2017年の独り言

by 梶井厚志

2017年12月某日

近所に立ち飲みの居酒屋ができた。ここはこれまでいくつかの飲食店がでたものの、結局撤退したといういわくつきの場所。このあたりの人通りは、街中とは比較にならないが、近辺に大学があるから、無いわけではない。壁面はほぼガラス張りなので店内が良く見える。開店後の人の入りはまあ順調のようで、大学生風の若い人が多いようだ。どんな店なのだろう。

興味があるなら、自分ではいってみればよいと思うかもしれないが、店内はとても狭くて、しかも禁煙ではないから、一人の無法者があっという間に気分をぶち壊しにする可能性は高くて、二の足を踏む。学生を主たるターゲットに定めて、思い切って完全禁煙にしてしまえばいいのにと思いながら、毎日店の前を通り過ぎている。

そういえば東京オリンピックを控えて、わが国も国際標準にあわせて、飲食店禁煙を実現するという威勢の良い言葉がきかれたが、いったいどうなるのだろうか。外国人への「おもてなし」が重要な産業であるはずの京都では、出足は鈍い。京都の中心地には「すいば」という妙な名前の禁煙たちのみ居酒屋ができて、これらは幸いに盛況であるようだが。


2017年11月某日

血糖値はデリケートなものだ。食生活の影響が最大であることは間違いないが、どうも睡眠時間やストレスにも影響されるらしい。糖質制限を本格的にはじめたのち、糖尿人の平均体温ともいうべきHbA1c(ヘモグロビンA1c)は、昨年夏には7.0まで上がっていたが、徐々に下がって、6月に調べたときには5.8になった。ところが暑くなると、睡眠状態が悪い。良く眠れない夜の翌朝は、血糖値の下がり方が明らかに悪い。いろいろとストレスもあって、これも良くないようだ。しかもこの時期は糖尿人の宿敵ともいうべきビールがうまくて、これははっきりと良くない。そのような状況だったから、10月にHbA1cを測定したときには、ある程度は覚悟していたのであるが、一気に6.3まで上昇していた。

それから再び改心して(何度目だ?)食生活をみなおした。シンガポールからは、「FreeStyleリブレ」を仕入れてきた。これは血糖値情報をリアルタイムで把握できる優れものの機械で、これを話題にすれば、3万字くらいの論文をすぐに私は書ける。詳細は省くが、ともあれ、いったい何が血糖値に影響しているのかこまめにチェックすると、いろいろと発見がある。それをもとに工夫をしたら、血糖値が良く下がるようになった。もっとも、これは涼しくなって良く眠れるようになったことや、悟りを開いてストレスが減ったのも寄与しているだろう。ともあれ、11月にはHbA1cは6.0に下がっていた。自分で計る血糖値の値も好調だ。次の測定が楽しみである。


2017年10月某日

シンガポールから戻ってきた。今回の冒険はゲイランでの中華海鮮料理。

ゲイランにあるこの海鮮料理屋は中華料理の店。大きな木がそびえる屋外に、多くのテーブルが出してあって、風が吹き始める夕刻からの具合がたいへん好ましい。より重要なのは、ビールの売り子がたくさんいること。チャイナタウンのマドンナからスタートした私のビール売り子探索は(注:2013年9月の独り言参照)、徐々にその守備範囲を広げ、本年2月になってゲイランに到達した。そのとき発見したこの海鮮料理屋は、現時点ではシンガポールのビール売り子文化の頂点にある。

店には魚が泳ぐ水槽がいくつもある。海鮮料理屋だけに、そこから魚を選んで調理してもらうのがここの本線らしいが、値段は「時価」とあるし、見ると一匹の大きさは結構大きいので、一人で注文するのはなかなか勇気がいる。それで、一人のときは残念ながら糖質の少なそうな肉野菜炒めのようなものを注文していた。

ただ、何種類もある魚のなかで、1種類とても気になるものだある。流線型の体系、黒い体、そして三角の背びれの先端をときおり水面から出してスイスイと泳ぐ。何でも食べる中国の食文化、その魚は小型のサメに違いないと私は判定した。私はこいつがどのような味なのか、食べたくて仕方がない。糖質も無いに違いない。そこで、シンガポールにいるSが日本に戻る前に一緒に何か食事をしようと算段し、彼を連れ出しこのサメをたべてやろうとしたのである。

Sとともに目的地に着くと、さっそくビールの攻撃にあうが、これは想定内。Sには1人から買うのは1本という原則を言い聞かせてある。水槽を見に行くと、この日は2匹の「サメ」が泳いでいる。その小さいほうを指さして、店員にこれでいくらぐらいだと尋ねると、100グラム5ドルで、この大きさだと800から900グラム、1キロよりは軽いという。それなら予算内だ。実際請求書には800グラムと書かれていた。あとで気付いたが、ここで食べようとする魚をとりだして店員と一緒に体重測定をし、その段階で重さを相互に確認しあうのが正しい作法だった。実は8キロありましたなどと言われたりしたら、随分面倒なことになったろう。念願のサメを前にして、私の気分もかなり高揚していたようで、容易に想定されるような様々なリスクを鑑みず、いそいそとサメ一匹を注文したのである。

選んだ魚は、焼く、蒸す、揚げるのなかで、こちらが指定した調理法で料理してくれる。何が良いか聞くと、揚げるか蒸すかだねと店員が言う。匂いを警戒して揚げてもらおうかとも考えたが、せっかくだから素材の味と香りを楽しみたい。それで、辛いソースは絶対にかけないようにと念を押して、蒸してもらうことにした。その結果、出てきたのがこれ。

サメ独特の癖のあるにおいがあると予想してたのに、食べてみると身は白身で淡白ながら弾力がありうまみが強い。顔は野蛮だが、味は上品だから、妙なソースをかけるより、シンプルにショウガやしょうゆの香りでいただくのが良い。揚げずに蒸して大正解。2人でたちどころに平らげてしまった。これなら大きいほうにすればよかった。

さて、さすがは中国食文化、サメとはとてもうまいものだと満足して帰ったが、翌日とどいたSからのメールには、「ふと気付いたのですが、昨日のあれ、本当にサメですかね?骨が普通にあったようなので、別の何かかと思い調べたところ、ナマズの仲間のカイヤンというやつが似ているようです。」とあった。そうだ、味は確かに淡水魚のようで、ナマズといわれれば腑に落ちる。ともあれ、次に行くときもぜひ食べたい。


2017年9月某日

シンガポールのフードコート(ホーカーセンター)で糖質制限をするのは、存外難しい。 フードコートを見回すと、コメや麺を主体とした食べ物ばかりだ。うまそうだが、これらは糖質の塊ともいうべきものだから、食べるわけにはいかない。 しかし、ホーカーで全く食事ができないとすると、不便だしシンガポールでの食の楽しみも半減する。 それで、何か良いものはないかと熱心に探索して、いくつか見出した。中でも今回気に入って頻繁に食べたのがYong tau fooだ。漢字表記だと、Yongは酉へんに良、tau fooは豆腐である。

まず、Yong tau fooとは何か。Wikiには「豆腐を紅麹で発酵させた紅腐乳と、肉または魚のすり身団子をベースとした麺料理。中国の客家料理を起源としている。」とある。起源はそうかもしれないが、シンガポールの各ホーカーにあるYong tau fooの店で出されているものは、ごく庶民的で素朴な味のものだ。

ホーカーにあるYong tau fooの店では、豆腐製品や野菜類が20種類ほど所狭しと店頭に並べられている。肉や魚のすり身を挟んだ豆腐、肉や魚のすり身を揚げたもの、野菜に豆腐を挟んだようなもの、青梗菜や白菜の小ぶりなものが並んでいる。イカや海苔もある。客はセルフサービス方式で自分の好きなものをどんぶりに入れる(最低6種類入れろ、などと注意書きが書いてある)。それを店の人に渡すと、ものの1分ほどで調理されて出てくるという仕組みだ。渡す時に、何種類かある麺の一つを選んで、それに先に選んでおいた具をのせてもらうのが基本だが、麺を選ばずスープだけにしてといえば、麺なしのものができる。スープは半透明で、店によって多少の個性がある。海苔を入れると、和風の味が加わって具合が良く、この事実を発見してからは必ず入れることにしている。麺を抜いておけば、具になる豆腐製品や野菜類には糖質が少ないので、糖質制限者にはありがたい。

さて、店頭に並んでいる豆腐製品や野菜は未調理のものである。豆腐はなかなか中まで温まらないものだし、生の野菜に火を通すにも時間がかかるものではないかと思うの。ところが、わずか1分で出てくる完成品は暖かいし、しっかりと火が通っている。ここにはいかなる魔術があるのかといつも不思議に私は思う。観察する限りにおいては、店の人は特段の職人ではないし、特別な調理器具が店に備わっているようにも見えない。調理に時間がかかろうというのはあさはかな素人考えで、やってみれば存外簡単にできるものなのかもしれない。この技術を体得し、糖質オフのB級グルメとして日本で展開すれば一儲けできるように思うが、これこそ浅はかな素人考えだろうか。


2017年8月某日

今年はSWETに参加できた。行けなかった昨年は、随分と暑くて参加者をがっかりさせたらしいが、今年はまず快適である。

札幌は2年ぶりだが、そこかしこに変化がある。記憶にないものが、いくつもある。市電も路線が延長されて、新しいタイプの車両も導入された様子である。前には走っていなかったあたりにも市電がごとごとと走っていて、すすきの周辺はすこし印象が変わった。

狸小路には「タコハイボール」の店が出現していた。2年前にあったかどうか記憶がない。たこ焼きをつまみにハイボールを飲もうという小さな店である。このようなアイディアは大好きだが、糖質制限者には小麦粉たっぷりのたこ焼きは食べられない。たこ焼きは、かつて天神橋筋五丁目の「うまいや」で食べて衝撃を受け、これに追いつこうと自分で焼き方をずいぶんと研究したものである。なので私はたこ焼きにはとてもうるさいのであるが、何せ食べられないので評価のしようがない。随分と寂しくなったものである。

無くなったものも多い。かつて何回も行ったことがあるバーが無くなってしまった。札幌の狸小路にあった完全禁煙のジャズ・バーがなくなっていたのにはがっかりした。かつてコロンボ談義をした、あのバーは2年前にはすでに無くなって、そのあとにはちょっと面白いバーに代わっていた。ところが、これもどうやらその後閉まってしまったらしく、営業している気配がない。コロンボバーの隣には、系列のバーがあったが、これも閉店してしまったようだ。ここはこの手の店が集まる雑居ビルで、同じ階に10軒ほどの店用スペースがあるが、ほとんど営業しておらず、閑散としている。

ほかの雑居ビルに、2年前に見つけて、ほかの客がいないのをいいことにKing Crimsonなどをガンガンかけてもらったちょっとお気に入りのバーがあったが、このたびスマホ片手に探しても見つからない。なんだか随分と寂しくなった。


2017年7月某日

先月、『昔話の経済学』が出版された。自分としては、それなりに創意工夫をして、いろいろと手を入れた本だから、愛着は強い。ただし、本ができたところが自分にとっての終着点で、その後の販売過程への関心が薄れてしまった。15年前、『戦略的思考の技術』が出たときには、毎日本屋を見回り、展示状況を確認・改善したものであるが。

友人はありがたいもので、私からはこの本の出版について何も連絡もしていなかったが、大学ゼミ同期のYは出版早々にさっそくアマゾンで買ってコメントまで書いてくれた。それをYから聞いたHは、彼の知り合いに配るべくアマゾンで10冊購入したそうだ。大変ありがたい。

このことを、私はHと名古屋でマージャンをした後の酒宴にて知り、大いに感激した。そのとき彼は10冊の中の一冊を持ってきていて、サインを求めてくれた。自著にサインするのは控えているが、10冊も買ってくれた人には喜んでする。マージャンに参戦した残りの2名のためにもHは本を持ってきていたので、こちらにもサインをして彼らに渡した。というわけで、『昔話の経済学』の著者サイン入り本は3冊存在する。


2017年6月某日

ハノイに行った。前回行ったときは、古びた空港から市街地までの移動が大変だったという記憶があるが、今回は空港も近代的になり、空港からの道路環境もかなり改善されている。ただ、旧市街周辺は大変混雑するらしい。今回の訪問先のNational Academy of Sciences やMekong Instituteは旧市街からは離れていて、宿泊場所もそれらの近辺に定めたので、混雑するエリアは通らなかった。

訪問先では、エコノメトリック・ソサエティの宣伝・勧誘をし、国際専門誌の査読プロセスについて話した。Mekong Instituteでは若い研究者が30名以上集まり、予想をはるかに超える盛況だった。全員と話したわけではないが、彼らのコミュニケーション能力はかなり高い。こちらとしても、貴重な情報収集の場であったが、最も印象に残ったのが、彼らが驚くほどの薄給で生活している点。ベトナムは国を挙げて国際的に通用する研究者の確保を試みているとのことだが、まずは若い研究者の待遇改善あたりから始める必要があるだろう。

National Academy of Sciencesは、いかにも共産圏の学術中心という風格をもったところ。私の講演は英語だが、ベトナム語への通訳がつく。座席も指定されていたようで、壇上近くに座っている人ほど、階級が高いようだ。通訳付きの講演をしたのは初めてだ。こちらでも質疑応答があったのだが、えらい人たちはすべてベトナム語で話す。通訳を介するので今一つ言葉のキャッチボールにならないという点を割り引いても、議論はあまりかみ合わない。

ベトナムの食事は私の口に合う。魚介類の料理が特にうまい。ところが、白米をはじめ、麺やライスペーパーなど、食事にはふんだんに米が使われているので、糖質オフ生活者には少し難しい。米関連の食材は食べずに残せばよいのだが、気が引けるからだ。ともあれ、3日間の滞在中麺類は一切食べずに過ごした。


2017年5月某日

ウイスキーは大学生の頃はよく飲んでいた。味や香りというよりも、これをやるとなんだか随分大人になったような気がして、それがウイスキーを手にする理由だったと思う。安く酔えれば要するに味などはなんでもよかったから、地ウイスキー、電気ブランなんてものも飲んだ。店に行って飲むと高いから、たいていは誰かの下宿に上がり込んで飲んだ。酒を飲んで夜半まで話し込む輩は、近所の迷惑だったに違いないが、当時そのようなことはつゆとも気にしなかった。ここで深く反省する。ごめんなさい。

銘柄としてはサントリーのホワイトをよく飲んでいたと思う。ある時、ロバートブラウンというのが手に入り、これを飲んだら上品な味で香りも優しく、これは味に差があるなと思った。だが、値段との相談でホワイトになることがほとんどであったと思う。当時で、720mlビンがホワイトで2000円くらい、ロバートブラウンだと4000円を超えたくらいだったとおぼろげに記憶する。

国立駅の近くに「リカーハウス」という店がかつてあって、大学生時代、ここには何度もお世話になった。当時はおしゃれな店だと思っていたが、本当のところはどうだったのか。ここでも私はもっぱらサントリーのホワイトを飲んでいた。もちろんビールのようなものもあったし、当時出始めの酎ハイというものあったはずであるが、もっぱらウイスキーだった。

いつのことだったか。この店に5・6人で出かけたら、隣のテーブルの某音大の学生たちと意気投合し、のめのめとおだてられるものだから調子に乗って飲んだ。ホワイトのボトルを一本グイグイやった。こんなことをしては絶対にいけないと、青少年に言っておく。彼女たちの歓声と拍手に包まれたものの、すぐに気持ち悪くなり便所から出られなくなった。私が自分の酒量の限界を学んだのは間違いなくこの時のリカーハウスにおいてである。


2017年4月某日

糖質制限というのは、やり始めてみると当初予想したほどには辛くない。ただし、穀物をあまり食べないので、すぐに腹が減る。糖質が少なくて力がつくものといえば、肉や魚。それゆえこれらを倍量食べる。これには金がかかる。糖質制限には金がかかるものなのである。

ただ、肉や魚を多く食べていればよいのだから、気持ちの上では楽なものである。問題は酒だ。元来、日本酒やワインなどの醸造酒が好きなのだが、特に日本酒は糖質が多いので減らさざるを得ない。ビールも良くないから、これは暑い国かイギリスでしか飲まないようにする。(とはいえセミナーのあとにはコップ一杯飲んでいるが)。代わりに糖質のない蒸留酒をより多く飲むようになった。芋焼酎はもともと好きなので、これは良い。本場のいも焼酎をふるさと納税で仕入れてあるので、これを少しずつやる。1月の鹿児島出張の時に買ってきた猪口を、だいぶん前に買ってあった「黒じょか」に合わせて愛用している。

糖質制限の影響で、新たに飲むようになったのがウイスキーである。これも蒸留酒だから基本的に糖質は無い。もっぱら食事と合わせて長々と飲む酒なので、ウイスキーのような強い酒はその習慣に合わなかったため、この何年も自分から求めて飲もうとすることがほとんどなかった。ただし、糖質がないのは大きな魅力。最近ハイボールが流行っていることもあり、再び飲み始めたら結構いける。

しばらくウイスキーを買ったこともなかったので、値段の感覚もなくなっていた。ウイスキーの値段は、私が学生だった頃にくらべると、随分と安くなっている。技術革新や原料価格の低下による効果もあろうがものではなく、なんといっても大きいのは税額が下がったからである。学生当時の価格感がまだ身についているので、酒屋に行ってウイスキーの値段を見ると、本当に安くなったと感じる。


2017年3月某日

私は成人病と生活習慣に関する長期研究に被験者として参加している。2011年からスタートして、5年おきに生活習慣と健康状態の検診をして、継続的にデータを取るというものである。検診結果は被験者にも通知されるので、被験者の余得は、無料でかなり詳しい健康診断が受けられるというもの。

昨年5月に、開始から5年後にあたる2回目の検診を受けたのだが、これによれば私の空腹時血糖値は140で、HbA1cは7.0.この検診日前にヨーロッパにしばらくいて、かなり不摂生を続けていた影響が大きいと思われるが、それにしてもこれはかなりいけない。このような状態では、そもそも上記の調査の最後まで生きていられるかもわからない。

それで意を決し、以来私は糖質制限をしている。米や小麦製品の摂取量を大幅に減らし、糖質摂取量を1日あたり100グラム以下にするのだ。制限するだけでなく、血糖値測定器を購入して継続的にデータをとり、自己の体が糖質量摂取量やその形態にたいしていかに反応するのかを、私は熱心に研究している。この研究は非常に興味深いが、楽しくはない。が、まあ血糖値をコントロールすべを身につけつつある。道半ばではあるが、半年にして調理技術から医療行政にわたるまで山ほど語りたいことができた。これをネタに何か書き物をして、どこかで一儲けしてややろうと目論みつつ、低糖質生活を営んでいる。


2017年2月某日

独特な学年暦をもつわが国では実感がわかないが、この時期に国際的には教員採用のクライマックスを迎える。11月ごろから出願、1月初めに面接、その後大学を訪問して研究発表や面談というプロセスを経て、学位取得見込みの学生たちに、仕事のオファーが出そろってくるのである。

経済・ビジネス系教員の初任給は、驚くほどに高騰した。時代が違うので比較しにくいが、博士号取り立ての私が、1991年にU. Pennsylvaniaに就職したときもらった金額が4万5千ドルであった。現在は、10万ドルを軽く超える。現在の為替レートで換算すると、私が京都大学からもらう給与よりも高いのである。まあ、これも比較しにくいといえばそれまでだし、こんなに高いのが不適当なのではないのかと思わないでもないが、面白くはない。それゆえ、私はなるべくこの話題を避けるようにしているのであるが、自然に耳に入ってくる。

シンガポール某所における会食の席のこと。今年就職オファーをもらったシンガポール国立大学の中国人学生たちがいて、中国の大学に就職が内定している彼らの初任給を聞かされ仰天した。最高額のオファーは100万元(税引き後!)で、それに加え無料でアパートまで用意してくれるとのこと。つまり、中国では博士号取り立てのこの新任教員に、キャリア25年の私がもらう倍以上の給与を実質的には払うというのだ。聞かなければよかった。もっとも、最初の5年間に結果を出せなければ簡単に首になるとのこと。

先生も中国に移住してはどうですか、と水を向けられたので、いくら給与が今の倍になっても、日本人の私にとって中国での生活は難しいよと答えた。すると、200万元ならどうです、いや探せば300万元だすところもあるかもしれませんよという。真偽のほどは定かではない。ただ、この種の会話はなぜか空しい。


2017年1月某日

こんな夢を見た。

前夜就寝前に何かを思いついたはずなのだが、何だったのか思い出せない。眠りに落ちるまで何を考えていたのか、初めから一つ一つ思い返してみるのだが、3つ目あたりからはっきりしなくなる。そのうちに、初めに本当にそのようなことを考えていたのか自信がなくなる。

このような夜が何日も続いているうちに、あれは夢の中での出来事だったのかと思えてくる。思いついたという夢を見ていて、それが夢での中であることがよくわからなくなってしまったのではないか。ただ、何かを思いついたはずだという感覚だけは不思議に残っているな、と思ったところで目が覚めた。