2009年の独り言

by 梶井厚志

2009年12月某日

ダイヤモンド社の『経』で連載しているエッセイをまとめて本にする。 ずいぶんたまったので2冊にする方針で、ひとつ目に「日常語」や「新語」をテーマにしたものをまとめ、 2つ目に「昔話」「ことわざ」などをテーマにしたものを。 人気の「わらしべ長者」は。2冊目に入ることになる。

順調にいけば1冊目は2010年2月に発売、2冊目は…まだわからない。

この手の話をどのように考えるのかという質問を時々受けるので、その回答。 普段から、なんとなく使えそうだとか、あるいはこういうことを書いてやりたいというものがあると、 ノートに書きとめたり文書ファイルにしたりしておく。 締め切りが近づいてくると、それらの部品のなかから最も使えそうなものをひっぱり出してきて、構想を練りふくらませていく。 書けるところから書く。なんとなく手を動かしているうちに、形らしきものが出来てくる。このときに、かつてためておいたものも活用するし、 編集の人の意見も聞いて、ひとつの話にまとめる。 必ずしも冒頭から書き始めるわけではない…いくつかの独立したパーツを書いて、その間を連関させてゆくという感覚。 なので、書いているうちに、当初の構想とは異なる展開になることのほうが多い。


2009年11月某日

ハノイ大学に行った。ベトナムは初めてである。街角にソビエトの国旗がひるがえっているところがなんとも言えない光景。 南京でやった講義と同じものをやったが、こちらのほうでの食いつきは今一つというところ。

大学の人たちに連れて行ってもらったところでは、どこも海産物が主の店だった。 印象に残ったのは、貝の料理だ。 日本で言う、あげまき貝があって、これに味付けしていためたもの。蒸したと思われる貝の身のサラダ。ハマグリ、赤貝のようなもの。 どれもうまかった。

ベトナム料理は中華料理を基礎にはしているが、 独自のものである。伝統的な料理に加え、フランス風の手法を取り込んだものがある。大変面白い。


2009年10月某日

上海から南京に行った。南京大学で講義を一つするためである。南京は上海から特急で2時間半ほど。1,2年のうちに高速鉄道でつながって、1時間半ほどで上海と結ばれるとのこと。

南京は南の京であり、古くから栄えた。南京大学も、中国国内の有力大学の一つであって、学生のレベルは高いとのこと。一度の講義では判断がつきかねるところだが、学生たちには活気があり質問のレベルも高い。

南京には、北京ダックに対抗して、南京ダックというものがある。たれに漬け込んだとりを蒸したものだと思う。鳥の種類がいくつかあって、ブロイラーでないもの方がうまいはず。 ひとつ気に入ったものがあったので、尋ねてみたら水鳥であるとのこと。話を総合すると、雁ではないかと思われる。

ふぐも食べた。より正確には、食べた後にフグだと聞いた。 もとより養殖フグで、与える食物のためなのか、そのように養殖されたふぐには毒はないとのことである。 甘辛く煮つけてあるもので、日本の印象とは大分違う。 皮に栄養があるとのことで、ごわごわした皮を一気に飲むのがよいとのことだった。


2009年9月某日

辛いものは好きなつもりだが、身体のほうはあまり辛いものに適性がないらしく、調子に乗って食べると体調を悪くする。韓国に行くと、辛いものに気をつけなければならない。

今回のソウルでは、かなり気を使って辛い物を食べることを避けていた。見てくれが赤くて、いかにも辛そうなものは食べない。ところが、3日目の昼食、注文したビビンバと一緒に出てきた味噌汁のようなものが、見かけによらずずいぶん辛くて、 少しやられてしまった。その日の夜は辛くない冷麺を頼んだつもりが、トウガラシソースがかかったような麺が出てきてしまった。食べなければよいのだが、言葉が通じないからそのまま残すのも気が引ける。なので、3分の2ほど頑張って食べたら、 完全にアウトとなった。

翌日、現地の知り合いと夕食を共にしたが、まずは生の肝や内臓(のどこか)を食べさせる店に行った。韓国焼酎をやりながら、これらをつまむ。素材はもちろん辛くないのだが、いっしょに出てきたスープがまた味噌汁のような外見だったので、前日の経験からこれは避けた。 そのあと、たらの鍋物の店に行く。タラの身と白子がたっぷり入っている鍋で、うまそうなのだが、周りの人を見ると、真っ赤な物を食べている。注文すると、鍋にスープを入れて炊くのであるが、このスープが真っ赤なのである。 さすがに身の危険を感じ、同行者に前日の経験を話すと、それならば「ちり」にしてもらおうと言う。これだと辛くない透明なスープで炊くのである。回りの人たちは、怪訝そうな顔をして私たちをみているが、しかたがない。 食べてみると、予想通りなかなかよいものである。「たらちり」の語源はこんなところにあったのかとしたり顔をして同行者に告げると、「ちり」は日本語ではないかという意見であった。 なぜなら、韓国人は通常このような食べ方をしないからだそうである。


2009年8月某日

今年も札幌に行った。

ススキノあたりでふらふらと一人で飲み食いして歩くときには、なるべく小さな店を選ぶことにしている。一軒目では、突き出しに出てきたタコの煮物がたいそううまかったので、 閃いてイカの刺身を頼んだ。朝とれたものを刺身にして出すとのこと。初めはビールを飲んでいたが、留萌の酒があったのでこれを頼む。

閃いてという妙な表現を使ったのは、実は私はあまりイカの刺身が好きではないので、めったに注文しないからである。 正確には、イカの刺身は嫌いではないのであるが、学生のころ、山陰をひとり旅した時に、浜坂のユースホステルで出してくれたイカの味が忘れられないからだ。

そのユースホテルは旅館と兼業であった。旅館のほうでは何やら宴会のようなものをやっていて賑やかだったが、ユースホステルの泊り客は私ひとりだった。旅 館が忙しくていろいろ作れずに申し訳ないが、自分で勝手に食べていてほしい。おかわりは自由ですからと、おひつに入れたご飯とみそ汁がなべに一杯、それか ら大量にイカの刺身がでてきたのである。イカの刺身というと、何やら白っぽいものばかり食べつけていたのであるが、この時のイカは薄茶色で、たいそう香り がよかった。イカというのは、このような味がするものなのかと初めて悟った。この日はイカばかり大量に食った。記憶はおそらくはかなり美化されたもので あって、同じものを今食べても同じような感動は味わえなくなっているとは思うのだが。

さて、今回のイカは悪くなく、留萌の酒もイカと相性がよかった。記憶にあるイカはもっとうまかったような気もしたが、何せ20年以上も前のことだから信用はできない。

そのくらいにして店を出てからふらふらと歩く。おりしもススキノ祭りの最中で、路上にはビールや焼き鳥を売る露店が所狭しと並んでいる。露店の前に は、イスとテーブルが出してあって、そこで注文したものを食べるのである。食指が動いたが、グループでわいわいやっている客が多く、一人では何となく入り にくい。露店が並ぶ通りから、通り一つ南に外れたところで、祭りとは独立に、カキを焼いている屋台風の店があった。1つ100円というので3つたのみ、日 本酒とイカの塩辛をもらって焼けるのを待った。カキは、生よりも焼いたり蒸したりしたほうが私はうまいと思う。この時のカキは小ぶりで、味はいま一つで あったが、さわやかな札幌の夜風に当たりながら食べる気分は格別である。

3つ目にたどり着いた店は、入口から見たら小さくみえたのだが、はいってみたら奥のほうには座敷がいくつかあった。 自分はカウンターに座る。サンマが早くも出初めているというので、刺身にしてもらって、北海道の純米酒をたのむ。銘柄はわすれてしまった。何か面白いもの をとメニューを見たら、トウモロコシのかき揚げというのがあった。こいつはなかなかうまかった。今日は、ブドウエビがはいっているというので、食べたこと がないから頼んでみた。一杯目が残り少なくなっていたから、二杯目として北海道の純米吟醸酒というのを一杯。銘柄は再び失念したが、こいつはなかなかうま い酒だった。吟醸酒はあまりに軽やか過ぎて、何かを食べながら飲むには向かないと思うのであるが、こいつは刺身によくあった。ブドウエビはボタンエビと似 たような風貌で、味も似通っているように思えたが、どうなのだろうか。

今思えば、ここまででもずいぶん飲んでいる。にもかかわらず、この日はさらに飲み続け、ずいぶんと酔っぱらってしまった。飲み続けたのにはこんな理由がある。 2年前、たまたま見つけたバーで、マスターと刑事コロンボの話で大いに意気投合したことがあった。 ところが、昨年に来たとき、もう一度行こうとして探したのだが、どうしてもみつからなかった。この日、そのあともふらふらと徘徊していたら、偶然そのバーを再度発見したのである。 飲み屋や風俗店(?)の入った雑居ビルの2階か3階だったというくらいの記憶しかなく、あまつさえススキノにはその手の雑居ビルが山ほどあるから、これだけの情報で探すというのがそもそも無理な話なのだが、 この日はなにか神の手に導かれるかのごとくその店に到達したのであった。恰幅の良いそのマスターも私のことを覚えていた。こういうことがあるとなんだか嬉しくて、そのあとも飲み続けてしまったのであった。 翌日大いに反省した。

こうして思い出しながら書いていると、どう考えても飲みすぎだ。よい子の皆さんは、こんなことをしてはいけません。


2009年7月某日

月末から東京で学会のハシゴ6日間連続。今年は梅雨が長く、曇りが多いので京都の暑さは例年よりはしのぎやすいが、東京はより涼しく感じる。以前は 6日くらい平気であったが、いまは集中力がとても続かないので、休み休み6日間をこなす。これほどの長丁場になると、1日4時間くらいが、いまの自分の限 界である。限界を超えると何が起こるかというと、言葉が右から左に流れるだけとなり、その場にいるだけで 全く身につかないのである。なので、潔く休むということが必要。

問題は休む場所である。図書館にふらりと入れれば最高だが、なかなかそのような段取りをしてくれる学会はないのである。なので、大学近く にある、落ち着ける雰囲気の良い喫茶店などが、この場合は非常に貴重なものなのであるが、探してみてもなかなかないものである。本郷では、赤門から少し本 郷三丁目駅寄りに歩いたところにある古びた喫茶店にはいってみた。客は、もう一人が新聞を読んでいるだけで、初めはよかったのであるが、そのうちに3人連 れの客が来て、この人達が大きな声で会話をし始めたのでもういけなかった。喫茶店で会話をするのに、何ら悪いこともないのであるが。


2009年6月某日

京都大学で、日本経済学会があった。幸いにも、学会の世話役を引き受けることがなく、論文の討論を一つやるだけだった。休む時には自分の研究室まで 戻ってこれるのが、これはなかなかよい。ただし、夜には理事会があって、このときはなかなか脂っこい議題もあったので、まったく気楽というわけにはいかな かったか。昨年から、日本経済学会の常任理事というのを仰せつかっている。私だって、少しは公共のために汗を流すのである。


2009年5月某日

大学院生時代には、食べ物に金をあまりかけていなかったから、いまもう一度行って食べてみたいという場所がないのは、半ば仕方のないことであろう。 ハーバード・スクエア近辺のAu Bon Painのローストビーフサンド、Unoピザ、香港のランチなど、ずいぶんお世話になったが、今行こうとは思わない。central square近辺のインド料理は悪くなかったと思うが、それにしてももう一度食べたい味というような記憶は残っていない。

唯一の例外が、north endにあったGiacomosというパスタの専門店だ。 ここのぷりぷりとしたパスタは絶品だったという記憶が残っている。たしか、ムール貝やハマグリを具にしたパスタが12−3ドルで、税とチップを入れて15 ドルくらい払っていたと思う。一皿で量はかなり多くて、今の倍近く食べていた当時の私でもまあ1皿で満足できるという量だった。

おそらくは、それほどすぐれたものではなかったのだろう。実際、当時のアメリカにて、私の予算で食べられるようなパスタといえば、まず間違いなく2日間煮 こんだ安物のうどんのような触感であったから、その反動があったのではないかという危惧もある。でも、どんなものだったか、やはりもう一度いってみたい。

(追記)隣人のSの報告では、Giacomos はいまも盛況だそうだ。値段は私の記憶していたものより3ドルほど高くなっているとのことである。

2009年4月某日

ボストンのあるニューイングランド地方では、ロブスターが名物である。ロブスターはザリガニの親方のような海老で、大きなはさみが特徴だ。こいつをゆで て、とかしたバターなどを絡めて食べる。普通スーパーで売っているようなロブスターは体長30センチほどであろうか。ただ、大きく成長する奴もいる。

多くの日本人と同じく私は海老が好きで、大きな海老状のものを見ると食欲がわく。ゆでたてで赤く染まっているロブスターを、頭と胴体の部分に分解 し、背中をはがして中の身を食べるのは豪快な図でなかなかよい。 ボストンで生活し始めたころ(正確にはボストンの対岸にあたるケンブリッジだが)、Kendall squareにあったリーガルシーフードという店にいって、ここでロブスターとクラムチャウダーを食べてとても感激した記憶がある。今にして思えば、ゆで たロブスターに溶かしバターをかけるトいうのは、あまり芸のない食べ方であり、このようなもので満足すべきではなかった。実際、ロブスターをありがたがっ て食べたのはせいぜい最初の2年間くらいであって、そのうちに食べたいという気持ちが起こらなくなった。とどめを刺したのが、ボストンのunion oyster houseというところで食べたロブスターだ。こいつは実に巨大で立派であったが、身はゴムのような触感で味もなく、平たく言えばとてもまずかった。この ときはO氏にごちそうになったので、その場で発言するには憚られたが、あれはひどい食いものだったと今でも思う。

要するに、ロブスターという生き物は、素材そのものはあまり美味なものではないのないかと、最近は思う。それをゆでてバターをつけて食べるのではい かにも芸がなく、食欲がわかなくなってくるのも仕方がない。こいつは揚げてみるとか、クリームソースとあわせたり、何かのスパイスを利かせて食べるのがよ いのだろう。


2009年3月某日

土曜日のStar Market では、パスタとニューイングランド風クラムチャウダーの缶詰を仕入れていた。

クラムチャウダーとは、あさりのむき身を具にしたクリームシチューである。ほかにジャガイモも入る。 ボストンの名物で、スープを出す店なら大抵これがある。

私のやり方は、パスタをゆでて、温めたクラムチャウダーに入れる。スープ・スパゲティというのだろうか。 缶詰のクラムチャウダー は味が濃くて、かなり薄めないと飲めないが、味が濃いのはパスタと合わせるときには重宝だ。 こいつを2日に1回くらいのペースで、昼に食べていた。寮まで戻ってきて、さっさと調理して食べるのである。

今思うに、当時はパスタの種類に凝らなかったので、ずいぶんとまずいものだったのではないか。 Star marketの自社ブランドのパスタが、500グラムほどで50−60セントだった。 こいつが一番安かったからこれを使ったのだが、ゆでるとすぐ柔らかくなってうまくない。 ここでもいろいろと工夫したが、麺の味の向上はついに果たせなかった。これも、もっと高い物を買わねばならぬ。


2009年2月某日

大分前から、牛肉をあまり食べたいとおもわない。これはおそらくアメリカにいたころの反動であろう。 留学した当初は、日々の予算はごく限られていたので、安い牛肉ばかり食べていた。 当時は、毎週土曜日を買い物と洗濯の日としており、 夕方に寮から歩いて10分ほどのStar Marketというスーパーに出かけて行って、ステーキ肉を1キロ近く買ってくる。 こいつを3回くらいに分けて食べるのである。確か最も安いのは、1ポンドが1ドル99セントだったはずで、 1キロといっても日本円にして400円くらいの出費だったのである。

しかし安いだけにこいつは堅く、しかも香りが全くない。すき焼き風の味付けにしたり、中華風を試したり、 さまざまな工夫をしたが、うまくない。 ようするにまずい肉だ。こんなものばかり食べていたので、食指が動かなくなったのだろう。

そういえば、それからだいぶんたって、マンハッタンに住んでいた大学ゼミの同期生の家で、 牛肉をごちそうになった。それまでにアメリカの牛肉に対する悪い印象がだいぶん固まっていたので、 ほかのものにしないかといったら、ヤオハンの肉はうまいから食えという。食べたらなるほどうまい。肉は柔らかく、そして香りがある。 ヤオハンはマンハッタンの対岸、ニュージャージー側にある、日本のスーパーである。 ヤオハンで買い物をすると日本を感じたものである。 日本の食材も十分にそろっていたが、肉は基本的にアメリカ産のものを置いていたと思う。 その肉の値段は高くて、 私が昔スーパーで見たものとは次元の違う値段だった。 うまいものを食おうと思ったら、それなりに金を払わねばならぬと悟ったものである。

なので訂正。今は、うまいとわかっている牛肉は食べたいと思う。三嶋亭の肉はうまそうだ。 でもちょっと高すぎるよ。


2009年1月某日

こんな夢を見た。

下鴨神社の参道を歩いて、大鳥居を望む。手を清めようと右のほうを見たら、小川の周りに人だかりがしている。 どうしたのかと思って自分もそれに加わる。

誰かが流されたらしいよ、という声が聞こえる。流された人は、もう息がないそうだという声も聞こえる。 はてな、この流れの深さは高々30センチほどのはずだがと思ったが、 周りの人の顔はおびえたようで真剣だ。

そのうちに、向こうのほうから、またきたぞという声がかかる。それを合図に、みんな一斉に走り出したから、 参道にはさながら朝の池袋駅のように、うねるような人の流れができている。 仕方がないから自分も走るが、真剣さに欠けるのか、人の流れについていけず、立ち止まってしまう。 まわりを改めて見ると、早く走らないと逃げ遅れるよ、と声をかける人もいるし、 おぼれた人をだれかが助けなくていいのかといいながら、自分は全速力で走っている人もいる。 走っているうちに人だかりに押されて倒れてしまっている人たちもいる。 その倒れた人を撮影するテレビカメラが何台もある。

はて、そもそも小川はどうなっているのだろう、流されたというのはいったい何だったのだ。そんなことを考え始めたら目が覚めた。