下がる。雑草取りよりさらに効果的なのだ。体のためには毎日やれたほうが良い。

雪は少ないが、気温は氷点下の日が続くので、一度降った雪はなかなか解けない。実際には入れ替わっているのだろうが、見た目には正月に降った雪がそのままそっくり3月まで残っているようだ。3月になると日差しが強くなり、庭の日当たりのよい場所は地面が見えてきた。とはいえ、雪が無くなり、地面を固めた氷が溶けきるまでには、まだしばらくかかる。今年の桜は早いそうだが、それでも開花は5月になってからだろう。雑草との戦いが始まるまでには、まだ時間がある。

降雪が少ないため、雪上に一度ついた跡は、しばらく残る。このあたりで冬も活動している動物たちの足跡が、点々としている。我が家の庭を横切った証拠で、様々な方向からやってきては、思い思いの方向に立ち去ってった様子が見て取れる。何頭の動物が来たのだろう。中には、かなり大きな足跡もあって、大型動物も近寄ってきたようにも見える。鹿に来られると厄介だ。

しばらく観察していたら、何度か見たことのある茶色い猫がやってきた。猫は我が家の暖房器からつながる換気口のそばに座って一服する。外の空気を取り入れて、中の暖かい空気を排気する換気口のそばは暖かいのだ。おもむろに立ち上がり、庭へと移動して、前にできていた足跡をなぞるように歩く。あらたに雪を踏みしめて足跡を残すのではなくて、すでについていた足跡のちょうど上に器用に足をおくのだ。新雪に足を踏み入れて自分の足跡をつけるのは、損得勘定のわからぬ人間のすることで、動物たちはそんな危ない橋は渡らない。はじめに着けた足跡に、さらになんども足を踏み入れるから、通るたびにしだいに足跡は大きくなる。すると、あたかもより大きな動物が歩いたかのように、人間には見える。鹿かと疑った足跡も、猫か狐の足跡なのだろう。


2021年2月某日

噴火湾で高価なタラバガニが大量にとれ、函館近辺で水あげされていると話題になっている。北海道でカニがとれてなにが不思議かと思われるかもしれないが、噴火湾のあたりでタラバガニはこれまでとれたことがないそうだ。少しはなれた胆振・日高地方でも取れない。なので、この辺りではタラバガニを狙った漁はしない。他の魚をとろうと放った網に、大挙してやってきたタラバガニがかかるから、不思議なことだと話題になっているのだ。

数年前に海中の水温が低下した時期があったのが理由だろうという、専門家の説は耳にした。タラバガニは冷たい海底を好む。カニの姿をになった大人は海底を歩くのであまり移動できないが、幼生の頃は海中を浮遊し好ましい環境にたどり着くまで長い距離を移動する。普段は暖かいこのあたりの温度が十分に下がったその時期に、タラバガニの幼生がたくさん定着したというのだ。ただし、この説は温暖化とはかみ合わないように素人には思われる。

タラバガニは昔からいたが、網がはられる水深の浅いところにはやってこなかった。そんなタラバガニたちが今やってくるのは、海底で何らかの異変が起きているためで、これは大地震の予兆ではないかと、漁師たちは噂しているそうだ。深海にすむ高級魚のキンキも相変わらず良く取れていて、これも深海異変説と整合的だとのこと。高値で売れる高級魚がたくさんとれるのは漁業者にとって良いことだろうが、同時に不気味でもある。

高値といえば、いまはアサリが非常に高値で取引されている。昨年秋に北海道の太平洋岸を襲った大規模な赤潮の被害で、近海の魚介類が大量死した。アサリも例外ではなくて、収量が激減して市場に出る量そのものが減ったのが供給側の要因だ。それに、熊本産アサリの産地偽装問題で、身元がはっきりしている北海道産への引き合いが一気に高まったという需要側の要因が重なった。漁業者にとって、昨年の赤潮による被害は深刻であったが、アサリが高値になったことで多少は収入が下支えされているだろう。

経済原則が働いて、アサリたちも高値で取引されるところに出荷されていくから、地元には残らない。このところイオンでアサリを見ていない。


2021年1月某日

こんな夢を見た。

汗ばむ陽気にかかわらず、黒山のような人だかりがしている。あんなに集まっては暑かろうと思う。だが、人の多い割には静かで、整然としている。 静かなのは誰も話していないからだと気づいた。そういえばみんなマスクをしている。とても気になるから、自分も取り付いてみるが、何もわからない。

すると、自分の前の人に、さわっちゃいけない、60センチは間隔を開けろと言われたから、いったい何が起きているのですかと尋ねると、知らないから聞いてみるという。この人がまその前の人に聞くと、その人もまた知らないらしい。 見ていると、そこから次々に前の人へ伝言が伝わっていく。 まあ、ここでおとなしく待っていれば、伝言がいずれ先頭の人までたどり着いて、真理とともに戻ってくるのだろう。

ところが、なかなか戻ってこない。ひょっとすると、先頭の人なんていないのではないかと気づいたら、目が覚めた。