2007年12月某日
上海に行ってきた。上海で魚といえば淡水魚である。淡水の魚は、ともすると香りに癖があるので、全体を揚げて たれをかけるか、あるいはスープと一緒に蒸しあげたものがおいしく、私は大好きだ。 しかし、この時期はやはりカニである。
大閘蟹、通称上海ガニを食べる季節は秋で、(旧暦の)9月はメス,10月はオスがうまいということである。 私がいた時期はオスの時期だったらしいが、もちろんメスが地上から姿を消すわけではなくて、 オスの方がうまいという説だ。結局、メスとオスと1匹ずつ、蒸したのをたべた。上海ガニとしてはまずまずの大きさのものを食べたのであるが、 このカニは大きく成長してもそれほど大きくならないようで、甲羅の大きさは手のひらよりも小さい。 値段を気にしなければ雄雌2匹ずつ位は軽くいけるであろう。
まずは甲羅を外し、甲羅の中の身と味噌を味わう。雌の場合は、その時に卵を味わえる。そのあと、丁寧に足を一つ一つ外して 足の身を味わう。小さなかになので足ももちろん細く、そして柔らかい。 こいつを丁寧にしごいて、中の身を出して味わうのである。 このカニの身には独特の甘さがある。 蒸したものに黒醋をつけて食べるというだけだから、洗練された料理というわけでないが、 この独特の甘さが素朴ながらも力強い風味で、気にいる人は病みつきになるだろう。
カニは体を冷やす食べ物ということで、ショウガなど体を温めるものと一緒にいただくというのが、 中国式医食同源。我々はショウガの代わりに紹興酒をかなりやった。 こいつの風味も、蟹によく合い絶妙であった。
上海では、上海ガニは生きたままわらで結ばれて売られている。 空港でも販売されているが、上海ガニは平成18年2月1日に特定外来生物に指定されたため、 現在生きた上海ガニを日本に持ち込むには許可が必要で、一般の人が土産として持ち込むことはできない と考えた方が良い。特定外来生物に指定された理由は、 自然に放たれてしまうと、我が国の生態系を脅かすということだ。 上海の人にこの事情を話したら、上海ガニが増えれば中国人がみんな食べるから 増えて困るなどあり得ないといっていたが、カニによって生態系が混乱しはじめると、 カニ以外のところにも影響が出るはずだ。
そもそも、こういうものは現地でありがたく食うからうまいのである。 日本のファミリーレストランで上海ガニ特集などやるようになっては、 本家上海でのカニの味もまちがいなく落ちるだろう。
2007年11月某日
いつまでも暖かいと思っていたら、急に冷えた。
木々が色づくためには、気温の変化が重要で、いつまでもじわじわ暖かいと、 色を変えずに散ってしまうとか。 京都の11月は紅葉シーズンということで毎年観光客であふれるが、 肝心の色づきの方は近年さっぱりで、 私が京都に移り住んで以来、紅葉には裏切られ続けてきたという 印象がある。しかし、今年はどうやらまずまずの色になったようだ。
御苑の乾御門近くの大イチョウは見事に黄葉した。
相国寺、彼岸花の咲いていたあたりも悪くない
重要な注:写真がパッとしないのは写真家の技術的問題
2007年10月某日
ソウルにいってきた。韓国は二回目である。 韓国語は相変わらず全くわからないが、 ハングルがほんのすこしだけ読めるようになったことが今回の収穫。
というのも、ハングルの読み方について少し悟りを開いたのである。 ハングルは一見妙な形をしているが、 3つのアルファベット文字が左右ひとつずつと下部にひとつ組み合わさって1文字を形成していると思えばわかりやすい。 ハングルを読むときには、構成要素になっているアルファベットを順番に読んでいけばよいわけだ。 ハングル「1文字」に拘泥していたためになかなか覚えられなかった。
たとえば、ハングル4文字からなる単語は、 それを構成するアルファベット12文字をイメージすると私にはとてもわかりやすいのである。 つまり、西洋言語だとアルファベットの文字は横一列に並べるわけだが、 ハングルの場合は3つずつを四角形になるように並べているというわけだ。
ハングルは、漢字を使っていて不便を感じていた韓国人が発明したものだが、 やはり漢字からの影響は大きく、アルファベットをそのまま一列に並べるまでの大変革はできなかったようだ。 なるべく見かけが漢字の如く見えるように、四角形に配列することを思いついたのであろう。 もちろん韓国語を話す人はそのように考えてはいないとは思うが、 何の素養もない外国人にとっては、一列に並べて考えると納得しやすいのではないだろうか。
このようなことは、ハングルを体系的にちゃんと習った人には常識なのだろうが、 私は自己流に音とはハングル文字ひとつひとつとの対応を考えていたので、なかなかそこまで思い至らなかった。
ところで、この悟りを開いたのも全く偶然で、 地下鉄に乗っていたら地元の女の子が目にもとまらぬ速さで携帯電話でメールを書いているのを目撃したからなのだ。 虫が触覚を細かく動かすかのように指を動かして、 携帯電話を操る青少年は、もちろん日本でもおなじみで、何度も見たことはある。 問題は彼女が作成している文字列で、そこには基本的にハングルが並んでいたわけだが、 ところどころハングル構成要素のアルファベットをそのまま一列に並べてかいてもいたからだ。 彼女にとっては、おしゃれな書き方なのだろうか。 これをみて、ほほうと合点したわけである。
合点するまで、私は彼女の携帯画面をずっと後ろから覗き込んでみつつ考察していたのである。 運が悪ければ変な中年男性として駅員に取り押さえられていたかもしれない。
2007年9月某日
今年はいつまでも暑い。今年も、といった方がよいだろうか。私が関西に移り住んで5年になるが、毎年暑い。京都の冬の寒さを言う人があるが、冬寒いと思ったことはない。夏はとにかく暑い。昼間は外に出る気も起らない。
こんなに暑くては、植物もいつ花を咲かせたらよいのかわからなくなるのだろう。事実、さまざまな植物が季節外れに花をひらかせていると報道されているのはご存じのとおり。
もう彼岸だというのに、とおもいつつ相国寺を歩いていたら、 彼岸花がいくつかきれいな赤い花を咲かせていた。なんとか時期をあわせて咲いてくれたようで、ほっとした。
2007年8月某日
学会でシンガポールに行った。8月にわざわざ常夏の国へいくとは、と思う読者もいるかもしれないが、 8月は京都よりはシンガポールの方がはるかに過ごしやすい。なぜなら、シンガポールは赤道直下なので、 太陽が真上にくるのは3月末と9月末の2回であり、8月は必ずしも太陽が一番高い季節ではない。 また、朝スコールがあることが多く、雨のあとは日中でも京都でのあの灼熱という感じはしない。 ついでにいえば、どこに行っても冷房がききすぎるほど入っているから、むしろ長袖が必要。 最後の点はかえって過ごしにくくしているように思うので、できれば改善してほしいところであるが。
日本ではあまり見かけないが、 私はStar fruitという果物が好きで、 シンガポールや香港台湾あたりに行くと このジュースを飲むのが楽しみである。Star fruitとはその名前の通り、断面が星形をした南国の果物で、 味はというと、さわやかな甘みと酸味がある。 へんてこりんな形なので、皮をむいて果肉をかじるにはあまり向かず、 皮ごと輪切りになったものがサラダに入っていたりする。 これだけだと甘味に乏しいので、通常は Star fruit単体ではなくて、ほかの果物ジュースをブレンドしたものを飲む。 いまのところの私の好みは梨ジュースとのブレンドだが、梨は南国果物ではないから、 どこから輸入されるのだろうかというつも疑問に思う。 スーパーに行くと、日本から輸入される梨とリンゴがあるから、ひょっとすると日本から来たものなのだろうか。
熱帯性の果物というと、ほかにGuava も私の好物である。これも甘味は強くないが、甘酸っぱいような独特の香りがあり、ジュースは 飲み始めると癖になる。 これも単体ではなくほかのものとブレンドして飲み食いするもののようである。 今回の滞在ではGuava入りの ミックスジュースとこれのはいったヨーグルトを買ってホテルの冷蔵庫にいれておき、毎朝食べた。
この度はドリアンはたべなかった。しかし、学会で一緒になったE氏はドリアン食べに出かけ、 20ドル(1500円くらい)のものを食べたら、果物の王様という名前に恥じない素晴らしいおいしさだったと力説していた。 かつて私が食べたときには、たしかに予想に反して濃厚に甘く、そこそこ面白い味だったが、 王様の称号を与えるまでの感動はなかった。 これは食べたドリアンが悪かったのか、それとも私にドリアンが合わないのか。 今度また試さねばなるまい。
2007年7月某日
故事成語の本を書いていた時には、これを大いに売って京都に豪邸を構え、さらに 大学をすぐにやめても困らないくらい稼ぐ予定であった。 実際には当初のもくろみは大きく外れ、私の計算によると 予定を実現するには少なくともあと1000冊は書かねばならず、 なかなか大学を辞めるわけにはいかなくなった。
本の方は、台湾語と中国語に翻訳されることになった。 似たようなものと思いきや、台湾語と中国語への翻訳権は独立のもので、 それぞれ異なる会社が買っていったのである。 「戦略思考の技術」は台湾語に翻訳されたが、中国語にはされなかった。 中国語に翻訳されたかもしれないが、著者には知らせはなかったというほうが より正確かも知れない。知的財産権の保護に関して、 中国はまだまだおおらかな態度をとっているからだ。 ともあれ、この本が中国の読者に読まれるのかと思うと、それはとても楽しみなことである。
台湾語翻訳権の付帯事項として、 田中角栄に関する記述は削除するというものがある。 日中国交正常化をはたした田中角栄は、 台湾にとっては日台関係を損なった極悪人で、 それを美化するような記述を含めては売れ行きにさし障るということらしい。 私は田中角栄を美化する気は毛頭ないが、客観的に見て戦後日本の政治は田中角栄なしには語れないし、 特に1950年代から60年代初めにかけて 田中角栄が我が国にもたらした貢献は高く評価されてよいと私は考えている。 なので、彼に関する記述や写真が削除されるのは少なからずさびしいのだが、 しかしそれで売上に邸宅の柱一本くらいの差が出るのであれば、 喜んで我慢してしまう。
中国語バージョンのほうでは、特段田中角栄についての注文はなかった。 ひょっとすると、田中角栄のおかげで中国本土で爆発的に売れたりして。なんせ人数が多いから、 こんどこそ家が建つか。
どうも昼間から夢を見るようになって困る。
追記:台湾語版で田中角栄削除というのは、私の記憶違いであった。実際には、その後他の出版社が翻訳権を希望し、 そちらのほうが金銭面での条件がよかったので、後者に決めたのであった。てっきり、両社とも 田中角栄削除を条件に入れていたものと思い込んでいたが、決定した方は かような条件を出してはいなかったようである。 金銭だけ気にしていたので、田中角栄にかんしてはすっかり忘れていた。もとより、当該個所がそのまま翻訳されることは、著者の本望である。
2007年6月某日
大阪学院大での学会の後、千里丘の信長という居酒屋に行った。なぜかというと、 この店は20年ほどまえから店内禁煙を実施しているとの内部情報を2年ほど前に得ていたので、 いつか行きたいと思っていた場所なのである。 ところが、千里丘という駅は、京都と大阪を結ぶJR路線上にあるものの、 京都からだとなかなか行きにくい位置にある。 しかも私は大阪に行くと天満あたりに出かけてしまい、 そこから京都に戻るためには阪急電車にのるため、阪急沿線にない千里丘にはなかなか足が向かなかったのであった。 大阪学院大は千里丘の隣のJR岸辺という駅が最寄駅の一つなので、 この機を逃してはと思い、当日は学会後の誘いはすべて振り切り、ひとりでこっそり出かける所存であった。
案の定、Oクンあたりから御誘いがかかったのだが、こういう事情があるからと一人ですたすた出かけようとすると、 それならばいっしょに行くというメンバーが10数名あつまった。 大人数で入れる店なのかどうか知らなかったので電話をかけると、 電話を受けた「信長のママ」はなんと私のことを知っていたのである。 もっとも内部情報というのは、私のこの「独り言」コーナーを読んで感想メールを送ってくれた その娘さんからだったので、ママが知っていてもおかしくはないといえばそうなのだが、 面識もない私がしかも突然電話をかけたにもかかわらずだったのでちょっと驚いた。 これは何が何でもということになって、一行は信長に向けて出陣したのであった。
駅からすぐそばだが、信長にたどり着くにはすくなかなず技術を要する。結局信長のママに 迎えに来てもらって店にたどり着いた。 店はなるほど禁煙で、ママとパパのお二人で切り盛りしているから ビールや焼酎はセルフサービスで飲んで自己申告とのこと。 はじめは料理を選んでいたが、そのうちやはりこれだけの人数だと一つ一つ注文は 効率が悪いので、大体お任せということでお願いした。
店内には何冊か本があって、その中に私の戦略的思考もちゃんと置いてあったので、久しぶりにサインをした。 いろいろと思うところがあって、このところ自らの著書に署名することを控えているので、 最近のサイン本は貴重品である。 心ある人は信長に行ってみてきてほしい。感激のあまり当日は相当に飲んだようで、ブートキャンプ隊員のUさんが 顔を真っ赤にしていたのはいつものこととしても、 私自身も自分の感覚ではかなり酔った状態で店を出たのだった。
残念ながら故事成語の方は店になかったので、これは次回手土産に持っていくことにする。
2007年5月某日
うどんの都、香川に行った。香川大学に行ったのはこれが2回目で、初めていったのは10年くらい前のことだと思う。
私は麺類が好きだから言われなくともうどんを食べたくなる。一方で、店を調べておいて断固そこで食べるというようなグルメではないから、 たまたま出会ったうどん屋で食べることになる。高松駅についたら、駅前で青鬼の像にお参りをして、うどんやにはいった。 ここは安かったが味の方は今一つだった。
研究会のあった日は、宴会を避け酒を控えて翌日の金毘羅詣りに備えようと思っていたが、 Sと競馬の話をしていたらついつい酒になり、結局地魚をさかなにしてかなり飲んでしまった。 腹が減ったので、その飲み屋でご飯をたべるよりはうどん屋に行くべしと、 何の予備知識もなく一つのうどん屋に入った。夜遅かったが混んでいたので、 まあ悪くない店なのだろうという判断である。 実際悪くなかった。
翌日は金毘羅詣り、本社だけではなく奥社まで1200段の階段を登った。 休み休み登ったから疲労感はなかったが、腹が減るのにはまいった。 転げるように下りてきて、参道の始点付近にあるうどんやで、 大盛り(二玉)のうどんをたべた。 腹が減っていたのであまり参考にはならないが、 ゆでたてのうどんに出来合いのしょうゆだれをまぶしただけのものが、 なかなかうまかった。
善通寺にもお参りをして、坂出で乗り換えて岡山に向かう。 坂出では乗り継ぎにしばらく時間があったので、 Sがいっていた坂出にあるグルメが集う製麺所に いってやろうと急に思い立ったが、さてどこにあるかわからない。 有名な店のはずである。 Sがこの話を研究会のときにしていたら お隣のI先生がしたり顔でああ、あの店ねとおっしゃっていたので。 そこで携帯電話でSを呼び出すと日曜夕方では営業をしていないとの返事。少しがっかりした。
結局うどんを食べたのは金毘羅様まで。そのあと岡山経由で京都に戻ったが、 するすると帰るのもつまらないので、 岡山駅周辺で何かつまんでから帰ろうと居酒屋に入った。 「魚屋がやっている居酒屋」という店であった。 私はこの種の広告からうまさを感じない。 これには偶然に入った後で気づいたのだ。 結局ちょろちょろと何皿も食べたが、タコの揚げたのと、くりガニというのがうまかった。
2007年4月某日
子供のころは嫌いであっても、そのうちに食べられるようになる食べ物は、誰にでもあるものだとおもう。 私の場合は、確か牡蠣やシイタケがだめであったが、今では好きである。これらは大人の味覚なのかもしれない。
レバーや内臓系の食べ物もだめだったが、今は大好きである。こちらの方も大人の味覚なのかもしれないが、 調理法の問題もおおきかったとおもわれる。私がこの種の食べ物を食べるようになったのは、 30歳になったころのころなのだが、きっかけになったのが フィラデルフィアの中華街にC先生と飲茶を食べに行ったときなのである。 彼はいかにも内臓という食べ物の皿をとり、むしゃむしゃと非常にうまそうに食うのである。
この人は、若くして尊敬すべき業績を数多くあげた大学者であるだけではなく、 駆け出しの私が授業をするのに非常に苦労していた時に、非常に的確な助言をしてくれた人でもあったので、 私は心服していた。 それで、この人の言うたいていのことならば信じるという気分になっていたので、 こういう内臓はうまいものだから食ってみろと言われた時に、 思いきって食べてみたのである。
すると、思いのほかいける。いや、うまいのである。 ついでにレバーも食べてみたら、これもなかなかうまい。 自分のイメージしていた臭みが全くなく、うまみが伝わるのだ。
これは、私が大人の味覚を身につけていたことにも理由の一端があろうが、 どうやらより重要なのは、レバーなど内臓系の部位は火を通しすぎるとまずくなる性質のもので、 短時間でてきぱきと味をつける技術が必要だという点のようである。 私が子供のころに食べさせられたレバーなどは、特に給食のものがそうだったが、 事故を恐れるあまり二重三重にも火を通した代物ばかりだったので、 うまみなどはけし飛んで臭みばかりが強調されていたものだったのだろう。
大人になってからその味に目覚めたものには、たこ焼きがある。そう、たこ焼きである。 私は、たこ焼きが好きではなかったのであるが、大阪にきて、天五商店街の「うまいや」で たべたときに目からうろこが落ちた。 自分がいままでに食べてきたのはいったい何だったのだろうとおもったほどである。 なぜ「うまいや」のたこ焼きがうまいのかは、先日のNHKの「ためしてガッテン」でその種明かしをしており、これをみていて 再び目からうろこが落ちた。(詳細はNHKのページを参照)
昨年、この「うまいや」が火事で焼けてしまった時には、私は悲嘆の涙にくれたものであるが、 先日行ってみたら復活していた。私は行列に並んでまで食事をしない主義であるが、 ここのたこ焼きだけは例外である。もっとも、限度というものはあるが。
ここのたこ焼きをつまんで、酒の奥田でエビのかき揚げをつまみにビールなど飲めば、私は十分幸せを味わえる。 私の味覚は、どうやら安上がりな構造をしているようだ。
2007年3月某日
ノロウイルス騒ぎでカキが悪者にされたためか、今年の冬はカキを見ることが少なかったようにおもう。 カキを生で食べるのはウイルス騒ぎがあろうとなかろうと注意すべきことであるように思うのだが。
私も生ガキを食べるが、さて生でたべるのが一番うまいかといえば、そうとは思わない。 やはり適度に火が入っていた方がうまいと思う。 殻付きまま焼いたものはうまいし、蒸したものもなかなかいける。生ガキ用のたれも、 このように調理したものにより合うようだ。 いずれの調理法にしても、火が通り過ぎて硬くなってしまっては論外であるが、 程よく全体に温まったものの方が、うまみをより感じさせるように思われる。
フライもいい。さっと揚げたやつの揚げたてを食べる。奥田でカキフライを食いたくなった。 韓国に行ったとき、韓国にはカキフライがないと聞かされて驚いた。 カキはよく食べるが、フライにしてアツアツのところをやるという習慣がないらしい。 悲しいことであるが、何かのビジネスチャンスかもしれない。
台北では、「台湾風オムレツ」と称する食べ物が人気である。これはカキを鉄板で軽く炒め、 片栗粉を溶かした少々甘めのつゆと合わせてあんかけ状にして、そこにとき卵をかけて固めるのである。 甘めのソースで食べるのが基本らしいが、辛いたれもあうと思う。
カキといえば、大学4年の春、ヨーロッパを旅行したとき、フランスのボルドーで生カキを食べた。 なぜこんなことを覚えているかというと、強烈な思い出と一緒になっているからである。
その日は宿代を節約するため、 スペインのマドリッドでたまたま同じ車両に乗り合わせた日本人男性2人といっしょに、合計3人で、 これまた場末もいいところのぼろぼろの安宿に一部屋とって泊まった。 3人ともひとり旅であった。 部屋にはベッドと呼んで良いのかわからないほど傷んだダブルベッドが一つとシングルが一つあり、 3人だったからダブルベッドの方に2人寝ることになった。 3人のうちの一人は、ギリシャで荷物をすべて盗まれたとかで、着替えもなく 着たきりすずめで旅をしていたため、体全体から異臭を発している。 というわけで、半ば必然的に私ともう一人がダブルベッドを使うことになったのである。
食事に行こうと誘うと、異臭の男は金がないから部屋でパンをかじっているという。この男、何事にも徹底しているアッパレな奴だった。 それで、ベッドをともにする2人だけで外に出ることになり、部屋をケチしたから、 食事は少しうまそうなものを食べようということになり、それで前菜に生ガキのつく ステーキ定食のようなものを食べたのであった。肝心の食事はうまくはなかったが、カキの方には それなりの感動があったように記憶している。
異臭の男は臭い臭いと思ったが、 私もほとんど着替えも持たずに一ヶ月半旅行したので、それ相応に臭ったようだ。 旅行中着続けたGパンとセーターは、帰国後すぐに母に捨てられてしまった。 飛行機で私の周辺に座った人たちは災難であったろうとおもう。
2007年2月某日
ぼたん鍋とは,猪の肉をつかった鍋料理のことを指す。猪肉自体をぼたんと呼ぶのではなく、 淡いピンクである猪の薄切り肉をきれいに並べると、ぼたんの花を連想させるところから 「ぼたん鍋」という名称がついたらしい。実際きれいに並べられると、このような形になる。
もともとは田舎料理であって、上品さよりは力強さを味わう料理である。牡丹のように並べるという技法も、 田舎の素朴な料理をなんとか粋に食べてやろうという食いしん坊たちの工夫からあみだされたに違いない。 煮る時にはみそ仕立て、とくに白みそを使うのが京都風らしい。もっとも煮られてしまうと形は崩れて
京都料理組合によれば、 イノシシ猟は11月15日から3月20日まで解禁されるそうであるから、 これ以外の時期に食べられるのは冷凍物ということであろうか。 食べてみると、こってりとしているなかに、独特の力のようなものがあり、体中に滋味が広がるようである。 だからぼたん鍋はまちがいなく冬の料理であり、こいつを京都の夏に食する気はおこるまい。
肝心のイノシシ肉の味について一言書いておくと、これは豚肉に似てはいるが、 煮られた時の味のまろやかさはイノシシ独特のものだ。 みその甘味も手伝っているのかもしれないが、噛んだ肉に上品な甘味を感じる。 一説によると、猪の肉は長時間煮ても固くならないから、鍋料理に非常に向いているという。 某所で食べたときにこれを実際に試してみたかったが、 一緒に食べに行った人々は、集中してさっさと食べる主義の人ばかりだったので、試すことはできなかった。 もっとも、すぐ食べてうまいものを、わざわざ煮えすぎにしてみるのも馬鹿げているが。
猪肉は鍋にあう。しかし、みそ鍋以外でもいろいろと味わってみたい、うまい肉である。
2007年1月某日
こんな夢を見た。
日差しの強いある日、私は神社の中を歩いている。 立ち並ぶ大木のためだろうか、太陽が照り付けているわりには涼しいから、 ゆらゆらと進む私はなんだかのんびりとした気分になった。
すると、はすの花が咲き誇る池があり、そこに亀を売っている人がいた。 大きな木のたらいを抱え込むようにして座っている売り子は、安くしておくからぜひ買ってくれという。 この亀は食用かと聞くと、食べてしまう人もあるだろうが、たいていの人は家で飼うという。 家で飼うのは考えるだけでも面倒だ。食べるにしてはあまりうまそうではない。食べるならばやはりスッポンだろうし、 しかもちゃんとした老舗の店で味わいたいものだ。
行き過ぎようとする私に売り子は、亀を池に放すと功徳になるし、商売繁盛のご利益もある。 亀が大きければ大きいほど、売り上げは大きく伸びるという。 それで私はすこし興味を持って、甲羅が私の手のひら程もある大きな亀を手に取ってみた。 亀は手足と首をうごかしてじたばたとしていたが、このくらいの元気があれば 売り上げに大きく寄与しそうである。
そこでためしに値段を聞いてみたが、思ったよりもずいぶんと高い。 小さいやつでもご利益はあるかというと、それはもちろんある、どんな亀でも放してやれば、 亀の歩みでもゆっくりとじわじわ売り上げが伸びるものだ。 それで私は小さくて一番安い亀を買い、池に放してやった。弱そうに見えたが、池に入るとするすると元気よく泳いで、 瞬く間にみえなくなってしまった。元気で大きく育てよと私は願をかけた。 何かいいことをしたという気分になった。
そのとき、高くて私が買わなかった亀が、誰かに買われて食われてしまったら、 いったい私は功徳をしたことになるのだろうかという疑問がわいた。これは金馬の噺にあったな、 などと考えていたら、眼が覚めた。