2011年の独り言

by 梶井厚志

2011年12月某日

松山は、長年いってみたかった場所の一つだ。

この夜にはいった店は、一階に生簀と調理場があり、調理場を囲むようにカウン ターがあって、そこに15人ほど座れるようになっている。上の階には座敷があ るようだ。大人数で宴会をしているらしく、調理場では盛んに宴会料理の支度をしている。こういうのを見ながら、ちびちびやるのはなかなか好ましい。地の 魚を刺身にしてもらおうと聞いてみると、今日は一人で食べるのに適当な大きさの魚がないという。では貝はどうかと聞くと、ニシガイがあるという。聞いたことのない名前だったので、頼んでみる。

こいつは握りこぶしほどの大きさの巻き貝で、それを目の前でさばいて刺身にしてくれる。巻き貝らしいコリコリとした食感がよく、旨味の強い上品な味である。つぼやきのようにしても、きっとうまいだろうとおもい、品書きを調べ始める。あとで調べてみると、ニシガイは、赤にし貝、あるいはアカニシとも呼ばれる。砂浜に生息して、あさりやハマグリなどの二枚貝を食べる獰猛な貝だそうだ。どうりでうまいわけである。

ニシガイを味わっていると、客の一人がタバコを吸い出した。調べて入った店ではないから、このようなことは当然おり込み済みである。ところが、それに呼応するように他に2人も吸いだしたのにはまいった。店内がタバコの匂いで充満してゆくのが分かる。それにしてもにおいの広がり方が急だなと調理場を見ると、なんと料理長らしき男も吸っている。 このようなところで、ものを食べてはならない。一気に興ざめしたから、 ニシ ガイの壷焼きは断念し、残りの酒を飲み干したら店を出ることに心を決めた。

それが夜の9時 少し前という時間であった。すると私の心の動きを察知したかのように、カウンター席にいた客たちが一斉に帰り始めた。実は、私はニシガイをつまみながらこの人たちをずっと観察してきたのであるが、それだけの興味をそそられる人々だったのだ。私の隣の一人を除いては、皆男女ペアになっている。それも男たちの方は私と同年代かそれよりも上で、女たちの方とい うと年齢にしてその半分に到達しているかどうかというような人たちだ。しかも彼女達は、そろいもそろって茶色から金色に輝く髪の毛をぐるぐると頭の上に積み上げている。目のまわりや口元も、私にさえはっきり分かるくらい、さまざまな塗料を組み合わせて丹念に作り込んでいる。この人たちは、これからクラブ活動をはじめるのである。

店に持っていく手土産にするのであろう、男性たちは寿司の折詰を注文してから 会計をする。私の隣でふぐの刺身を注文して静かに飲んでいた男性一人客も、やおら携帯電話を取り出して何やら話始めたが、これもクラブ活動に参加するために、彼のお目当てが現在いかなる状態にあるかという情報収集にいそしんでいるのである。結局彼も寿司の折詰をもってこの店を出た。

せいぜい10分間くらいの間に、この大移動は完了したから、残りの酒をちびち びやっていた私は、1階でただ一人の客となってしまった。店のものには、のこった私にまだ何かたべさせようという料簡ありとみえたが、初志貫徹して私もその店を出て2軒目を探した。週末ということもあってか、二番町・三番町と呼ばれる地域に広がる松山の繁華街は、ずいぶんと賑わっていた。夜半を過ぎても結構人がいる。京都の盛り場で、これほど人が出るであろうか。後で聞いたら、松山の繁華街はこの周辺だけで、それ以外はまったくもって静寂なのらしいが、その一月ほど前に徳島の様子を見ていたから、一つの地域でもこれだけ集中して賑わっ ているのはたいへ ん喜ばしいことだろうと感じたものである。


2011年11月某日

徳島へ行ってきた。徳島へは三宮からバスで2時間ほど、京都から新快速に乗って三宮で乗り換えると3時間ほどの行程である。バスは途中で雄大な鳴門大橋を渡り、淡路島を縦断して四国にはいる。バスの本数も多い。大変に便利である。

鳴門大橋のおかげで、徳島は京阪神に非常に近くなった。他方で徳島市内の商業施設は、京阪神の商業地域との競争に直接さらされることになってしまった。地域の中心という独占的地位を失った徳島市内中心部が、かつて得ていた利益を失うのは当然の理である。実際、私が見た徳島中心の夜の繁華街は、閑散という言葉がまさにあてはまる状態であった。行ったのは火曜日の夜であったということを割り引いても、非常に寂れている街という印象がぬぐいされない。その夜私がたまたま入った飲み屋の主人によれば、10年前の金曜土曜ともなれば、辺りには押し合うくらいの人が出て賑わったそうであるが、その夜の風景からすれば到底信じがたい。翌日に乗ったタクシーの運転手によれば、とにかく出てくる人の数が激減したので商売にならぬとのこと。新幹線や高速道路が整備されるにつれて、徳島のような都市は次第に増えていくのであろう。

徳島では「すだち」をよく使う。食べ物はもとより、アルコールにもあう。すだち焼酎というものがあるのは知っていたが、日本酒にすだちをひとしぼりするという飲み方を教わった。味が軽やかになるのは確かであるが、どっしりとした純米日本酒好きには逆に物足りないかもしれない。このたびすだちをあわせて食べたものの中では、太刀魚が印象に残った。太刀魚は太平洋側の広いエリアでとれるが、水揚げの多いのは和歌山県で、海を挟んで隣にある徳島でもかなりの漁獲量がある。太刀魚はうまい魚で、私の好物であるが、表面をごく軽くあぶって造りにし、すだちをひとしぼりしたものは予想以上に美味であった。皮のあたりがうまい。油の多い魚なので、かんきつ類があうのだろうか。


2011年10月某日

通天閣の南側、新世界の脇にスパ・ワールドという温泉施設がある。隣には経営 破綻したフェスティバル・ゲートという遊園地があるため、何となく寂れた雰 囲気がある。このあたりが華やかだったのはずいぶん昔のことだ。それでも週末 には通天閣見物や、B級グルメを目当てにした人が、そこそこ出てきている。

こんなところに巨大な温泉があるということ自体がずっと気になっていたが、温 泉に入って、そのあと新世界で一杯やるのも悪くないと思って、某土曜 日につ いにためしてみた。週末の通常入場料は1日3000円とのことだが、この入場 料はキャンペーン中だそうで、入場料は1000円。もっとも、 この値引き キャンペーンは頻繁に行われるらしく、今回のも年末まで続くそうだ。

感想。これはおもしろい。おすすめである。1000円でずいぶんと楽しめる。 男性用は4階で、ここにはヨーロッパをイメージしたという風呂やサウ ナがいく つもある。フィンランドのコーナーには北欧サウナ、スペインのコーナーは半露 天で、青空を見ながら風呂の中に寝そべることができて乙であ る。そのほかに もローマやギリシャ風というのもある。青の洞窟をイメージしたという風呂は、よくわからないが大阪っぽくてよい。

風呂はもう一フロアあって、こちらはアジアをイメージしたものだそうだ。この 日は女性用。月ごとに男女のフロアが入れ替わるらしいから、こんどはアジア の方にはいってみたい。

のぼせるほどはいったあとで、「酒の穴」に行って、ばい貝と串カツを肴にビールを飲む。テレビでは吉本喜劇中継。日がまだ高いから、たいへん優雅な気分になれる。

通天閣の下をとおって北上すれば、日本橋の電器屋街だ。大昔に秋葉原のラジオ 会館あたりでパーツをあさったことを思い出しながら冷やかして歩く。地下鉄にのっ て天満界隈を経由、酒の奥田で一杯やってから京都へ。


2011年9月某日

サントリーの山崎蒸留所に行った。山崎は京都から大阪方面にJRで15分ほど、かの天下分け目の天王山の麓にある。阪急電車で大山崎まで行って歩いてもよい。工場でウイスキーを味わうのが目的なのだが、山崎駅から天王山の山頂までは至近距離だから、工場に行く前に登ってみた。ところが、道は想像していたよりかなり急なので、気楽には登れない。ふうふういいながら汗をかいて上り、山上から展望すれば、なぜこの地が成語として定着するほど戦略的に重要だったのかが自ずとわかる。

山登りに時間をとられ、時間に余裕があるつもりだったのに、気づくと集合時間の午後2時30分がせまっていて、慌てふためいて蒸留所をめざした。参加するのは、簡単な工場見学の後、ウイスキーのテイスティングの仕方を教えてくれるという、2時間ほどの講座である。参加費は2000円。

蒸留器や大量の熟成用樽が並ぶ様子を見学して、会場に戻る。席に着くと、テイスティング用のウイスキーグラスが7つ並んでいた。テイスティング用のウイスキーグラスは、ブランデー用グラスを2周りくらい小さくした大きさで、私の手のひらにほとんどはいってしまう。グラスの底の方に、2本の平行線が彫り込まれている。下の線までウイスキーを入れ、そのあとで上の線まで水を入れると、1:1の水割りができる。仕事でテイスティングをする玄人は、ウイスキーを口に含むだけでごくごくと飲んだりはしないのだが、ここに集まった素人はもちろんのみほしてしまう。それを見越してか、この日つがれていたのは、下の線の半分まで。なので、下の線まで水を入れると1:1になる勘定だそうだ。

はじめに味わう3つのグラスには、出来立てのウイスキー原酒と、熟成された原酒2種類が入っている。出来立てのウイスキーは、強烈な麦焼酎という印象である。アルコール分の固まりで、とても飲めたものではない。まあ、これは予想通りだったのだが、意外だったのは熟成させた原酒の方である。テイスティンググラスを回して香りをかきたて、鼻を突っ込んで香りを嗅ぐのであるが、あまり馴染みの無い香りだ。シェリー樽で熟成させた原酒はたしかにシェリー酒を思わせる香りがするが、もうひとつのミズナラ樽熟成の原酒は妙な香りがする。すくなくともよい香りではない。何と表現したら良いのか分からぬと悩んでいたら、同行のHがこれはセメダインのような香りだといい、私もそれがもっとも適当だと思った。シェリー樽も、水で割ったほうが香りはよいように思う。これを水で倍に薄めると、むしろ好ましい香りに変わる。アルコールの度数が高すぎると、嗅覚が麻痺するのかもしれない。あるいは、原酒だと個性が強すぎて、私のような素人には手に負えないのかもしれない。

次に味わうグラスには、いくつかの原酒がブレンドされた、製品として販売されているウイスキーが入っている。こちらは、そのままでもウイスキーの香りがするのは、ある程度飲みなれているからであろうか。それにしても、純粋に味や香り を追求するなら、水で割った方がよい。強すぎる酒は体にも悪そうだが、味も壊しているようだ。

現在は強い酒を飲みたいとは思わないが、学生の頃にはずいぶんと飲んだものだ。同級生の下宿に上がり込んでは、加水なぞせずに強いまま飲んだ。サントリーではオールドは高すぎて勇気がいるため、もっぱら赤白を飲んでいた。まあ、アルコールなら何でもよくて、味がどうこうということはわからなかったというのが正直なところである。ウイスキー以外にも、ジンやウォッカをよく飲んだ。安い焼酎もやったし一升瓶にはいったブランデーもやった。これらをせいぜい氷をいれるくらいでガブガブやっていたわけだから、ずいぶんと体をいじめたものである。今になって反省してもしかたがないが。

強い酒といえば、大学1・2年のころは頻繁に同級生のNの下宿にあがりこんでいたことを思い出した。酒を飲みながらマルクス・ケインズ・シュンペーターにはじまり、ミスDJにでてくる女の子の噂話あたりまで、あきもせずよく話した。長い間あっていないが、こいつは現在日本銀行に勤務しているはずである。出世したのは私との激しい議論のたまものであろう。彼は彼で、逆のことを思っているに違いないが。

さて山崎蒸留所では、ハイボールの作り方というのも学習し、それにウイスキーに合う食材というのも勉強した。当日つまみとして、チョコレートやナッツ類など、おなじみのものがでていたのだが、中にとらやの最中があって目をみはった。聞くと、ウイスキーに和菓子はあうし、この最中はおすすめだというから、ウイスキーとともに半信半疑でたべてみた。いまでも半信半疑である。


2011年8月某日

8月の函館は、スルメイカだ。この時期の函館、魚介類を売り物にしている飲食店や居酒屋では、生け簀にイカを泳がせている。 「活イカ」と頼むと、生け簀の中を泳いでいる生きたのを網で引きあげて、たちまちのうちに手際よく刺身にさばいてくれる。「活イカ」は「かついか」と読むが、「いけいか」と読んでもおこられはしない

調理人に細長い胴体を片手で押さえられ、くねくねと動く10本の足が着いた頭の部分をもう片手でつかまれると、身の危険を察知したイカは威嚇するかのごとく体全体を大きく膨らませる。しかるに調理人といえばまったく表情を変えることなく手先に力を入れるから、哀れなイカは瞬時に胴体と頭以下の部分に分断されるのである。筒状の胴体は、開かれ皮をはがれて刻まれて、枕木を並べたように皿に盛られる。イカといえば白くてのっぺりしたものを思いつく者は、少し茶色がかった半透明の刺身を見るだけで、食欲をかきたてられるのである。刻まれた胴体の横には、先ほどまで協力して一つの生物を形成していた頭と足が添えられている。胴体と足はまだ動いていて、ギョロリとつきだした目が、切り刻まれた胴体を恨めしそうに見ている。この一連の仕打ちを、生の魚介類を食べる習慣のない人が見れば卒倒するか憤るかにちがいないのだが、不思議に残酷な感じはしない。

この頭と足に醤油をかけると、頭と足は苦しんで激しくうごめく。これをイカ踊りと称する。醤油はそれだけ刺激が強いということだろう。ふざけて醤油を一気飲みなどすると胃をやられるそうだから、切り刻まれたイカは想像を絶するほどの苦しみを味わっているに違いない。これを見ると、生きながらして切り離されるイカを見てもおこらない、とても残虐なものを見たような感覚がわき起こってくる。なので趣味の悪い余計な遊びはせずに、一気に食べてやるのが人の道というものである。刺身にされた胴体の方は、しょうが醤油をつけられても暴れたりはしない。新鮮な活イカは、噛んでコリコリとした触感がたまらなく、また噛みつづければ独特の甘みがまた嬉しい。これを麺類のようにすすってはならない。

切り離された頭と足は、そのうちに動きを止めるが、これをそのまま食べるのではなく、あぶるか天ぷらにする。頭まで楽しむには天ぷらの方がよかろとおもうが、まあどちらにしてもうまい。

函館にいた3日間で、こいつをなんと5ハイも食べたが、もっと食べたい。


2011年7月某日

梅雨明け。そしてお約束の猛暑である。今年もこの時期が来た。北海道が私を呼んでいる!。

さて、冷房の設定温度は普段より下げて、部屋を冷やしておくべきだと書いた。論理的には正しいはずだが、いざ実践してみると厄介なことがあることも分かった。20度まで部屋を冷やすと、少々寒すぎるのである。冷房を切ると逆にほっとするくらいで、日中に1時間冷房を切っていても大丈夫なのだが。これはこれで努力が必要なのである。


2011年6月某日

節電の夏だ。大学でも節電モードに入り、研究所の中の電気は消され、昼間でも薄暗くなった。夜になると本当に暗くて、階段などはとても危ない。電気のスイッチを探せないくらい暗いのである。 室温も28度に設定するようにというお達しがあり、各所で実行されているようだ。

しかし、これはおかしな話だ。夜は電気をつけたほうがよいし、冷房の設定温度は、特に午前中は、むしろ普段より下げるべきである。

たしかに、一般論として、節電をしてエネルギー消費をなるべく抑えようという試みは望ましい。現状では電力のほとんどは再生産不能なしかも高価な原料から作られているのだから、その消費を減らそうというのは大変結構なことである。

ところが、今回の問題は、電気の絶対量が常に不足するというのではなくて、ピーク時に許容量を超えてしまうことが懸念されることである。許容量を超えてしまえば、予期せぬ停電に見舞われるから、日中のピーク時の電力消費を下げましょうということだ。すなわち、ピーク時以外で余裕のあるときにいくら節電しても、この停電防止という観点からするとまったく役に立たない。余計な汗をかくだけである。

言い換えれば、ピーク時以外だったら、もっと消費してもよいのである。

ゆえに、夜に電灯を消して人々を危険にさらす意味はない。まったく不愉快なことである。また、日中のピークの前に部屋を凍えるほどに十分冷やしておいて、ピーク時の2時間ほど冷房を切ったほうがよい理屈だ。28度に設定する、あるいはもっと極端に午前中は冷房を入れず、昼暑いときに根負けして冷房を使うのであれば返って逆効果だ。極端な話、室温を15度くらいまで下げておけば、日中冷房のスイッチを2時間切っても耐えられるであろう。


2011年5月某日

学会で熊本に行った。この地に来るのは3 度目である。

熊本では馬刺しが有名。しかしちょうど、牛肉のユッケ(生肉)で死者が出た折であるである。私も、知識としては馬肉は生食用として検査に合格したのものがちゃんと流通していて、他方牛肉で生のまま食べられているものは、実は生食用という検査には通っていないということは知っていた。でも、なんとなく気持ちが悪い。

そもそも、生肉はうまいものであろうか?食べられないわけではないが、じつは私はあまり好きではない。(すでにどこかで書いたか?)というわけで、馬刺しも絶対に食べねばという意欲を持って出かけたのではないのだが、飲み屋に行くと必ずメニューにある。店の人も熊本の馬肉は安心だと力説するものだから、まあ食べてみた。体の調子は悪くならなかった。

そういえば、ソウルで韓国人のCさんにつれられて、ユッケの店に出かけてかなり食べ、翌日体調を崩したことを思い出した。そのときは、一緒に出てきたスープがあまりに辛買ったのが原因と私は診断したのだが、ひょっとすると生肉を食べたこと自体がいけなかったのかもしれない。次は用心することにしよう。


2011年4月某日

京都にいると、しかも大学の教員というのんきな商売をしていると、震災の影響は実感としてなかなか感じられない。3月11日、地震が起きたとき、私は研究室にいてコンピューターに向かって書き物をしていた。すると突然体がふらついたのである。たが、前日のセミナーあとサエズリで少々のみすぎていたから、酒のせいでいよいよ頭がぼけたのかと思った。昔はそんなに酒に飲まれてしまうようなことは無かったのにと、ひとしきり反省したところが、地震であった。


2011年3月某日

震災後に、シンガポールに行った。シンガポールでも、日本を救えというような募金活動が盛んに行われている。ありがたいことである。

ただし、テレビでの呼びかけを見ると、日本がすでにぼろぼろになっているかのような印象をうける。ありがたいのはありがたいが、これはちょっとやりすぎではないか。明日日本に帰るなどというと、戦闘状態の戦場に赴く兵士のように、周囲から同情されるのである。気にされているのはよいが、これもちょっと困る。これでは風評被害が広まるわけだ。アジア各地で盛んに行われている救援募金活動も、意外な副作用があるのかもしれない。


2011年2月某日

上海に行った。このところ毎年一回のペースで出かけている。

上海に行くと、私は昼からビールを飲む。出張できているのに不謹慎だと思われるむきもあろうが、これには理由がある。それは上海の水がたいへん悪いからだ。健康に問題を及ぼすのかどうかはわからないが、ここの水はとにかくにおいが変なのである。

これは私の味覚がとりわけ鋭敏だというわけではないはずだ。実のところ、始めて上海に行ったときには、気づかなかったのである。初めて上海に行ったとき、初日に上海在住のSさんにつれていってもらったのが上海蟹の名店で、上海蟹には紹興酒があうというので、そのときはもっぱらその店のブランドの紹興酒を飲んだから、茶も飲んだのだが水の悪さなど全く気づかなかった。もっとも、このような名店で出す茶だから、どこかのよい水が使われていた可能性が高いのであるが。

初めてこの泥臭いような臭いを体験したのは、その翌日には川魚の蒸したやつがをたべた時だ。ところが、初めての経験ではそれが水の悪さだとは気づかなかった。揚子江から来た魚だから、川魚独特の臭みがあるのだろうというように思ったのである。これが上海の水の臭いなのだということに気づいたのは恥ずかしながら上海到着後3日後くらいのことである。

ひとたび悟りを開いてみると、ホテルで水の蛇口をひねればなるほどこの水は奇妙な臭いがする。わかりはじめると、今度は食べ物が食べにくい。特にお茶がだめだ。昼飯時にお茶を頼んでも、どうもうまくないと思ったら、これはどうやら水のせいである。風呂に入っても妙な臭いがつきまとう。歯を磨いても、さっぱりしない。実にどうして強烈な臭いなのだ。

まあ、みんながこの水を毎日使っていて、それでいて道ばたでばたばたと人が倒れているようなところではないから、この水を飲んでいても即座に体に変調を来すというようなものではなかろうが、健康を云々する以前のこととして、この臭いがするような液体を飲む気がおこらないのである。それゆえ、私はしかたなく、ビールを飲むのだ。

中国のビールはアルコール分が低めで軽い味であり、ビールの味としては物足りないのだが、食物のじゃまをしないために、食事中の水分補給と食欲増進という観点からすると、大変に優れている。なので半ば水代わりに青島ビールを頼む。ビールの味は一定だし、なにせあの泥臭い味がしないのがよい。ただし、水代わりだという意図で飲んでもアルコール分がなくなるわけではないから、昼ご飯時に大瓶一つのむと、それなりに気分も高揚する。これが午後の活動にプラスなのかマイナスなのか、にわかには判断できないのであるが、ともあれほかに選択肢はないのである。


2011年1月某日

こんな夢を見た。

飛行機に乗っている。機内のニュースで、火山が噴火している様子が映し出される。悪いことは重なるものだ、財政破綻したかの国にとっては、往復ビンタのようなものだと同情する。 ところが、そのうちに火山灰が原因とみられるエンジントラブルのために緊急着陸するというアナウンスがあり、機内はにわかに緊張する。安全には全く問題というが、気持ちのよいものではない。

全く関係ないと思っていた遠く離れた火山島の不幸が、巡り巡って自らの身にふりかかる。これが対岸の火事というものか、待て待てこれでは意味が違うなと考え始めたら目が覚めた。