2015年の独り言

by 梶井厚志

2015年12月某日

コンビニエンスストアで一番よく利用するのはコーヒだ。コンビニにはほとんど足を向けることがなかったのだが、コーヒーが売られるようになってから頻繁に利用するようになった。もっとも、買うのはたいていコーヒー一杯だけだから、良い客なのかどうかはわからない。

普段の通り道にセブン・イレブンができてから、利用する回数がさらに増えた。コーヒーを買って、すすりながら寺社の境内などを寄り道しながら帰る。これが存外乙なものである。日によっては朝に一杯もって学校に向かい、帰りにも一杯買ってのむ。

驚くことに、このような買い食い・飲み歩き楽しむ感覚を、中高生の時代以来、私は長らく失っていたようだ。今でこそ往復コーヒーを買ってもびくともしない財力があるが、子供のころは限られた予算をいかに上手に使うか頭を悩ませたものだった。野球の練習をして、帰宅前にジュースを一本買うのが楽しみだった。今では瓶入りの炭酸飲料をあまり見かけなくなってしまったが、350ミリリットル入瓶のキリンレモンか三ツ矢サイダーのどちらを飲むかが大問題で、値段は確かどちらも60円だった。


2015年11月某日

知らない土地で、飲み屋にはいってみるのが好きだ。ふらりと、である。インターネットを利用して、事前に情報収集をしてはならない。あくまで外から見た雰囲気を頼りに入ってみるのが私のルールだ。 会津地方の某所でも、この流儀で居酒屋にはいった。土蔵を改装した店舗の外見が気に入って、入ってみたのである。

カウンターに座ると、私よりは一世代上とおぼしき女将がでてきて、飲み物はなににしますかという。ところがメニューらしいものは無い。では地元の日本酒をというと、いくつか銘柄をいうから、言われたの2つ目のを注文する。なにだったかは覚えていない。

何せメニューや品書きが全くないので、注文をしようにも、なにをあてにできるのかわからない。ところが、酒をついだ後、女将は奥に引っ込んで出てこない。そのうち彼女は一つ一つ小皿を持ってきて、計4皿持ってきた。セロリとたまねぎをあわせた洋風のサラダ、鳥の炊き合わせ、魚のあら煮、サンマの南蛮漬け風の一品もある。それらを淡々ともってきた女将は、食事の注文をとろうとするでもなく、カウンターにたって、私の隣の男性と話し出した。

そのうちもう一人男性が入ってきて、この人もなじみ客。女将と私の隣の男性とともに、3人で話し出す。訛りがとても強いので所々意味がわからない。どうやら、女将は最近白内障の手術をして、ものが驚くほど良く見えるようになったらしい。見えるのはいいが、さまざまなあらが見えるようになって幻滅する。先週は町の共同浴場にいったが、他人の体型の崩れや肌の色艶の悪さが目立つ。自分もこんなに見えるのかと思うと、風呂にもいきたくなくなった、というような話題なのだ。まあ、たわいもない話から、筋が このくらいわかれば十分ではある。酒の代わりをしつつ、いつの間にか、私も会話に加わっていた。

常連さんたちは代行タクシーを呼んで帰ったのが夜9時頃。それで私も引き上げることにした。勘定を頼んだら、2000円だという。ずいぶん安いではないか、と言ったら、酒の料金だけだという。食事は自分が好きで勝手に出しているんだから、代金はとらないという。道理でメニューが無いわけだ。それにしても、これで商売になるのだろうか。

入るときには気づかなかったが、道の向かい側は「フィリピンパブ」という業態の店だった。こちらも、こんなところで商売になるのだろうか。金曜の晩だというのに、通りに人の気配は無い。


2015年10月某日

シンガポールは隣国での焼け畠および森林火災によって発生する煙に覆われていて、特に9月後半は建物がかすんで見えないほど悪化していた。飛行機が飛び立ち、煙の帯の中を突き抜けて上空に出ると、空はこんなに青かったのかとびっくりした。シンガポールから日本に戻ると、空気のおいしさにさらにびっくりした。

北京にも行った。これはEditors' conferenceというElsevierの企画に参加するため。3日間だけの滞在だったが、それでも大気汚染が心配で、こちらのページを頻繁に見た。幸いにもPM2.5のレベルはmoderateからUnhealthy for Sensitive Groupsだったのだが、予定が目白押しだったので会場のホテルからほとんど出ずにすごした。


2015年9月某日

法律が変更された影響か、シンガポールのホーカーで活躍していたビールの売り子の数は激減した。私が通っていたチャイナタウン・センターの例の場所も、かつては常時5・6人が歩き回っていたが、今年行ってみると1人しか居ない。この人は私がここに通い始めた頃からいる。

全滅したわけではなく、まだこの良き仕組みが残っているところもある。で、今年はチャイナタウンの他の場所にも進出してみた。ここでは、デスターという韓国ビールの売り子につかまる。この人は、若いころは結構な美貌の持ち主であったろうというすらっとした女性。

この元美貌の女性は日本語を解する。日本にいたことがあって、銀座の飲食店(クラブ?)で働いていたという。たしかに彼女を見ると、10年前なら、それもあったかもしれないと思う。

さて、ビールを注いだ彼女は、テーブルに載っているエビと豆の炒め物を見て、驚いたような表情でそんなものを食べるのかという。豆が青々として興味をそそられたため私は注文したのだが、彼女によればそれはマレーシアの豆で臭豆といい、臭いから中国人は絶対に食べないというのである。

食べてみると、臭くはない。でも、苦い。いや、とても苦い。そら豆のような味を想像し、ビールにあうのではないかと予想していたので、少なからずびっくりした。

またおばさんがやってきて、臭いでしょー、とういうから、臭くはないが苦いというと、ニガイ?と不思議そうな顔をする。彼女の臭いは苦いの意味だったのかもしれない。そう、私には断じて臭くはない。だが、この料理はうまくない。少なくとも、ビールにはあわない。

いったいこれがどのような素性の豆なのかはいまだに良くわからないが、インターネットでの情報を基に判断すれば、これはマレーシアではカレー料理につかう豆らしい。中華風に、エビと合わせて魚醤で辛めに味付けしたものは、調理法として根本的に間違っている可能性がある。マレー風に料理されたものを食べてみたいものだ。


2015年8月某日

ことしのSWETは10周年。天気にもまずまず恵まれた。

会期を長くしてからは、初日から最終日まで居るのは難しくなったが、今年はがんばって最初から最後まで居た。もちろん、自習室やそのほかの場所で過ごす時間もそれだけ多くなったが。

終了翌日、伊丹に帰る便は夜6時発だったので、日中は札幌でのんびりできる。札幌にしては蒸し暑い朝、さてどこに行こうかと考えるに、たいていのところは行ってしまったから、わざわざ出かける意欲もおこらない。そこで思い立ったのは、大通公園のビアガーデン。ここには前日の夜をはじめ、過去何度か来たことがあるが、昼は行ったことが無い。これはすばらしい考えだ。そこでホテルのチェックアウト時間までは少々仕事をして、昼の開店時間に合わせて大通公園に向かう。

月曜のこんな時間にビアガーデンに居るのは私だけかと心配したが、行ってみると結構人が居る。子供を連れた母親たちと思しき集団がいくつも来ていて、ビールをもっておしゃべりに熱中している。広々しているから、子供が駄々をこねてもうるさくない。成人男性は少ないが、おそらくはリタイア後と思われる男性がちらほらといる。

私の隣のテーブルには60代と思しき2人組が来て、10リットルの「タワー」を注文しようとして、アルバイトの女子高生にたしなめられ、3リットルの樽に変更。しかし、2人で3リットルは、なかなかの量だぞ。こちらは空港に行かなければならないので、本当に飲みきるのかどうかは確認はせず。

結論: 日中の大通りビアガーデンはお勧めです。


2015年7月某日

中日新聞への連載が終了した。週一回、600文字弱の原稿を合計24回書いた.半年はあっという間だったという印象である。

大半は土曜か日曜に書いて、担当者にメールしたが、長期出張があったのでその間の分は前もって送っておいた。ただし、毎週一つ書くのではない。常に3・4つ平行して書いていて、その中の一つを完成させて送るのが私のやり方である。

平行して書くのは、万が一書けずに連載に穴を開けては困るので、余裕を持ちたいというのが第一の理由。しかし、より重要な理由は、なかなかさっと最後まで書けないところにある。原稿用紙の最後まで文字が埋まらないというのではない。実際ちょっと書き出すとすぐに500字くらいになってしまう。だが、内容が思い通りにまとまらないのだ。それで、最後まで一つのアイディアを元にして大まかに書いておいて、その後何度か手を入れる。こんな方法を、もう何年も続けている。非効率だとは思うが、仕方が無い。


2015年6月某日

上海に3年ぶりに行った。第一印象。物価が上がっている。とにかく高くなった。これはかの地の物価上昇と、円安のため。確か1中国元は15円ほどだったと記憶するが、現在は20円である。しかも元建ての物価は3年で1割くらい上がった感じがする。


2015年5月某日

3年ぶりにヨーロッパに行った.今回の目玉の一つは、アムステルダムでElsevierの本社を見学すること。さすがに学術出版会の巨人。アムステルダムには高層ビルはほとんど無いが、でElsevierの本社ビルは天下をを睥睨するかのごとき高層ビルである。中身もたいへん近代的。フリースペース方式で、職員は特定の机を持たない。必要情報は、ネットワーク経由ですべてアクセスする。出版社だが、紙のにおいがほとんどしないのである。

さて、アムステルダムのとあるスーパーで、日本円にして1000円ほどの買い物をしたら、支払いに使えるのはカードだけだという。現金に限ると言ったのを、こちらが聞き間違えたのだろうと確認しなおすと、本当にカードでしか支払いができないのである。やめる理由も無いから、クレジットカードで支払いをした。その後で、街を改めて観察し直すと、カード決済のみ可能という表示をしている店は少なくない。パン屋で200円ほどのパンを買ったら、ここもカード決済のみであった。小銭を渡して子供に使いを頼むこともできないのか。

現金をあつかうと、勘定の手間や従業員の管理、あるいは盗難の心配など、それなりに費用がかかる。その費用が大きければ、現金決済を拒否したほうが有利になり得る。今ならそう納得できるが、初めてスーパーで現金受け取りを拒否された時には事情が呑み込めず驚いた。

翌日のこと、ボンへの移動を前に少し買い物をしようと思ったら、クレジットカードが無い。カード紛失は過去にも何度か経験があるから、あわてずに前日の行動を思い出してみて、あのスーパーに違いないと結論した。つまり、あまりに現金支払い拒否に驚いたので、そこにそのままカードを置き忘れたのである。店に戻ってみると、レジに座る人物は昨日とは異なるから、私のことなど覚えてはいない。カードの忘れ物は聞いていないというが、こちらは忘れたのことには自信があるから、しっかり調べてくれというと、奥にはいってしばらくした後、店の責任者風の人物がカードを持って出てきてくれた。

名前を確認したのち、受け渡し。財布を置き忘れる人は時々いるが、カード1枚だけ置き忘れるというのは珍しいとのこと。現金を置き忘れたと主張してもトラブルになりそうだが、クレジットカードだけなので、店としても受け渡しはスムーズである。これも現金拒否のメリットの一つだろうか。


2015年4月某日

プロ野球に興味をなくして久しく、最近興味をもっているのはマー君と黒田くんの動向くらいである。そこにきて、今出川烏丸付近の某酒場において、S井くんが黒田日本不向き論を唱えたために、ちょっとした賭けになった。2015年のシーズンで黒田が10勝以上するかどうか。S井くんはしないほうに、私がするほうに乗った。倍率は1:2、すなわち、S井君が勝ったときの受け取り1に対し、私が勝つと2になる。そのやり取りを横で見ていたT橋くんは達成しないほうに、I原くんは達成するほうに乗ったので、ちょうど2対2対決の構図になった。誰が何を支持したのか忘れるといけないので、ここにメモしておく。


2015年3月某日

中日新聞「紙つぶて」の原稿は約550字。原稿用紙1枚半ほど。この長さはなかなか難しくて、どうすれば無駄なく表現できるのか、たいへん勉強になる。構想に無理があり、失敗したものもすでにいくつか。読まされる読者にはたまったものではないが。


2015年2月某日

 アメリカ東海岸のボストンで開催された学会からの帰路のことである。ボストンからカナダのトロントを経由して東京羽田で入国する予定であった。アメリカ東部は寒波に襲われ、交通にかなり支障が出ていた。当日ボストンの空港は晴れていたが、ボストンからカナダのトロントを経由して東京羽田で入国する予定が、折り返しトロントに飛ぶはずの飛行機がなかなかやってこない。1時間以上遅れて出発し、乗り継ぎ便に間に合うのかどうか危ぶんでいたが、機内では何の案内もない。トロントに着いたときには、羽田便の出発5分ほど前。誘導する人が誰かいるのかと思いきや、これも無し。何とかゲートを探し当てて行ってみるものの、機影はすでになかった。

 このような場合、航空会社が手配したホテルで一泊し、翌日の便に乗るのが通例である。それゆえ担当窓口の行列に加わったが、行列の長さに比べて窓口の職員数は極端に少ない。これで対応できるなら実に効率的だと思いきや、二時間以上待たされた。それも、椅子も何もないところである。久しぶりに、空港の通路に座り込んだ。順番が来ても、結局のところ翌日の同じ時間の飛行機に乗るしかない。長い間待たされた後のことで、こちらも相当にいらだっていたから、何か元を取りたいというという衝動もあったが、いくら考えてもここでやることはほとんどない。せめて、一泊するのなら、ボストンであずけた荷物を取りたいと言ったら、早速手配するから、カナダに入国後、指定されたカウンターに行くよう指示された。

入国自体はとてもスムーズ。だが、指定場所に荷物を受け取りに行くと、待てど暮らせど出てこない。荷物のクレーム対応の窓口にたどり着いたとき、私は殺気立っていたに違いない。  

 この時、窓口担当者が開口一番に発した言葉が良かった。あなたは状況に応じて合理的な判断をする人とお見受けするという趣旨のもの。私は機先を制され彼の言い分を素直に聞く気になった。

 悪天候のため空港は混乱しており、個別に探してもこの場で時間を浪費する可能性が高い。荷物は責任を持って探し出し、羽田到着時に受け取れるよう手配するから、ここは荷物なしでホテルへお引き取り願えないか。

 合理的な私は矛を収め、後を任せて立ち去った。機先を制する彼の一言は、優れた苦情処理戦略だなと感心したものである。

ホテルに行っても、荷物もないしすることがない。外気温はマイナス10度を下回っている。当然ながら、良いホテルではなく、テレビはブラウン管使用の年代ものである。今回の旅では、意図して時差ぼけを直さなかったので、夜8時には就寝、早朝2時に目が覚めた。

時間を持て余したので、朝は早めに空港に行った。ボストンからの飛行機は、今日も遅れている。かわいそうに、この人たちもトロントどまりかとおもいきや、今日は乗り継ぎを待つために、羽田行の出発を遅らせるという。定刻を1時間以上遅れて出発、これで羽田から大阪行きの乗り継ぎ便に間に合うのかと心配していたら、やっぱり間に合わない。

しかも、トロントの係員があれほど自信満々に請けあった私の荷物は、羽田には現れなかった。

今度は羽田に一泊かとおもったら、係員は今からなら大阪行き終電には間に合うから、新幹線で行ってくれないかという。こういうさばき方があるとは知らなかった。荷物もないし、身軽だから品川駅の雑踏も苦になるまい。というわけで、のちに新幹線代を請求するための用紙をもらって、羽田を後にした。今度は乗り遅れることなく京都までたどり着いた

荷物はトロントで発見され、それから2日後に自宅に配達された。新幹線代も、2週間ほどしたら銀行に振り込まれていた。


2015年1月某日

こんな夢を見た。

曇天の競技場で、サッカーの試合を見ている。よく見ると、片方のチームの選手たちは、首相や著名な経済学者たちだ。ずいぶん攻勢だと思ったら、人数が多い。ちょっと数えても30名以上いるではないか。相手チームの選手は数人しか見当たらない。

これならすぐ点が入るだろうと思いきや、ボールは自陣やゴール前で動いているだけで、一向に相手ゴールを脅かさない。確かに大優勢だな、と合点したら目が覚めた。