2001年の独り言

by 梶井厚志

2001年12月某日

Nさんのページを見ると

「先週、査読依頼のあった論文二本が到着。とりあえず目を通して週末にやっつけることにする。締切りは1月2日だけど、もちろん早めにやってしまいたい。」

とあったのでいたく感心.私のところには8本たまっているのだけど….週末1回くらいではとてもやっつけられそうにない.少し引き受けるのをことわらないといかんね.


2001年12月某日

USB接続のハードディスクをつけてみました.スピードはイマイチなのだけど,たて15センチ横10センチほどの平たい形状に30ギガあるのが魅力.とりあえずいろいろとバックアップ.

このコンピュータは3年ほど前に買ったもの.ハードディスクは12ギガ.当時はなんと巨大な,と思ったものだが,残りが2ギガほどになっているのでびっくり.調べてみるとデータとかグラフとかをネットで取ってきてそのまま整理もせずに保存してあるところに0.5ギガ.デジカメでとった写真が1ギガ.そして,最大のものは音楽ファイル.聞きたいCDはハードディスクにコピーしてしまうので,そいつが3ギガ以上もあった.

これを書きながら聞いているのは Kate Bush "Hounds of Love"です.

さて98を2000にアップグレードすべきかどうか.それが問題.


2001年12月某日

祝 医学地区たばこ自動販売機撤去決定

# そんなものまだあったの


2001年11月某日

11月も半ばを過ぎると,香港の気温も下がってくる.それでも日中の最高気温は20度を超えるのがほとんど毎日である.ところが,待ち行く人々はすっかり冬の装いを始める.セーターは当然として,コートにブーツ,そしてお約束のようにマフラーをしている人がとても多い.先週末は10月に逆戻りしたかのような陽気で,日中は30度近くになった.そのためさすがにコートは身を潜めたが,半そでTシャツになぜかマフラーというのがおしゃれな女子高生のいでたちである.

香港の人が寒がりだということだけでは,とても説明はつかない.これは日本の影響であろうと思われる.香港の人々,特に若い人々は,かなりおしゃれに気をくばっているのだが,おしゃれの発信源は間違いなく日本である.街角で日本から直輸入された雑誌を見つけるのは難しいことではなく,日本のファッション雑誌の最新号を食い入るように読んでいる(見ている?)女の子も頻繁に見かける.彼女らは現在東京でされているような服装に合わせて着る物を選んでいるに違いない.


2001年11月某日

「週に1回、平日の午後に興味のあるテーマを選び、校外で研究できる−−。都立学校の教員に認められてきたそんなユニークな制度が、来年度から廃止されることになった。(アサヒ・コム,2001年11月14日)」

まさかそのうちに大学教員の校外研究もなくなるのではないだろうな.


2001年11月某日

香港の活気には圧倒される.その圧倒される雰囲気の一部は,香港人の話す声の大きさで作り出されていることは間違いない.

香港科学技術大学に来て,まず感じたのは学生の声が大きいことである.はじめは気のせいかと思ったのだが,海外から来てここに滞在している人は,ほぼ口をそろえて香港の人は大声だという.まあ,元気に聞こえるのは結構だ.ちょっとうるさすぎるなと感じることもあったのだが,3週間こちらにいたらかなり慣れた.

それにしてもなぜ香港人は声が大きいのか.もちろん,本当に声が大きいのか正確に測定する必要があるのだが,まあここはわれわれ外国人の感覚を信用するとしよう.小さなところに人が密集しているから,自分を際立たせるために大声になるという説明も一理あるし,香港人の一般的性格として,朗らかで自己主張が強いからそうなるのだという説明も,あながち間違いではないとは思う.

しかし,私が最も気に入ったのは,Harvardで1年先輩だったL氏の説である.L氏によれば,広東語には中国語以上に微妙な発音が多く,中国標準語を話す人でも,広東語の発音を正しく聞き分け,話し分けるまでには相当の鍛錬が必要だとのこと.その微妙なところを相手に伝えるためには,自然に声が大きくならざるをえないというのだ.

私が気に入った理由は,L氏の説はいろいろな言葉に応用が利くのではないかと思ったからである.広東人が声が大きいのはそのとおりとして,一般に私の知り合いの中国人は,英語で話すときに相対的に声が大きい.これは中国標準語にしても4つの音のトーンを使い分ける必要があるからだと説明できる.逆に,日本語のように子音は少なく,音のトーンの使い分けもないような言語だと,一音一音をはっきり際立たせて発音することの重要性は少ない.むしろ,文章全体の構成で相手に情報を伝えることに苦心するわけで,話しては大声を出す必要はないし,聞き手は自然と相手の話をよく聞く(ようにみえる)ようになる.

確かに,日本人はなぜ小声で英語を話す人が多いのかと聞かれたことが一度ならずとある.もっとも,これは英語に自信がないからかもしれないが.

 


2001年11月某日

ロンドン経済大学(London School of Economics)のカフェテリアにはなかなかしゃれた自動コーヒー・メーカーがある.コーヒー豆が機械の上のほうにあって,ボタンを押すと適宜それが挽かれてドリップされるというものだ.コーヒーの淹れ方もレギュラー,カプチーノ等の何種類かから選べる.

その機械をよく見ると,ボタンのひとつに「インスタント」と書いてある.たずねてみると,インスタントコーヒーだとのこと.せっかく豆を挽いて入れてくれる優れものの機械なのに,わざわざインスタントコーヒーをいれる機能を追加する意味がよくわからない.しかし,イギリス人の中にはコーヒーといえばインスタントコーヒーの味に慣れ親しんでいて,「正式に」豆からドリップしたコーヒーに違和感を感じる人が結構いるのだそうだ.この国の人の味の感覚は,何度訪れてもやはりよくわからない.

さて,ロンドンのあと,筑波に数日戻って香港に来たのだが,こちらに来て一番ありがたいのは食事がとても口に合うことである.数ある香港の食堂は,見てくれは悪くても出てくる料理の味は結構いけるものが多く,しかも安い.ロンドンのときとは違い,とても自炊をする気も起こらない.そういう食堂を支えはぐくむのは,香港の人々の優れた味の感覚,食の文化の水準の高さに違いない.

香港人は麺が大好きで,安い食堂の半分は麺類の店だといってもよいのではないか.麺にもいろいろ種類があるが,代表的なのは麺(字が少し違うが,黄色っぽくて細い麺),河(白くて平べったい麺),と米(米でできたはるさめの親戚のような細めん)である.具を選んで,面の種類を言えば(正確には,指差せば),鮮やかな手つきで麺をゆで,たちどころに持ってきてくれる.具の中では,香港ではえびワンタンを名物にする店が多く,大変美味である.油菜をゆでたのにオイスターソースをかけたものを麺といっしょに摂る人が多い.こちらも,私の好物である.相場としては,麺が15から20ドル,油菜が10ドルから15ドルくらいであろうか(1香港ドル=15.5円).

そのような麺の店に,なぜかインスタントラーメンがある.誇らしげに「出前一丁」と注釈しているところまであるから,日本ブランドが上物と考えられているのであろう.注文すると,袋から出して丼に入れてあるインスタント麺の上に具をのせ,手早く熱いお湯を注いで,はいどうぞと持ってくる.しかし,手早く「正式に」麺をゆでてくれる店で,何ゆえわざわざインスタント麺を注文する必要があるのかは理解に苦しむところだ.地元出身の人に聞いてみると,香港人は手の込んだ料理を家で自分で作ることは特別なときだけで,手軽に済ますときにはインスタント・ラーメンを食べるのが一般的である.それが子供の頃から身に染み付いているため,麺専門の食堂に行っても,つい慣れ親しんだインスタントラーメンを食べたいと思う人が結構いるのだそうだ.

食文化というのは,そのようなものなのであろうか.


2001年10月某日

ベニスとロンドンの旅から帰ってきました.この週末からは香港科技大です.


2001年9月某日


ベニス大学にはトイレが少ない.イタリアの公共機関にトイレが少ないのはほぼ共通の性質のようにも思えるが,この大学には特に少ない.正門を入った管理人の部屋の反対側にあるビルの1階に,男女1ずつ(1箇所ずつではない.まさに1人ずつしか使えない.)あり,あとは教室があるあたりにもっとあるらしいのだが,外部の人間がやってきたとき,トイレのありかを探すのに困るのは必定である.

ところが,トイレはもっとあるのである.それらへの入り口は,ごく普通の部屋への入り口のようになっていて,万国共通の例の便所の印はおろか,ドアには何一つ目印らしき物はついていない.もちろん,大学構内の案内図にもそこにトイレがあるとは載ってはいない.入り口には通常は鍵ががかかっていて入れない.この鍵を数人の人が持っていて,彼らだけが使えるようになっているという寸法である.つまり,言ってみれば内部の人のみが使える専用のトイレが10人にひとつくらいあって,自分の専用トイレの鍵を各人がひとつ持っているという具合になっているのである.

しかし,学生にはそのような専用トイレは与えられてはいないし,2週間ほどしかいない私にも専用トイレは与えられなかった.これは私を招待してくれたG氏の責任でもあるのだが.

さて,ある朝いつもより少し早めに自分のオフィスに行った私は,用を足そうと例の数少ない公共トイレに向かった.ところが,自分の部屋を出て,防火用の遮蔽扉を押し次の建物に入ったところ,なんとトイレがあってドアが開いているではないか.なんと,普段私がいるところから5メートルのところにトイレがあったのである.これならばわざわざ建物の中をぐるぐるまわって守衛所のほうまで行く必要はない。これ幸いと中に入り,用を足すことにした。

外の扉の内側にはかなりゆったりとした洗面のスペースがあり,大きな鏡と,官舎の洗面台の5倍くらいの大きな洗面台がある.その中に男女1つずつの個室がある.個室の中も非常にゆったりとしたつくりで,掃除も行き届いていて実に快適である.やはり,トイレはこうでなくてはいけない.イタリアではこういうところから知的生産活動への草の根の支援が行われているのである.これもルネサンスの伝統の一端なのであろうか.筑波大のトイレと比較すれば,わが国が大学設備に関していかに後進国であるかがわかる.

このように感心していると,外でかちゃりと音がした.外側の入り口のドアに鍵がかけられてしまったらしい.どうも,外のドアが開いていたのは,朝の掃除のあと掃除婦が洗剤のにおいを換気するために開け放っておいたためらしい.ところが個室から出て,洗面をつかって外に出ようとすると,なんとこのドアは中からは開けられない構造になっているではないか.外から鍵をかけられると,内部からは脱出する手立てがないのだ.しかも朝早いせいもあり,付近に人の気配はまったくなく,ちょうど防火扉の反対側にあるため,オフィスのほうへはまったく音が届かない.さらにこの部屋の鍵を持っていて,使用しにきてたまたま私を発見してくれる可能性のある人は数人しかいないのだ.

この事態になって,私は知的活動への支援の質を議論する余裕を失い,如何にしてここを脱出するかに全知全能を傾けたのだが,どう考えても部屋のドアを中からノックして,何とか私の存在を外部の人に知らしめるくらいの知恵しか浮かばなかった.その後20分近くにわたってこつこつと辛抱強くドアをノックしつづけた私を,ついに発見して掃除婦を呼びにいってくれた学生さんが,私には天使に見えた.

追記(2001年11月某日) 

探究心に富む読者からの質問: 

そもそも、専用にするくらいなら、男女別でもよさそうなのに、一つずつあるのもヘンな話ですね。 男性用便座と女性用便座の場所を、同じ部屋にしなくてもいいのでは。どうせ鍵つきなんだから、と思うのですが.もしやその個室は一人用なんですか?(男でも女でもいいように両方?)男性一人、女性一人で共用しているのかと思ったんですけど…。

回答:洗面台のある場所が約2畳の大きさで,廊下からドアを開けるとそこになるわけです.さらにその先に2つドアがあって,そのうちのひとつが男性用の部屋でもうひとつが女性用の部屋です.確かに,男性が入ったとき女性用の部屋を使うことは可能です.で,その洗面場所+2部屋を数人で共有しているわけです.

ちなみにいま滞在中の香港科技大にはトイレがたくさんあり,またそとから鍵がかかるようなことはありません.


2001年7月某日

土浦駅を出てしばらく歩いたところ,キララ商店街を少し歩いて左に折れたところ,ちょうど商店街を形作っている建物の列の裏側にあたるところに,昔の蔵を改造したような一軒の家がひょこりとたっている.家の軒先には大きな赤いちょうちんがあって,「やきとり」と書いてあるが,店の名前はどこを見回してもわからない.店に入ると,中はカウンターだけ.外から見た以上に,古びた店の中だ.痩せたごましお頭の親父さんが,炭火と格闘して焼き鳥を焼いている.

「飲み物は」と聞かれたから,生ビールといったら,ビンのビールしか置いていないというので,ひとつ頼むと,親父さんよりはずいぶん若そうな,ほっそりとしたおかみさんが大瓶のビールとキャベツの漬物を出してくれる.暑い中を歩き回ってきたあとなので,塩気の利いたキャベツとビールがこたえられないうまさだ.


このあたりで店を見回してみると,壁にはいくつかの古そうな写真が貼ってあるだけで,品書きがない.「たれにしますか,塩にしますか」と親父さん.塩と頼むと,早速焼き始める.他にも聴くことがあるのではないか.値段がわからないのはちょっと不安だが,客もそこそこ入っているから,そんなに無茶なことは言わないだろう,などと考えていると,かしらとはつが出てくる.腹が減っていたせいもあるのだろうが,これが大変うまい.焼き加減が程よく肉がとてもやわらかい.店内にはクーラーは入っていないのだが,冷えたビールをやりながら親父の汗を見ていると,それほど暑さは感じない.いや、ビールはそれほど冷えていないのかもしれないが,このような雰囲気では冷えていると感じるというのが本当のところかもしれない.天井の高い店のつくりと,全体にくすんだ,古びた雰囲気ががまた格好の調味料になっている.やきとりはこうでなくてはいけない.

親父は客とよくしゃべる.左の方の50がらみの客は,水戸まで高校野球の予選の決勝を見に行ってきたという.高校野球の茨城県勢の活躍からスタートして,そのあとはこのあたりの人たちにはお決まりのジャイアンツ談義だ.そのあと話がイチローまで進んだあたりでは,私のまえには大瓶が2本あいていた.焼き鳥も10本たいらげていたので勘定を頼むと2400円だった.


2001年7月某日

日経新聞主催「ストック・リーグ」に参戦します.スケジュールは    

10月1日(月) 「バーチャル株式体験学習」スタート
     (11月30日(金)終了、2ヶ月間)
   11月1日(木) 「自主テーマによるポートフォリオ学習」スタート
     (11月30日(金)終了、1ヶ月間)
   11月30日(金)「バーチャル株式体験学習」
「自主テーマによるポートフォリ オ学習」終了
   12月3日(月) 3ヶ月間の「ポートフォリオ運用」スタート
        注.2002年2月1日まで(2ヶ月間)は売買は不可

2002年1月15日(火) レポート提出締切
   2月1日(金) 2ヶ月間の「ポートフォリオ運用」終了
     中旬   本審査委員会開催→入賞チーム決定
   3月9日(土)  表彰式・記念セミナー開催(予定)
     下旬   優勝チームの海外研修旅行(予定)


2001年6月某日

暑い!

教室に冷房の入らない本学では,梅雨の中休みにあたる今週がちょうど試験期間です.その中で試験に取り組む学生には拍手を送りたい.その代わりといってはなんですが,私の研究室も7月の中ごろまでは冷房が入りません.付近にさえぎる物のない11階の部屋はとても暑い.しかし,最上階の12階の人々はもっと暑いはず,といっても慰めにはなりません.せめてコンピュータのスイッチを切って熱源を減らす努力をしてます.よって,この独り言も冷房が入るまで休業.


2001年6月某日

中央公論から新書を出します.まだ一文字も書いてないけど.夏休みに一気に書きます - 将来の自分のためにコミットメントをしてあげよう.


2001年6月某日

日の出とともにおきる私にとって,この時期は世間一般の人との時差が拡大してつらい時期である.夏時間の早期実現を強く望むしだいである.

教壇での余計な動きの多い私にとって,この時期は暑さと戦いつつ講義をするつらい時期である.自分で発熱しているため,なおさら暑いのだ.熱力学の法則を実感する毎日である.


2001年6月某日

実習の授業担当が終わり,今学期の担当講義も残り少なくなってきた.7月から11月終わりまでは授業担当もなく夏眠.

実習では,少し新しい経済実験を採用してみた.実は,本番前に一度もテストをしておらず,やってみるまで機能するかどうか自信がなかったが,幸いにも学生はまずまず楽しんでくれたようだ.資産取引プログラムも止ることなく最後まで動作して,めでたしめでたし.


2001年5月某日

日本のレベル:

財団法人愛知県肺癌(がん)対策協会による喫煙実態調査結果では、喫煙室を設けていると回答した企業の割合は51.4%と、前回調査(1992年)から10ポイント以上減った。(大手企業1761社に調査票を送り、666社から有効回答)[時事通信社 2001年 5月29日のニュースより ]

筑波のレベル:

建物内では原則禁煙 - しかし,ときおり私の研究室までタバコのにおいがただよってくる.


2001年5月某日

美しい日本語: 

もしものときはあってはならない.もしものときはなくてはならない. 

(某葬儀屋の広告より)


2001年5月某日

ソフトボールをやってきました.混ぜてくれたツクナビの皆様どうもありがとう.

さて,今朝あったのは5月末にある筑波大学のスポーツデーに出場するための予選で,試合開始は朝6時 (夕方じゃないよ).この時間にソフトボールをやろうと言うのが,いかにも筑波らしい.他の大学ではなかなかないでしょう.

さて,5月の平均起床時間が朝5時の私にとっては,朝6時試合開始はまったく望むところ.しかし,10時10分-11時25分の第2時限の授業でさえ,朝早すぎておきられなかったと平気で言い訳をする筑波大生たちのことです.6時では学生は誰も来ないだろう,先に9人そろった方が判定がちだな,と考えつつ,6時5分前に第1サッカー場に行くと,なんと目を疑うほどに学生がいっぱいいるではないですか!もっとも,何人かの学生は,まだ寝る前ということらしかったが.結局,40分間時間制限付のソフトボールをやりました.

#結果は惨敗.


2001年5月某日

昨年発売された,M井さんと一緒に原作をやった「マンガで経済入門」が入っている「経済学超入門」が,書店で平積みされていた.喜んでよいのだろうか.

ところで,作者として出版社から1部もらっているはずなのだが,このところ見当たらない.だれかに貸したような気もするのだが,まったく思い出せない.一冊もないと困るので,思い当たる人,返してね.

この例は,まだ1部あった事を覚えているのだが,あったこと自体を忘れてしまって行方の知れなくなっている本がもっとあるかもしれない.私としては、持っていった人が思い出してくれることを祈るよりない.

しかし,そのような受身の姿勢ではらちがあかない.そこで,人によっては,本に自分の名前を書き込んだり,印鑑を押したりして,持っていってしまった人に訴えかけるという積極的な戦略をとっているようだ.私の部屋にあるVarian 著の Microeconomic Analysis の表紙の裏には赤い文字で Cass (注)と書かれている.

(注) まちがいなく David Cass 氏の事.私の働く分野では非常に有名な人である.


2001年4月某日

東京大学の大学院の一部で,入試の英語の試験をTOEFLで行うことにしたらしい.喜ばしいことだ.旧社会工学研究科でもこれが話題になったが,文部省がとても許すまいということで,まじめに検討もしなかった経緯があるので,私は賞賛の言葉を惜しまない.そもそもすべての業務を大学内部で行う必要はなく,どんどん外注すべきである.私も英語の入試にかかわったことがあるが,英語の試験ということに関してはまったくの素人であるから,異常なまでの体力と気力を費やして事に臨んだものである.本学でもすぐさま導入すべきであろう.


2001年4月某日

ドラマ「東京ラブストーリー」で三上くんが「もうおまえだけだからさ」といいつつ、サトミチャンのまえで手帳を焼くシーンがあり、それを日本経済新聞連載のやさしい経済学のなかでつかったのですが、わかった人はいたでしょうか.手帳を焼くことで,もう「おまえ以外の女とは連絡をとらない」と言う主張を裏付けようとしているわけです.しかし,このねたは,私の年代以上ならばいいけど、現在の大学生には少し時代遅れのようです。昨日オフィスアワーにやってきた学生に,手帳を焼くことは連絡先を消去するという意味があるのですか,と確認する質問をされました.

というのも、彼(女)らのお友達の電話番号は、当然携帯電話のメモリーに入っているわけで、そもそも「手帳を焼く」ことが「連絡先を消去する」ことにつながることが、彼らにはぴんと来ないらしい.それはきづいていたのですがね.しかし,もうおまえだけだからさ」とメモリークリアのボタンを押すと言うのは,あまり詩的ではない情景なのでやめました.

☆この手を実戦で使った人がいれば,ご一報ください.☆

ところで,いったんメモリー消去のボタンを押しても,そのあと消された情報を再生することは可能らしいです.

追記: 読者からの報告。

「私のカレは,最近携帯電話を変えたそうで,私には新しい電話番号をおしえてくれました。真意はともかく,たしかに効きました。」

なーるほど。メモリー消去じゃなくて電話番号を変える方がエレガントですね.これ,次に書くときに使います.


2001年4月某日

日本経済新聞「やさしい経済学」連載開始.10日より全6回.連載って,難しいね.1回1回のつながりを考えると,けっこう大変です.連載の元原稿はこちら.第1回は編集者にだいぶん変えられてしまってびっくりしたが,良く考えると元原稿の第1回はちょっとインパクトが弱いみたい.連載だから第1回で人をひきつけなきゃね.納得.

 


2001年4月某日

読者からの質問:

「先生は浜崎あゆみがお好きなのでしょうか.....(私は好きですけど。アルバム3枚もってます)」

「先生はモーニング娘。の誰のファンなのでしょうか。ちょっと意外でした」

先生からの回答:

「独り言」よく読んでみてください。私が「浜崎あゆみ」や「モーニング娘。」のファンだとはどこにも書いてありません。とーんでもない。いま聴いているのはウタダヒカルですよ。


2001年4月某日

少し悟りを開いて原稿を仕上げました.レポートもこなしひと安心.

木曜から立命館への出張。京都で桜もみれるかな - びわこキャンパスだけど。


2001年3月某日

あー,調子悪い。ぜんぜん進まないぞ。しかもコンピュータも突然止るし。Tubular Bells をきいていたせいだろうか。

気分転換に久しぶりにN○さんのページに行く。蛙を刻んだりする研究をしているらしいこの人は、相変わらずよく書いている。2月17日の日記によると、私がフットサルの試合中に彼の足をけったらしい。私は基本的に他のプレーヤーと接触するのが嫌いなので,そんなことはないと思うのだけれど,どうも証拠のビデオもあるらしい.

さてその日記によれば、彼の業界では(以下引用)

某所で、ちょっと前に日本の大学における助手という職名の英訳について議論沸騰(というのかな、アレは)。私のいる業界では、留学するときなどの肩書きに、助手はassistant professorと訳すのはわりと見聞きする話だ。しかし、例えばアメリカでassistant professorといえば、日本で言えば助教授以上、自分で研究室を主催しているような人のことを指すので、ちょっとそれは詐称になるんじゃないかというハナシ。

らしい。私の業界の場合,たしかに助手をassistant professorと訳すのはやりすぎかも。ただ,アメリカのassistant professorは、日本で言えば助教授以上になるかどうかもはっきりしない。システムが違うので比較がむずかしいが,通常assistant professorは終身雇用ではなく(6,8年の期限付き雇用)て,期限内に昇進しなければその大学を去らなければならないことになっている。その意味では,日本の助手にあたる身分なのかもしれないね.私はあまり深く考えずに助教授と訳しているけど.

追記: 

N○さんはさっそく上を読んだらしく,彼の研究は(以下引用)

「哺乳動物において、運動をつかさどる脊髄のなかの神経回路がどう発達していくのかを研究しています」という感じだろうか。

と,説明が加えてあった.カエルではなくてネズミだったみたいですね.切り刻んでいるのは.


2001年3月某日

オーストラリアから帰って来ました.

仕事がたまってます.一時期,ちょっとハイな気分でいろいろ引き受けすぎたのがたたってます。日経の経済教室の締め切りももうすぐです。初めてレフェリーレポートの催促を受けてしまいました。あー,屈辱 - これではM井さんと同じだ。と言いながら,7月からEconometricaのAssociate editorをすることを引き受けました。とても名誉に感じてます。しかも,これからしばらくはこれをたてに他の雑誌のレフェリーをするのを断れるのではないだろうか?

 


2001年3月某日  オーストラリアにて

オーストラリアでは,1人でタクシーに乗るとき,前の座席に座るのが普通のようだ。つまり,運転手の隣に座るわけだ.だから,タクシーに乗るときの注意書きが、運転手の座席の後ろではなく,フロントガラスに張ってある.読んでみると、乗客の義務と権利が書いてある.乗客の義務とは,たとえば金を払うとか,こまかいお金がないときには運転手に前もって伝える,また泥酔している客は運転手に拒否する権利がある,などなど。権利とは,目的地へのルートを選ぶ権利,ラジオの番組を選ぶ,冷暖房の温度を設定するなど.シドニーの場合、運転手は制服を着用する,身分証明書を車の中のよく見える場所に置く義務がある,などとも書いてある。

さて、シドニー大学での発表を終えた翌日、キャンベラに戻る前にシドニーの植物園を見物することにして,ホテルをチェックアウトして荷物を預けてからタクシーに乗った。乗ったときには気づかなかったが,運転手の身分証明がない.よく見ると制服も着ていない。気のせいか,メーターの金額の上がるのも早いようだ.あれ,おかしいなと思ったところ,運転手はなにやらぶつぶつ言っては自分の座席脇のドアをひじでたたき始めた。この事態に危険を感じた私は,できるだけ早く車をとめて降りるべきだと考えた.

しかし、妙なことを言って,運転手がかえって逆上してしまっては元も子もない.どのようにして切り出そうかと迷っていると,運転手が突然「申し訳ないが大事なものを忘れて,取りに帰らなければならない。ここで降りてもらっていいか。植物園はそこを曲がってすぐだから,などと言い出したので、渡りに船と車を降りた.8ドルだったから,思ったほど高くない(1オーストラリアドル=61円).

いったい何を忘れたのだろう,身分証明書のことであろうか。制服を着るのをわすれたのを今ごろ気づいたのならば相当間抜けなやつだ、と思いつつ植物園のほうへ歩き出したとたんはたりと気づいた。パスポートを部屋の金庫に入れっぱなしにしていた。

慌ててホテルに電話をかけ,客室係に話をすると,それならば心配ない,5時頃に荷物をとりにくるならば,そのときに一緒に持っていけるように届けるからと、言われた。タクシーでの窮地を脱したばかりであったから,ホテルにすぐ取って返す気にもならず,それならばと植物園を見物した.客室係には10ドルほどチップをあげよう,戻るタクシー代を得したのだし,などと考えつつ歩いていると,かの有名なオペラハウス(土曜日には結婚式の記念写真をとるため日本人がドレスを着て行列を作るといわれたが,まだ確かめていない)が見える。この植物園は,オペラハウスの裏から小さな入り江を取り込むような形で広がっていて、植物園というよりは、よく整備された公園と呼ばれるべきものであろう.散歩をするには絶好の場所である。実際、温室のようなところをぞいては入場無料である.

ふと見ると,こうもり(flying fox)がいるという看板があった。こんな都会にこうもりがいるのかとおもって探してみると、確かに木の上のほうにひとつ、葉っぱの影でよく見えないが、丸まって足から逆さにぶら下がっているこうもりがいた。日中だから昼寝の時間であろう。ぴくりとも動かない。

すると、通り過ぎる人が、ああ,こうもりならば高い木ならばそこらじゅうにいる、など言っているので、改めてあたりの木を見回してみると、大きな木の実だと思っていたものがすべてこうもりであった。10や20ではきかない数のこうもりが鈴なりになっている。ちょっと発見をしたつもりだったのに興ざめであった.

植物園を出てビールを1杯飲み,さて帰ろうとホテルに戻ってきたら,パスポートが見つかったなどという話は聞いていないとフロントが言う.そんな馬鹿な,私が話をした客室係のスーザンを呼んでくれ,というとスーザンは今日は早く帰ったという。部屋を見てもらったら,金庫には何も入っていないという。こちらで調査をするから、しばらくまっていろといわれ、事の重大さに気づいた私だったが、パスポートなしでどうしようか,シドニーに立ち止まっていてもしかたがない。予約したバスは最終だし,とりあえずはこれに乗ってキャンベラに帰るべきだ。キャンベラならば大使館があるわけだから,月曜になったらまず大使館に駆け込んで帰国の便宜を図ったもらおう、などと次のプランを練っていた。

するとフロントの人が手を振ってよんでいる。パスポートが見つかったそうだ。どこから見つかったかは明言しなかったが,どうもかのスーザンさんが、パスポートを回収したことを報告せずに,自分のロッカーのようなところに置いておいたようだ。バスの時間が迫っていたので,礼を言って中央駅に急いだ.あえて報告しなかったということは、直接私に渡して10ドルのチップをせしめるつもりなのだったのだろうか。明日はきっとこってり絞られるのだろう。



2001年2月某日

試験は授業期間中にやってしまったので,今日成績を提出したので,今学期はもうおしまい.明日からオーストラリアです.飛行機は夕方なので,朝,フットサルをやってから出発だな…

(追記) フットサルをやって,さらには床屋に行ってから旅立ちました。


2001年2月某日

私の書いた日本経済新聞の経済教室は読みましたか?読みそこなった人は,こちらからどうぞ


2001年1月某日

こんな夢を見た.

研究室でプレステで遊んでいたら,同僚がやってきて分厚い封筒を置いていく.何だと思って中を見ると,数学のテストの答案の束のようだ.追い討ちをかけるように,「採点をやりなおして」と告げる太ったその男はStephen Morris(注1)であった.

このとおり俺は忙しいからさ,とゲームを始める私に向かい,彼は「問2にちょっと問題があってね」と言う.問題を見てみると「2, 2.7, 3, ...」 のように数字が10ほど並んでいて,この共通項を探せと言う問題だ.「期待していたのは『自然対数』と言う答えなんだが,どうもほかにも当てはまる数があるらしい.例えば8でも9でも成り立つのだ」と彼は言う.

問題を見て即座に私にはピンと来た.「11でも13でもいいじゃないか.何だ,ひどい問題だな」

そういう私に,一度採点したのだが,もう一度私に中立の目で採点しなおして欲しいというのだ.渋る私に,彼は「とてもクリエイティブな学生がたくさんいた.中には,輪ゴムを引っ張って解いた学生もいた」と言う.

輪ゴムでこの問題をどのように解くのか,見当もつかなかった私は,好奇心をくすぐられ,試験場に行ってみた(注2).するとそこは見覚えのある筑波大学の教室の一つで,頭に日の丸の鉢巻をして問題と取り組む金髪のにーちゃんの隣に,たしかに輪ゴムを左手の人差し指と親指の間にかけて引っ張り,右手でそれに微妙な動きで刺激を与えている受験生がいた.

「あれは,ナノ・テクノロジー(注3)の応用さぁ.輪ゴムくらい分子の数が多ければ,右手の刺激で計算できるらしいよ」と,解説をしてくれた試験監督は「つんく」だった.学生をよくみると,モーニング娘(のだれか)だった.

ああ,なるほどにっぽんの未来はみんながうらやむ,と思ったとたん目がさめた.

(注1) ペンシルバニア大学時代の同僚

(注2) 今思うと,この時点では,試験は終わっているはずなのだが,まあこれは夢のなせる技であろう.

(注3) 最近,雑誌『ネイチャー』に特集があった.詳しくはそちらを.


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