Essay2018

2018年の独り言

by 梶井厚志

2018年12月某日

来年から大学のサーバーに頼らないホームページを開設する予定。それで、このエッセイもいったん休止。新たな居場所を見つけたら、過去のものを含めそちらに移動します。

2018年11月某日

税制は経済文化の発展に影響を及ぼす。こう書くとあたりまえのようだが、実はあまり意識されていない。たとえば、日本のビールの大びんの容量が633mlになっているのも、戦前の税制と関係がある。さらに、当初の理由がなんであろうと、一度633という統一規格が出来上がると、そのまま引き継がれていくのである。

あまり知られていない例。私の世代だと、スウェーデンの男女4人組グループABBA(一つ目のBは反対向き)を知らない人はいない。当時としてはきらびやかで露出が大きい衣装に魅了された男子は多かったと思う。当人たちによれば、そもそもそのような衣装を使ったのは話題性と人気取りだけが目的ではなく、税制も関係していたそうだ。あきらかにステージでしか着ることができないような服は必要経費として税控除できたが、普段にも着られるようなものは税優遇が受けられない。思い切った衣装を考えたのはそれがきっかけで、結果的にそれが当たったそうだ。


2018年10月某日

今年の7月、アメリカのビデオレンタル会社Blockbusterが完全に消滅したらしい。かつては全米に展開し、どこの町にも店舗があって繁盛していた。30年前は私も良くお世話になったものだ。もはやビデオさえ存在せず、DVDを店舗まで行って借りてくるという文化もなくなりつつあるから、仕方の無いことだ。隆盛をほこる優れたビジネスモデルであっても、技術の変化による生活習慣の大転換には太刀打ちできない。今は当然の方法であっても、また30年もすれば、かつてはこんなやり方をしていたのだ説明しなければならないように陳腐化するだろう。大学の講義なども、候補の一つだ。

Central Square駅からMassachusetts Ave.をすこしだけHarvardに向けて歩いたところにあったBlockbusterが最寄の店舗だった。ここにはいろいろと思い出があるが、その一つ。当時アパートを3人でシェアしていたが、時々ビデオ映画を借りて一緒に見たものである。あるとき、同居人の一人とビデオを借りに行ったら、ビデオを借り出す手続きをするカウンターに長蛇の列ができていたので、借り出しは同居人にまかせ私は先んじて注文しておいたピザをとりに行った。並んでいた同居人によると、私が出た直後にカウンターでホールドアップがあったのだそうだ。つまり、借り出しの列に並んでいた男が銃を取り出し、金をよこせとやったわけだ。ただし、この店舗の目の前が警察署で、すぐに警官が数名飛び込んできて、あわてて逃げようとした犯人はあっという間に取り押さえられ連行されたとのこと。同居人によれば、捕り物劇は全部で5分とかからず、しかも彼は何かのジョークかと思い、警官が来るまで本物のホールドアップだとは分からなかったそうだ。警察署の目の前で反抗に及んだ男の調査不足も論外だが、ホールドアップが目の前で起こってもパニックを起こさなかった店員や客もたいしたものだ、アメリカはすごいところだと思ったものである。

消滅といえば、アメリカ小売業の老舗シアーズ(SEARS)が11条破産を申請した。原理的には更正が可能だが、買い手が現れる可能性は低く、このまま消滅する可能性が高いとのこと。1886年RW Searsによって生まれたシアーズは、カタログ販売で成長し、その後「何でもそろう店舗」をビジネスモデルとして全米のショッピングモールに展開し、一時代を築いた。1980年頃までは、世界最大の小売業者だったそうだ。シアーズの場合、組織の硬直化が不振の一因とされるようだが、結局は20世紀型の総花的廉価販売戦略が時代遅れになったということだろう。


2018年9月某日

シンガポールに来ても、糖尿人の朝は忙しい。朝食を終えたら、まずは20分ほど散歩して糖の消化を促す。暑いというイメージが強いが、7時台のシンガポールは存外涼しくて、京都で朝に学校へ行くのとは大違いである。

しかしながら、赤道直下のシンガポールでは、一年を通じて日の出は朝7時くらいだ。ちなみに日の入りも一年中夜7時くらいである。他方で、この時期の京都の日の出は朝5時半ころ。日の出時刻を基準として京都時間に換算すれば、私の朝の散歩は京都時間の5時半から6時くらいになろう。つまり、シンガポールが涼しく感じるのは朝の始動時間が2時間近く早いためという可能性もある。このあたり、精査が必要だ。

さて、今回は滞在の途中から、朝の散歩を水泳に切り替えた。今回の大発見は、屋上のプールである。ホテルの屋上にプールがあるのは前から知っていたが、泳ぐのはあまり好きではないし、どうせ泳ぐというよりは水遊び用のものだろうと勝手に思い込んでいて、これまで見たこともなかった。行ってみると、なかなか立派で、縦の長さが20メートルほどある。水は十分に温まっているし、朝の7時だとめったに人にあわない。それで、朝食後、水着に着替えて非常階段をこっそり屋上まで登り(これもなかなか良い運動)、泳いでみることにした。

本当に久しぶりに泳いだので、息が切れた。また、五十肩の影響がのこる左腕の回転がぎこちないため、他人が見れば泳いでいるというよりも溺れているように見えたかもしれない。みっともないから、泳ぐのは人のいないときに限る。ともあれ継続は力なり、毎日泳いでいるうちに3往復は楽に泳げるようになった。威張れた距離ではないが。


2018年8月某日

熱風吹き荒れる京都から、お約束の札幌にやってきた。こちらに向かう機内では、空港の気温29度、熱中症に注意するようにと盛んに言っていたが、降りてみれば涼しく感じる。38度の世界とは全く別の宇宙だ。もっとも、涼しく感じすぎて、水分摂取がおろそかになるのが危ないのかもしれない。

毎年来ているので、北大のキャンパスに驚きはないが、博物館の展示が新しくなっているのを発見した。前に見学したのは何年か前で、しばらく見てなかったので、昨年以前もすでにこうなっていたのかもしれない。ともあれ、大きな建物の3階まで活用した展示は非常に充実していて、これは誰にもお勧めしたい。昼休みを活用しての見物だったので、展示の一部を鑑賞てきたに過ぎないが、また訪ねて徐々に見ていきたいものである。

各学部が趣向を凝らした展示をしている。夏休みとあって、見物人は親子づれが多い。工学部や農学部、獣医学部の展示は子供たちに人気である。北方民族についての展示もなかなか充実していて、個人的な興味でここはとても面白かった。少し残念なのは経済学部。大学の学部紹介というのはまあこんなもので、その意味で相場といえば相場なのであるが、他学部が趣向を凝らしているだけに、みすぼらしさが目立ってしまう。


2018年7月某日

暑い。とにかく暑い。夏の京都が暑いのは当然だが、これだけ暑い日が何日も続いたのは記憶にない。京都市内で39.8度まで上がったそうだが、思い切って40度と行ってもらったほうが潔よい。

これだけ暑くて、祇園祭見物にやってきた観光客たち、特に海外からの人たちは、熱中症の心配をしなくてもよいのだろうか。観光で気が張っているから、存外熱中症にはならないのかもしれないと勝手に決め込んでいたら、やはり倒れて病院に搬送される観光客は多いとのこと。

水を飲むのが大切な予防法と聞いていたが、これだけ暑いと飲みすぎで体液が極度に薄くなり、かえって危ないこともあるそうだ。ともあれ、何もせずに冷房の効いた場所にたたずんでいるのが最適か。


2018年6月某日

3日間のAMES学会を終え、開放感に浸って夜のソウルを歩いた。Sound of Seoulというバーにはいってみる。レコードをかける音楽バーらしく、入り口からのぞいてみると巨大なスピーカーがこちらを向いていて、ジャズをかけている。コルトレーン?のども渇いたので、ここでビールを飲むことにした。サミュエルアダムスがあったので注文する。

スピーカーの表現力はなかなかのもので、ライブ演奏の細部までわかる。レコードをかけますという宣伝通り、なるほど店の両側にある棚にレコードが並んでいる。かなりの量だ。手にとって見ることができるが、ほとんどが韓国国内版で、いわゆる洋楽やクラシックもタイトルや演奏者がハングルで記述してあるので判別が難しい。まあ、こういうものはさわって楽しむものですね。

ソウルの飲食店も基本的に禁煙になったようで、このバーも無煙でにおいもなくて快適である。誰かにタバコを吸われないかとびくびくしながら酒を飲まなければならないのは、いよいよ日本だけになったか。歳をとって感受性も許容力も衰えたせいか、このところ飲食時にタバコのにおいをかがされるのがつらくて仕方が無いから、煙に巻かれる可能性のある場所にはいきたくない。東京では禁煙条例が成立してオリンピックの頃からは状況は改善するらしいが、まだまだわが国の夜明けは遠い。そもそも、夜明けは本当に来るのだろうか。


2018年5月某日


イタリアではカルチョフィ(carciofi)をよく食べる。英語名ではアーティチョーク(artichoke)。地中海原産で、古代ギリシャ・ローマ時代から野菜として利用されたというから、歴史は古い。当然ながら、食べ方もよく研究されている。こちらに来ると、必ず食べたくなる味なのだ。

この野菜に初めて出会ったのは留学時代だ。当時のハウスメートの一人が突然得体のしれない物体を大量に買い込んできて、これがアーティチョークというおしゃれな食べ物だという。外見は小ぶりのヒマワリの花が茶褐色に変色したような印象で、おしゃれな食べ物からは程遠い。彼女はそれを大量の水でゆでたが、出来上がり図も到底食欲をそそるものではない。塩をつけて食べるんだというので、恐る恐る食べてみると、ニガイというかえぐいというか妙な味で、少なくともうまいものではない。その味をあえて表現するなら、成長しすぎてしかもアクを抜きそこなったタケノコに似ている。我慢して一つ食べたが、肝心の調理人も自分で食べて出来が悪いことを納得し、結局は大半を捨てることになったと記憶している。

カルチョフィ料理には、タケノコと同様に下ごしらえが肝心で、上手にあつらえたものはまさにタケノコに似た風味と食感をもっている。揚げても煮てもうまいところもタケノコ同様で、様々な料理に組み合わせられる。タケノコが好きならば、必ずや好きになる味だと私は思う。日本では見かけたことがないが、生産すれば存外売れるかもしれない。糖質的にはどうなのかわからないが、大量に食べるものではないから、大丈夫だろう。


2018年4月某日

浜松に行った。土曜日の朝なのに、新幹線が随分と混んでいるのでびっくりした。名古屋から同じひかりに乗って来たNと、こんなにたくさんの人が、浜松までわざわざ何をしに来たのだろうとあやしんだものだが、新幹線に乗り浜松までマージャンをしに来た我々こそ、よほどあやしい。今回の主たる目的は、浜松駅前で土曜日のマージャンだったが、せっかく遠路浜松まで来たのだから、一泊して観光することにした。

浜松はこれが3度目のはず。一回目は高校生の頃の夏休み、東京から東海道線の普通(快速?)電車を乗り継いで、広島まで行く途中で。ちょうど昼時だったと思う。店の記憶は全くないが、ウナ丼を食べた。このときは2日間の旅で、この後に初日は蒲郡まで行って(なぜ蒲郡だったのか?理由は全く記憶がない)、海岸沿いの駐車場で野宿をした。日が暮れた後、早々と寝ようとしたら、地元の高校生数人がが至近距離で花火をはじめ、うるさくて眠れない。起きだしていって苦情を言ったら、河童と座敷童子が並んで出てきたかのごとく、たいそう驚かれたのを覚えている。思えば、これまたずいぶんとあやしかった。そのあと何とか打ち解けて、一緒に花火をした。彼らと別れて、再び寝ようとしたが、やはり屋外で寝るのは容易ではなく、結局朝までほとんど眠れなかった。

2度目は10年ほど前に、静岡大学の浜松キャンパスに行ったとき。この時は市内中心地をいろいろと巡り歩いたが、なかでも楽器博物館が印象に残った。

そういうわけで、今回のホスト、浜松在住のHには、郊外の観光を希望しておいた。洗車したての自慢の赤い車で迎えに来てくれて、浜名湖の北部をドライブ。井伊直虎で急に有名になった龍潭寺を見物し、竜ヶ岩洞にて鍾乳洞を見物。この日の昼食は「トンテキ定食」。ご飯が食べられないから、定食のご飯はいらないと注文を付けようとしたのだが、注文は席に備えてあるiPadをタップするだけで、そのような特殊事情には対応していない。こういう時には、人がありがたい。

浜松といえばウナギと餃子であろうか。私はかつて親の仇のごとくウナギをよく食べていたが、うな丼のご飯抜きを注文するのは勇気がいる。そもそも、絶滅が危惧される動物を食するのは気分が悪い。餃子にはかなり食指が動いたが、機会が巡ってこなかった。餃子の皮は炭水化物だから、餃子も糖尿的にはよろしくない食物なのであるが、まあ出会えば6つくらい許容している。

その後に豊川稲荷まで足を延ばし、そこで解散となった。豊川稲荷の門前町には、「元祖いなりずし」系の店がある。いなりずしは、もちろん糖尿人には向かない食べ物である。


2018年3月某日

一週間休暇をとって日高に行ってきたが、帰ってみると京都は初夏の陽気である。出る前はつぼみが膨らんだ程度だった御苑のさくらは、この一週間の間に一気に花開いた。朝早くから見物人が多い。鴨川沿いの桜は、例年御苑よりも開花が遅いが、4月になる前に見ごろを迎えてしまうだろう。

桜の開花は年々早くなっているという実感があるが、データ的にも正しいようだ。競馬の桜花賞は、例年4月10日前後に阪神競馬場で行われ、今年は4月8日である。競馬場の周りにはソメイヨシノがたくさん植えられていて、桜の中を馬が駆け抜けていくのがレース名のゆえんだが、これだけ早くなってくると開催日を変えたほうが良いのではないだろうか。日高地方では例年5月の連休くらいが桜の見ごろらしいが、こちらも年々早くなっているらしい。


2018年2月某日

シンガポール地下鉄の一路線、Downtown lineの延伸工事が完了した。これで、定宿の目の前にあるBencoolen駅から、チャイナタウンやDowntown, Bayfrontあたりに直行できる。バスでも不便を感じてはいなかったが、やはり地下鉄でつながると便利である。チャイナタウンは、Bencoolenから2駅目。私のビアガーデンはずいぶんと近くなったわけだ。

Downtown lineの路線は、ちょうど結んだリボンのような形状をしている。シンガポールの北東に位置するチャンギ空港近くから中心街をめざし、チャイナタウンあたりで大きく左に曲がる。Downtown駅を過ぎるとさらに左に曲がり、SandsホテルがあるBayfront駅では北西方向に進むから、ここらあたりでちょうど180度回転したことになる。そのあともさらに左に大きく曲がって、今度は北西方向の郊外に向かうから、出発した空港方向からみると、右方向にすすむのである。左に曲がり続けて結局右に行くのだから、どこかで来た道と交差せざるを得ないが、これがちょうどRocher駅付近でおこる。上記のBencoolen駅からRocher駅は直線距離にして500メートルほどしか離れていないが、現時点では駅同士はつながっていない。それゆえ、北東方向からやってきて、北西方向に抜けたい人は、街の中心部をぐるりと回る電車に乗り続けるか、またはいったん降りて500メートル地上を歩いて、同じ行き先の電車に乗るかのどちらかであるが、どちらにしても不便ではある。


2018年1月某日

こんな夢を見た。

新しいスマホに買い換えた。手に持たなくても画面が目の前に浮かぶ。頭で念じれば、アプリが操作できる。はじめは少し面食らったが、少しなれると使いやすくなって、メールも地図も念力で動かせるようになった。これはなかなか便利である。俺も最先端のスマホを使えるぞと学生に自慢げに語ったら、先生はまだ自分の頭に頼っているんですかと驚かれた。

君たちだって、スマホを手に持っていないということは念力操作しているのだろうと正すと、彼らのスマホは念力さえ使う必要がなく、AIが勝手に動かしてくれているとのこと。自分が次に何をしたらいいのか、頭の中に自動的に指示がくるらしい。先生はAIに試験採点をさせているらしいけど、私たちの答案は勝手に頭に浮かんでくるんですよ。だから試験なんて、無駄じゃないですかね。

中島敦の小説に、弓の真の名人は、弓が何であるかさえ忘れてしまっているというのがあったな、と思ったところで目が覚めた。