2016年の独り言

by 梶井厚志

2016年12月某日

香港に行った。今回は嶺南大学、科学技術大学、そして中文大学に行った。

香港は何度目になるか覚えていないが、香港中文大学に行ったのははじめてである。避けていたわけではないが、これまで機会がなかった。中文大学は、来年6月開催予定のEconometric Society Asian meeetingの開催地であり、今回は視察をかねてたずねていった。

大学駅の周りに広々としたキャンパスが広がっていて、キャンパスの広さでは科学技術大学と双璧だ。来年の会場になる場所は駅から徒歩2分ほどでいける。ここまで香港の街中からは少し距離があるが、それでも旺角あたりから乗換えなしで電車で20分ほどで着く。

プログラム委員長のZhengさんは多数の招待講演者を呼ぶことを決めている。そんなに呼んで金はたりるのかと聞いたら、もちろん大赤字だと平然と言う。良い招待講演者を確保しなければ、良い学会にはならないからこれは当然のことともいう。それはそうだが、先立つものがなければ頓挫するだろうと心配すると、赤字はいずれは大学がどこから埋め合わせてくれるだろうとのこと。真偽のほどは定かではない。私にもこのくらいの度胸があれば、夏のAsian meetingももっと楽しく仕切ることができたろう。

心強いのは、Asian meeting 2017を世話する秘書2名が非常に有能に見えること。彼女らは、視察のため京都学会のときにもやってきたが、しっかり吸収して彼女らで計画に反映させている。当然ながら英語も堪能。たいしたものだ。Zhengさんはちょっと心配だが、彼女らがいれば大丈夫なのではないかとまで思えるのである。


2016年11月某日

日経文庫の日経プレミアシリーズという新書のシリーズから、2007-08年ころダイヤモンド社の『経』で連載した、落語や昔話のエッセイに加筆修正したものを出せることになった。目標は来年6月の出版。高校教科書に採録された『わらしべ長者』も、ここに入れるつもり。


2016年10月某日

五十肩は英語でfrozen shoulderという。自分が患うまで英語で何というか知らなかったが、これはいい。五十肩といわれると、自分が恐ろしく衰えたようで気分はよくないが、frozen shoulderだと何やらおしゃれな感じがしないか。五十肩で肩が動かんというより、このところ肩が凍り付いてしまいまして、というほうが詩的ではあるまいか。

とはいえ、どう呼ぼうとも痛いことは変わらない。右肩の時は、痛み止めを服用しつつ痛みが治まるのを待ち、治まったらストレッチをして肩を徐々に動かしているうちに回復した。右だと利き腕なので往生したが、左ならばそれほど不便はなかろう、どうせなら薬に頼らずに治してやろうと考えたのが大きな間違い。どんどん痛くなって夜も眠れない。とうとう根負けして、前に通った医者に行き、痛み止めをもらった。


2016年9月某日

今回のシンガポール滞在では、再びホーカーに通い詰めるた。まあ、ホーカーでビールを飲むのは楽しい。私には基本的にこのような下町(場末?)の雰囲気が性に合っていて、高尚なところで酒を飲んでもうまくない。

そしてもう一つ重要な理由。五十肩である。2013年に私を悩ませ、私がホーカービールに開眼するきっかけとなったあの忌まわしい病気が再発したのである(その当時の経緯については2013年の独り言参照)。再発といっても、前回は右肩であったのが、今回は左肩である。症状はまったくおなじ。肩が回らないし、肩が冷えると釘を間接に打ち込まれたかのごとく痛む。それゆえ、シンガポールの屋内過冷房に耐えられないのである。

ただ、今回は少々守備範囲を広げ、Masjid Sultanのあるモスリム街にも、冷房のない飲み屋を探しに出かけて行った。この辺りはチャイナタウンよりはだいぶんおしゃれである。酒なのになぜモスリムとおもわれるかもしれないが、なぜかこの辺りにはバーが多い。ビールの売り子たちはいないが、外に出した小テーブルでビールやワインを飲ませる店がいくつもある。往来の人を見ながら、一人で食事もできる。トルコ料理のレストランなどもなかなか乙で、随分と気に入った。


2016年8月某日

2人のSをつれて、チャイナタウンのホーカーに行ってきた。(ここに流れ着いた経緯については、今年2月と昨年9月を参照)

失礼があってはならないので、この日の前に、私はちゃんと現地の下見をしておいた。日本語を解する元美貌の女性はすでになく、行けば即座にテーブルを用意してもらえるという私の「常連ステータス」が失効したのではないかと心配になったからである。

かつてより、この場所はすいてはいなかったが、いまや大変な混雑で、自分ではなかなか落ち着いて座る場所を見出せない。混雑の原因は明らかである。それはビールの売り子たちは、かつて私が通い詰めたホーカーにいた人々よりも確実に1世代若く、しかも最後にここにきた3月とくらべても、さらに若返っているからである。私の馴染みの女性は、年齢制限で切られてしまったのだろうか?それならば逆に噴飯ものだが。

幸いにも、彼女の相方で同じビールを売っていた女性が健在で、私の顔を覚えていた。この場所で、かような顔見知りがいるのは心強い。合図したら、たちまちテーブルをシェアできる仲間を見つけてくれた。ただ、半ば必然的に、まずは彼女の担当するビールを飲まざるを得なくなるのは仕方がない。ともあれ、私は十分な手ごたえを感じつつ下見を終えたのでえあった。

Sたちを連れて現地に近づくと、この日もやはり大賑わいだ。そこでまず、くだんの顔なじみの彼女をまず探したが、なんと見つからない。木曜日は休養日なのか?これでは場所取りに苦戦するかと思いきや、見るとぽっかりと一つ空きテーブルがあるではないか。これは実に奇跡的な出来事で、私は出だしから喜びに浸ったのであるが、普段の事情を知らない2人のSに、ここで一緒に歓喜せよといっても無理な話だ。ともあれ、いそいそと、テーブルを確保する。

Sたちには、この地に来る前から、ビールは1本ずつ注文せよという指令を出しておいた。私の顔なじみにがっちり取り込まれ、一種類のビールをひたすら飲まされるのを避けるためである。そこで、初めにやってきたカールスバーグ嬢には、2本だけ注文した。各自のジョッキを1度満たすにはそれで十分だからだ。ここのビール嬢たちは、私たちのテーブルに頻繁にやってきては、ビールをついでいく。これは私たちに特段の興味があるからではなく、この人たちはまだビールを飲めるはずと感じ取っているからである。残さず全部ついで、次のビールは私のところから買いなさい、ともちかけるわけだ。その状況で、君のところではなくて他から買うと宣言するのは勇気がいるし、そもそもごく簡単な言葉しか通用しないから自分たちの希望を説明もできはしない。というわけで、はいはい、では一本持ってきなさいと指を一本上げることになるのだ。

私たちは調子に乗ってハイピッチで飲んだので、ビール嬢が入れ代わり立ち代わりついでいき、勢いで次々と注文する羽目になった。予想されたこととはいえ、ここで飲むのには相当な気力と体力が要求されると改めて感じ入ったものである。カールズバーグ以降は何をどのような順番で飲んだが覚えていないが、Draftというビールを運んできたのはちょっと目を引く娘で、Sの進言に従って私は彼女をマドンナ3号と名付けた。ただこのマドンナ3号はあまり商売熱心ではなく、1本の販売に成功したあとは私たちにほとんど興味をしめさなかったのは残念である。それでは売り上げが伸びなかろう。今後の精進を期待してやまない。

注: マドンナについては2013年10月および2014年9月を参照


2016年7月某日

ポケモンGO配信開始だそうだ。

どのようなゲームかよく理解していないのであるが、スマホの画面に夢中になって、交通事故の原因になるケースが多発するであろう。これをしながら、自動車の運転はできるのであろうか?自転車なら、やりそうだ。ただでさえ、暴走する自転車にへきえきとしているところに、ポケモン自転車まで加わるとなると、とても安心して歩いてはいられない。

せっかくそれだけ熱中する人がいるのだあるから、プレーヤーには社会貢献をさせて、危険運転から生まれる社会費用を多少なりとも負担させてほしいものである。たとえば、道端からごみを拾わないとポケモンが見えるようにならないとか、赤十字に寄付するとそれだけレアもののポケモンが現れるとか。


2016年6月某日

このようなメールが、年に4回ほど送られてくる。

 平成28年9月30日付け早期退職について、別添「職員早期退職募集実施要 項」及び「教員早期退職募集実施要項」のとおり募集いたしますので、応募され る場合は、実施要項を確認し、応募申請書に必要事項を記入のうえ、xx月xx日までに所属部局総務担当掛へ提出願います。

というわけで、私は明らかに京都大学から早期退職を打診されているものの一人である。これが全額一律に送られてくるのか、それとも特定の人々に送られてくるのかは不明であるが、メールの冒頭には教職員各位とあるので、私を特にターゲットとしたメールではないようだが、断定はできない。

これに応募するのは実に簡単で、添付されているファイルに名前を書き込んで提出すればよい。せっかくなので、一度は応募してみたいと思う。淡々と書類が処理されて、ではさようならとなるのであろうか。ただし、退職後の身の振り方を考慮してからにする。


2016年5月某日

ベニスのリアルト橋付近には、魚介類と野菜類の市場がある。観光客目的で見物している人が非常に多いが、地元の人々に実際に食材を供給する重要な市場である。 ベニスに来るたびに、ここの野菜市場で買う野菜は私の口に合うと感じる。味があって、うまい。

しかし、このたび、事情は少し違うのではないかと思うようになった。すなわち、ここの野菜がうまいのではなく、日本で日々口にする野菜がうまくないのではないかと。 中国人の親しい友人Sさんはかなりの親日家であるが、それでも日本の野菜はうまくないと嘆いていた。私は長らくこの原因は調理法の問題であろうと考えていたのだが、ひょっとすると、より基本的な味の問題なのではないかと思うようになったのである。


2016年4月某日

Journal of Mathematical Economicsのeditor in chiefになったとき、この専門誌を出版するElsevierが、名刺を大量に作って送ってきた。かつて私の使った名刺は、すべてパソコンで自作した貧相なものだったから、分厚い紙に印刷された自分の名前を見て感激し、社会人としての自覚を新たにしたものである。

私が名刺を作らなかったのは、必要性を感じなかったためである。この商売をしていると、一般社会人との交流はごく少ない。業界内でも、初対面の人にあいさつせねばならばい機会はごくごくまれであった。つまり、名刺を渡すべき機会がほとんどなかったから、作ろうとも思わなかったのである。

だが、これは賢明とはいえない。わが業界においても、若い人は積極的に名刺を作って配るべきである。自分を売り込む機会を作らないのは、むしろ恥ずべきことであり、機会がないというのは言い訳にもならない。和文・英文で名刺の両面に情報を記載する。特に海外では日本人の名前は覚えられにくいので、顔写真を入れるほうが良い。自分のホームページのURL、できれば履歴書・論文一覧表などが呼び出されるバーコードなども入れるべきだ。

しかるに、かような努力を怠ってきた私は、名刺をもらってもこれを使う習慣が身についていないから、分厚い紙だろうがなんだろうが、宝の持ち腐れである。結局机の上に積み重ねてあるだけだ。念のために、カード入れに常時数枚いれてはあるのだが、まったく活躍しない。

ところが、つい最近のこと、これが初めて役に立った。普段からひいきにしているパン屋にパンを注文しておいて、取りに行ったはいいが、いざ会計をするときに財布を持っていないことに気付いた。代金は1000円ほどなのだが、無いものは払えない。今更キャンセルというわけにはいかないので、パンは受け取っておいて、料金は後日払うということで納得してもらおうと思ったのだが、常連とはいえただパンを買うだけだから、向こうはこちらが何者なのか全く知らないわけである。そこでふと思いつき、この名刺をだして来週払うと言ったら、すんなりと話がまとまった。名刺がなければだめだったかどうかはわからないが、少なくとも名刺があるとこの手の話はたいへんしやすい。不思議なことではあるが。

ここまで書いて、いろいろと思い出した。金が足りずに名刺を置いて行ったのは実はこれが初めてではない。正確には、このパン屋での一件は、この立派な名刺が役に立った初めての機会であり、代金の代わりに自作の貧相な名刺をおいて帰ったことが少なくとも2回ある。持つべきものは名刺である。


2016年3月某日

休暇をとって、日高(北海道)に行ってきた。3月も終わりの頃、雪は遠い山の上のほうに見えるだけで、平地にはまったく見当たらない。もちろん、京都に比べれば季節の進みは遅いのであるが、このあたりは北海道の中では温暖である。

この時期は毛がにがでていてる。カニ好きにはたまらない。さまざまな種類の鰈もあって、どれもうまい。これらはみな海底に住む者たち。海底にはそれだけうまいものが眠っているということだろうか。バフン雲丹もいる。ムラサキウニに比べるととげはごく短くて、確かに馬糞が転がっているように見える。日高は昆布の産地として有名だが、こいつらはその昆布を食うらしい。なので当然うまい。

おりしも北海道新幹線が函館まで開通。新時代の幕開けと機運を盛り上げようとする努力はなされているものの、乗車率は低く北海道新幹線の前途はまったく明るくない。札幌までつながっても、すでに札幌への一極集中がすすんでいる道内で、新幹線が果たすべき役割はいったい何だろうか。東京からのアクセスが格段に向上したために、大きな経済効果があるとされる北陸新幹線でも、区間によっては乗車率は50%を切るそうだ。九州新幹線を含め、不採算新幹線路線の廃止が議論されなければならない日が、それほど遠くない将来に来るだろう。


2016年2月某日

シンガポールに2週間行ってきた。 昨年の9月は煙害に悩まされたが、今回は青空が見え、シンガポールらしく暑くてよい。

こんなとき、やはりビールは屋外で飲むに限る。チャイナタウン・センターのホーカーは依然として壊滅状態だが、昨年9月に開拓したところは、大変にぎわっている。昨年9月の独り言で書いた、日本語を解する元美貌の女性をはじめ、見慣れた顔がそのままいた。この人たちを見慣れるほど通うのは問題かもしれない。彼女たちも私を覚えている。

今回は、前から気になっていたIndian Rojakというものを食べる。私の理解では、要するに、肉や野菜を油で揚げ、頭の頂点から汗がほとばしるくらい辛い唐辛子をきざんだものと、少し甘みをつけた、香辛料たっぷりのソースをつけて食べるもの。私の趣味感覚からすると、この唐辛子はビールにあわない。ビールを飲むと辛さが倍増するように感じる。ソースのほうはなかなかいけるから、唐辛子を慎重によけて食べればビールとの相性はよい。が、なにせせ全体に脂ぎった食べ物であるから、オトナがたくさん食べるものではない。

さて、この元美貌の女性は、もうこの仕事をやめるという。たずねて見たが、理由は良くわからない。座る場所の確保など、なかなか世話を焼いてくれたので、大変残念である。それで、再び他のホーカーも開拓しようと、国内を放浪する。詳しくはまたいずれ。

注: 私のパソコンに「えんがい」と入力すると、「円買い」が第一候補になります。これは標準?それとも何かの暗示か…


2016年1月某日

こんな夢を見た。

テレビの解説者が、百年前の人類は完全に直立して歩行していたとしたり顔でいう。そんなことは当たり前だろうと思って周囲をみたら、人は上体を前方に10度ほど傾けていて、頭もそこから心持ち前傾している。スマホを使いながら歩くためには、完全に直立するよりは、若干上体を傾けたほうがよい。使い続けているうちに、この形に進化してきたと解説は続く。

これでは歩こうにも前がよく見えなくて危ないだろうとおもったら、スマホには自動歩行アシスタントアプリがはいっているので、前を見なくても歩ける。むしろ、皆が自動歩行アプリを利用しているため、人の流れはとても整然としている。

周囲をさらによく見ると、人々の人差し指が他の指よりはるかに長い。これも進化の結果だぞと解説者に指摘してやろうと思ったら、目が覚めた。